今回は1979年4月の奥中山撮影の翌日以降の記録です。
奥中山では天気が回復したのですが、翌4月29日に向かった北上線は曇天。
陸中川尻-陸中大石の鉄橋で列車を待ちました。
最初は上りのDC急行。
ローカル線でも5両編成 |
続いてはDD51重連牽引の上り貨物列車。
この辺りは後日SL錦秋号が運転されたときにも訪れましたが、駅名は変わったものの、風景にはそれ程の変化が無かったように記憶しています。
北上線はこれで切り上げ、奥羽線の院内-及位間に向かいました。
SL時代の難所雄勝峠も複線電化され、高速で列車が通過していました。
まずやって来たのはDC急行。
立派な軌道とトンネル |
そして、特急つばさ の通過。
この日の撮影は以上でおしまい。
移動やらで1日おいて、次は5月1日の磐越西線中山宿駅です。
今回の旅行は天候に恵まれず、ここでもはっきりしない空模様でした。
磐越西線は、北上線、雄勝峠と同様にSL時代には来たことがありません。
中山宿駅は、現在ではスィッチバックが廃止されてしまいましたが、この頃は線路配置の面白い魅力的な駅で、何度か訪問しています。
丁度駅近くの桜がきれいで、これを取り込んで撮影しました。
最初はDC急行が通過して行きました。
当時の編成は長い |
続いて下り客レが駅に停車します。
左上に本線 |
牽引機は試作車の901号でした。
スィッチバックして本線の急勾配を登って行きます。
特徴ある屋根形状 |
勾配をこの線のクィーン、特急あいづ が軽快に下ってきました。
ここでの最後のカットは重連の下り貨物列車です。
右下に中山宿駅 |
中山宿駅を後にし東京への帰路に着いたのですが、そのまま直帰せずに、帰りがけの駄賃とばかり東北本線の白坂へと向かいました。
先に磐城西郷駅側から。
在来線の特急街道なので、特急電車が次々とやって来ます。
今度は豊原駅側へ。
特急 はつかり が有名撮影地を通過して行きます。
夕暮れが迫る頃、特急 あいづ もやって来ました。
このカットを最後にゴールデンウイークの撮影旅行を終え、ようやく戻ることにしました。
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