2022年6月30日木曜日

 生野銀山と明延鉱山(その1) 2018.4.23

 廃線や廃坑跡をよく訪れるのですが、この日はSL現役の頃、急勾配で有名だった播但線の生野越えの近くにある生野銀山と、1円電車で知られる明延鉱山を訪ねてみました。

 最初に行ったのは生野銀山で、こちらは観光名所として整備されています。

 その敷地の入り口の手前に、鉱山軌道の車両と思しきものが置かれていました。


 坑道で使用されていた電気機関車と客車です。


 その先の八重桜の下には、トロッコも並べられていました。


 機関車の手前に説明板があるのを見過ごしていて、これらの車両は明延鉱山のものを持ってきたようで、生野銀山とも関係があるようですが、詳細は記されていません。


 銀山のエリアに入ると、坑道の手前にはトロッコが展示されています。


 坑道内は見学コースが整備されていて、特筆するような鉄絡みのものは見かけられませんでした。


 このあとはクルマを走らせて明延鉱山の見学で、予約時間に遅れないように急ぎます。

 こちらは大変マイナーで、案内人が先ず資料室の扉を開けてくれました。

 明延鉱山の断面模型が面白いです。


 この資料室の前には保存車両が置かれていました。


 屋根付きでの保存ですが、保存に際して化粧直しをしたわけではなさそうです。


 坑道内は自由に立ち入らせていないので、足元の悪い所や濡れていることもあるのですが、うれしいことに、昔の線路がそのまま残っているのが見かけられました。


 使用されていた電池式機関車も、薄暗い中に保存されています。


 坑道の出口は立派な大きさで、見学が終了するとすぐに施錠されてしまいました。


 案内者と分かれたあと、ここからあまり遠くないところの、あけのべ憩いの家 の前に保存されている車両を見に行きます。


 こちらも屋根付きでの保存でした。


 保存車両の状態は、坑道の前の車両と同様です。


 保存車両の全景ですが、あたりには全くひと気がありませんでした。


 この隣りの広場にはナローの線路が少々敷かれていて、綺麗な車両が停められています。


 時には、この客車に人を乗せて、動かしているとのことでした。

 この車体の標記にあるように、明延鉱山から数キロ離れた神子畑選鉱所まで線路が繋がっていたのですが、その選鉱所については次回掲載します。

2022年6月28日火曜日

 正月の 京急大師線 2018.1.12

 この年は正月早々名古屋に行ってしまったので、恒例の川崎大師詣でが12日になってしまいました。

 正月の大師線の先頭には、毎年異なるヘッドマークが掲出されるのですが、少し遅くなったこの年も、まだ掲出されていました。

 毎年それを記録していたのですが、今回は2015年からの4年分をまとめてあげてみました。

 まずは2015年から。


 京急川崎駅で、折返しの停車中です。


 次は2016年です。


 お参りの帰りは、いつも東門駅から乗車します。


 そして2017年です。


 たまには京急川崎駅で、違うアングルから。


 最後に2018年です。


 この年は、お大師さんの本堂と共に、なんと京急の電車がデザインされていました。


 本来ならば同時に運用されている編成も含めて、きちんと纏めるべきでしょうが、自分の乗った車両の記録として、もっと以前から記録を続けています。


2022年6月26日日曜日

 名古屋プリンスホテルの窓から 2018.1.10-11

 今回の名古屋滞在中は、名古屋駅の少し南、あおなみ線のささしまライブ駅につながった名古屋プリンスホテルスカイタワーに宿泊しました。

 高層ビルの上階がホテル部分なので、見晴らしが良いのですが、当然ながら客室の方角により見える景色が異なります。

 名古屋駅といえばJRはもとより、名鉄、近鉄の主要駅で、これらの路線が見下ろせる、鉄には絶好のホテルで、ホテル側もその点をアピールしています。

 先ずは出先から戻ったときに撮ったものですが、1月なので夕暮れが近づいています。


 名古屋駅は北方向になり、既に日陰になっている高架線を、新幹線が通過してきました。


 足元があおなみ線の駅になりますが、その向こう側を近鉄の特急が通過します。


 こちらも日陰ですが、今度はビスタカーです。


 右方向の東側は、JRと名鉄が並んでいますが、こちらは見える範囲が限られています。


 近鉄線には普通電車のお出ましです。


 名鉄を振り返ると、セントレアがやって来ました。


 ここからは翌朝で、明るい日差しですが、やはり線路には日が当たりません。

 新幹線と名鉄特急が顔を合わせています。


 名鉄のすれ違いに、JRの普通電車が加わりました。


 ビルの隙間に、新幹線も顔を出します。


 名鉄の赤い車体は、影の中では良く見えません。


 新幹線とセントレアの競演が最後のカットです。


 一日中部屋にいれば光線も変わり、良いカットが撮れるかもしれませんがそうもいかず、ここまでで部屋をあとにしました。


2022年6月24日金曜日

 三岐鉄道(その2)北勢線 2018.1.9

 三岐線のあとは再び近鉄に乗り、西桑名駅に向かいました。

 ここで三岐鉄道北勢線に乗換えて、北勢線の中ほどの東員駅に向かいます。

 北勢線は、2003年4月に近鉄から三岐鉄道に経営が引き継がれた762mmのナローゲージで、三岐線の北側を並行するように、鈴鹿山脈方向へと走っています。

 到着した東員駅は列車交換が行われる駅ですが、側線にも1編成停まっていました。


 駅を出て歩き始めたところでようやく上り電車が到着し、3本の電車が並びました。


 乗って来た下り電車が、東員駅をあとにして出て行きます。


 東員駅から少し歩いたところに北大社車庫があるのですが、出迎えてくれたのは分割した編成の片割れでした。


 この車庫はごく小さいもので、また、中の様子はうかがえず、外に置かれた保線用の機材があるだけです。


 車庫横の本線を、変わった色の電車が近づいて来ました。


 200系K7編成で、他の車両とは全く違う塗装です。


 後ろ姿も撮ったのですが、この切妻はいただけません。


 東員駅に戻る途中で列車写真を撮影しましたが、バックの倉庫が宜しく無いですね。


 東員駅に近づきましたが、駅裏は畑です。


 正面側はロータリーも整備され、駅舎も含めて綺麗ですが他には何もありません。


 この駅も含めて北勢線では、パークアンドライドを進めるため何駅かを移転して、駅前を整備したようです。

 東員駅に上り電車が到着しました。


 私が乗る下り電車も入線し、また3本が並びます。


 この電車で終点の阿下喜駅まで行きました。


 阿下喜駅の隣には、ナローの線路とターンテーブル、そして模型の線路まで敷かれています。


 ナローの線路上には、かつて使用されていた モニ226 がきれいな姿で保存されていました。


 後ろの建物は軽便鉄道博物館で、そこから伸びる模型の線路は、直線部分でナローの線路を共用しているのが面白いです。


 阿下喜駅からは一気に西桑名駅まで乗車したのですが、西桑名駅は始発駅なのに、かなりうらぶれた様子でした。


 1日だけで、電車で二つの路線をまわるのはかなり無理があり、沿線での撮影もほとんどできなかったので、また改めて来ようと思いながら、名古屋へと近鉄電車に乗車しました。