2017年1月31日火曜日

大宮機関区 1968.2.4

 昨日の記事の続きです。

 今ではさいたま市の一部になってしまった大宮ですが、当時の大宮市はまさに国鉄の街で、機関区の他に工場、そして大ヤードが有りました。

 上野を昼前に出て、その大宮機関区に撮影に訪れました。

 駅を出て、線路を跨ぐ道路から大宮工場がのぞけます。
 角型ドーム、警戒塗装のC11がいました。


 大宮機関区でも見学の許可は簡単に取れました。

 庫の手前にはD51がいました。


 右側にはキューロクも。


 奥側の庫からD51が出てきました。


 4桁ナンバー、デフ無しの綺麗なキューロクもいます。


 少し離れた側線にはメインロッドを外されたC58の姿が。


 その向こう側のヤードでは、複数のD51が盛んに入換をやっていました。


 庫の中に入ると、ここにもD51が休んでいます。


 機関区のはずれの方では、キューロクがアッシュに埋もれそうになっていました。


 今思えば本当に大らかな時代で、本線が近くを走り、様々な作業中の機関区内を自由に歩き回ることが、当たり前のように許されたのです。

2 件のコメント:

  1. ロコだけでなく煉瓦機関庫も懐かしいですね。
    今でも新幹線で跡地の上を通ると「ここは昔・・」と思い出します。

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  2. き さんへ
    大宮駅周辺のかつての姿を知る人がどれだけいるでしょうか。
    鉄博でそんなことも紹介してくれれば良いと思うのですが。

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