夏季には避暑地として多くの人が訪れるのですが、当時はそれが一段落した8月20日からこの線に1年で最も多くの貨物列車が設定されていました。
それは沿線の高原キャベツの出荷に合わせ、他区からもC56を借受けてその輸送を担っていたのです。
野辺山高原東側の勾配途中のキャベツ畑に空の貨物列車を留め、積込を終えると一旦信濃川上駅まで下ろしてから再度小淵沢を目指して運転していました。
東京方面からは新宿発の夜行列車に乗り、ハイカーと共に小淵沢駅から始発列車を利用するのが一般的な撮影方法でしたが、生憎この日は高原特有の霧が深く、撮影条件としては最低でした。
野辺山駅で下車し、清里駅方面へ向かい、最高地点を過ぎ鉄橋を渡った所でカメラを構えていると、バック運転のC56が霧の中から勾配を下ってきました。
霧で後が良く見えない |
この後は貨物列車がしばらくないので、DCを撮影。
ヒマつぶしでのカットだが、今では貴重 |
現在の国鉄最高地点のあたりは店舗やホテルができて賑わっていますが、当時はそれを示す表示があるのみでした。
当時は静かな佇まい |
次の貨物列車も野辺山駅方からで、こちら側でも19.6‰の勾配を上って来るのですが、それ程力行しているようには見えません。
煙がスカです |
本命の下り貨物列車が来るので、先ほどの鉄橋の手前で撮影します。
逆向きの後補機が付いています。
逆向きなので、走る方向が分からない |
この後は定番の八ヶ岳バックを撮影できる国道へ移動し、絵葉書写真を撮りたかったのですが、依然として霧が晴れず、かすんだ姿になってしまいました。
この鉄橋を渡る姿は、現在ではバックに国道が移転整備されてしまったので、もう絵にならないようです。
野辺山駅へ戻る途中では、先ほど後補機だったC56144が上り貨物列車を牽引してやって来ました。
野辺山駅に着くと、国道から撮影した貨物列車の本務機だったC56160が入換をやっている姿が見られました。
まだ陽は高いのですが、あまり遅くならないうちに戻るために、残念ながら次の列車での帰宅となりました。