昨日の記事の続きです。
今ではさいたま市の一部になってしまった大宮ですが、当時の大宮市はまさに国鉄の街で、機関区の他に工場、そして大ヤードが有りました。
上野を昼前に出て、その大宮機関区に撮影に訪れました。
駅を出て、線路を跨ぐ道路から大宮工場がのぞけます。
角型ドーム、警戒塗装のC11がいました。
大宮機関区でも見学の許可は簡単に取れました。
庫の手前にはD51がいました。
右側にはキューロクも。
奥側の庫からD51が出てきました。
4桁ナンバー、デフ無しの綺麗なキューロクもいます。
少し離れた側線にはメインロッドを外されたC58の姿が。
その向こう側のヤードでは、複数のD51が盛んに入換をやっていました。
庫の中に入ると、ここにもD51が休んでいます。
機関区のはずれの方では、キューロクがアッシュに埋もれそうになっていました。
今思えば本当に大らかな時代で、本線が近くを走り、様々な作業中の機関区内を自由に歩き回ることが、当たり前のように許されたのです。
ロコだけでなく煉瓦機関庫も懐かしいですね。
返信削除今でも新幹線で跡地の上を通ると「ここは昔・・」と思い出します。
き さんへ
返信削除大宮駅周辺のかつての姿を知る人がどれだけいるでしょうか。
鉄博でそんなことも紹介してくれれば良いと思うのですが。