2025年3月5日水曜日

 北陸まわりで関西へ(その2) 2024.12.10

  京都に着いて二日目、この日は千里中央駅から万博記念公園駅に向かいました。

 京都駅から新快速で新大阪駅へ、地下鉄に乗り換えて北大阪急行線の千里中央駅に到着です。


 車両も駅ホームもすっかり新しくなっていました。


 ここでは親戚を訪ねるのが目的で、それを済ませてから大阪モノレールで万博記念公園駅に向かいます。


 お初の大阪モノレールに乗り、万博記念公園駅に到着、目的地にはペデストリアンデッキで向かうのですが、この通路はモノレールの撮影にもってこいで、早速撮影しました。


 派手な姿の彩都線の車両が高いところから近づいてきます。


 この辺りは1970年の万博が行われたときに何度か訪れていて、当時は地下鉄が仮設駅である万博中央駅まで伸びていました。


 この写真は折り返し用の引き上げ線で、右上には万博会場を周回するモノレールが写っています。

 今回ここを訪れたのは、公開されている太陽の塔の内部に入るためで、事前予約で時間指定の入場券を購入する必要がありました。

 鉄とは無関係ですが、太陽の塔の内部写真です。


 会場を後にして、駅に戻る途中でも撮影しました。


 この写真の左に写っている歩道橋を渡るのですが、高い位置まで防護ネットがあり、目一杯手を伸ばしての撮影なので、画面の確認ができません。


 再び駅近くの歩道橋から撮影しました。


 ここから二方向に分岐するので、列車本数がかなりあります。


 冬の斜光で、車両撮影にも最適でした。


 最後に太陽の塔も入れて、撮影終了です。


 これにて京都に戻るのですが、同じルートでは面白くないので南茨木駅に向かい阪急を利用しました。


 阪急の車両は相変わらずきれいです。

 高槻駅からJR線に乗り換え、京都を目指しました。


2025年2月25日火曜日

 北陸まわりで関西へ(その1) 2024.12.9

  毎年必ず関西方面へ旅行しているのですが、軽井沢在住で、北陸新幹線が敦賀まで伸びたこともあり、このルートで京都に向かうことにしました。

 信濃追分駅から軽井沢駅まで、しなの鉄道を使って二駅戻ります。


 北長野方面ではすでに雪の季節で、前面に雪をつけてやって来ました。

 軽井沢駅から あさま号 に乗り、長野駅で かがやき号 に乗り換えて、9時過ぎには富山駅に到着です。


 列車を見送っていると、上り線にも入線してきました。


 富山駅に降り立つのは何年振りか記憶も定かでありませんが、駅舎の1階を貫いて市内電車が走っています。


 物珍しいので、何枚か撮影しました。


 観光旅行なので、富山県美術館に向かいます。

 その屋上デッキからは雪をかぶった山々が望めるのですが、あいにくの天候であまりきれいには見えませんでした。


 徒歩で富山駅に戻る途中でも、路面電車を撮影します。


 富山駅のコンコースで一休みですが、座ったままで電車の撮影ができる絶好の怠け者向きのロケーションでした。


 ガラス窓の向こう側を走る姿も撮影できます。


 富山駅から環状線に乗り、富山市ガラス美術館に向かいました。


 環状線のみの区間では単線になっています。


 富山駅に戻るときには運転席の後ろに陣取り、対向車を撮影しました。


 次にやって来た電車は、警察がスポンサーなのでしょうか。


 ひと駅手前の電鉄富山駅で下車し、撮影しながら駅に向かいます。


 この区間は南富山駅方面の電車も来るので、待つこともなく次々とやって来ました。


 向こうの方を横切るのは富山大学前に向かう電車でしょうか。


 再び富山駅に戻ってきました。


 振り返っての撮影ですが、架線柱と桁が一体となったフレーム状の構造が、古い電車とは少々違和感があります。


 これにて富山駅を後にし、つるぎ号 の乗客になりました。


 敦賀駅での忙しい サンダーバード号 への乗り換えを無事に済ませ、京都駅にはラッシュアワーの前に到着です。


2025年2月17日月曜日

 帰り道の函館駅にて 2024.7.12

 北東北を経由してフェリーで渡った函館ですが、出発から12日目に帰宅することにします。

 函館からは東京に戻るならばたいていは空路利用ですが、軽井沢ですと多少時間はかかるものの、乗り換えの手間を考えて大人しく列車の旅にしました。

 乗車する函館駅は 道南いさりび鉄道 の列車の始発駅で、いさりび鉄道のホームには キハ40 が停車しています。


 いわゆる首都圏色の朱色に塗装されている車両で、あちこちで見られた キハ40 も終焉が近いとあって、盛んに撮影されているので、カメラに収めておきました。


  乗車する 函館ライナー も一応撮っておきましたが、この快速列車は本当に快速で、20分足らずで 新函館北斗駅 と連絡しています。


 向こうのホームにいる キハ40 とのツーショットも押さえておきました。


 この先は新幹線を乗り継ぐだけの退屈な旅で、特に大宮駅での接続が悪く、信濃追分駅まで約7時間もかかってしまったのです。


2025年2月10日月曜日

 2024年に撮った 箱館ハイカラ號(その2) 2024.7.6

  前回の続きで、箱館ハイカラ號 函館どつく 行きの本日最後の運行です。

 以前も撮影したことがありますが、函館山のロープウェイ山頂駅を入れて撮れる、十字街 から 魚市場通 方向に少し歩いた地点に行きました。

 先にやって来た 812 で画面の確認をします。


 良い塩梅で、函館駅方向からの 箱館ハイカラ號 を待ちました。

 次第に近づいてくるのをまず1枚。


 そして後ろ姿の狙い目を、と思ったら手前の車に邪魔をされ、ベストの位置では撮れませんでした。


 十字街 の停留所方向に歩いて追いかけます。


 停車中の姿を画角を変えて撮影しました。


 最後に去り行く姿をもう1枚。


 次は 函館どつく で折り返して来るのを、末広町 の先で待ちました。

 日差しが傾いて、車両をアップで撮るのに適した光線です。


 見納めの1枚を後追いで。


 以上、2024年の 箱館ハイカラ號 の撮影記でした。


2025年1月31日金曜日

 2024年に撮った 箱館ハイカラ號(その1) 2024.7.6

  毎年冬季を除いて土日に運転されている 箱館ハイカラ號 ですが、この日は土曜日なので撮影に向かいました。

 箱館ハイカラ號 は 函館どつく 行が2往復、谷地頭 行が1往復設定されていて、まずは有名撮影地の港をバックに撮れる八幡坂に向かいます。

 毎度の撮影において、相手は路面電車なので自動車と被らないかは運次第、最初にやって来た 8007 ではうまいこと撮れました。


 ところが続いてやってきた ハイカラ號 では、車に並走されてしまいます。


 お次は 函館どつく から折り返して来るので、場所を 大三坂 に変えました。

 ところが今度は向こう側の車道に車がいて、オープンデッキの抜けが良くありません。


 急いで坂を駆け下りて、後ろ姿をなんとか撮影しました。


 1往復目は連敗でしたが、めげずに次は 谷地頭 行きなので、青柳町 と 谷地頭 の間の急坂の区間に向かいます。

 谷地頭 を発車した ラックル号 が坂を登ってきました。


 坂を登りきったところが 青柳町 の停留所で、電車が浮いているように撮れる場所です。


 坂の向こうから ハイカラ號 がやって来ました。


 停留所では同行の士が撮影しています。


 近づいてくるのを今度は縦画面で。


 谷底の 谷地頭 に降りて行きます。


 ハイカラ號 は終点に着くと一休みで、次に来る電車が先行発車するダイヤになっています。

 道路の反対側で待つうちに、次の電車がやって来ました。


 数分の停車後、8008 が発車して行きます。


 後を追うように、今度は ハイカラ號。


 目の前を通過する姿を、邪魔者なく撮影できました。


 このあともう1本、今度は 函館どつく 行きの撮影ですが、それについてはまた次回に掲載します。