1964年に東海道新幹線が開業したことにより、山陽本線はこれを受けて新大阪駅からの接続列車を増発し、多くの優等列車が走っていました。
子供のころから馴染みだった山陽電車の須磨浦公園駅あたり、国鉄の須磨駅と塩屋駅の間の海岸沿いに撮影に行きました。
目的地に向かい歩きながら、最初に撮ったのは西明石駅までの各駅停車の電車です。
この手の電車には興味が無く、各停の撮影はこの1コマだけです。
寝台特急あかつき が手前の列車に被ってしまった後に、やって来たのは80系の DC特急みどり です。
九州内に乗り入れ、大分駅と佐世保駅に向かうのでDCだったのですが、全線電化された山陽本線内を延々とエンジンを全開で走り抜けていたのです。
他にも山陽本線から未電化の支線に乗り入れる急行DCが、キハ28系の長編成で運転されていました。
当時の花形は東海道から都落ちしてきた151系で、特急しおかぜ は広島駅まで、特急しおじ は下関駅までの運転であったと思います。
特急列車の合間を縫うように、またしてもDC急行がやって来ました。
未電化支線にも多くの優等列車が設定されていた時代でした。
交直両用電車の 急行はやとも は、新幹線接続ではなく、名古屋駅が始発の博多行きだったと記憶しています。
すぐ隣の海水浴場を横目で見ながら暑い中での撮影でしたが、フィルムが無くなってきたのでこれにて退散しました。
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