2017年3月7日火曜日

花輪線 大更駅 1969.3.14

 山田線での撮影を区界駅で終え、ローカル線を乗り継ぎ、花輪線の大更駅に到着したのは既に日が陰ってからでした。
 明朝の列車で龍ヶ森駅での撮影を行うので、大更駅近くに宿をとるためでした。

 各停のDCを降りると、下りの8620牽引の貨物列車が発車して行きました。


 花輪線は未電化路線なのに、向こう側の線路には架線があります。
 当時の大更駅は岩手郡松尾村の松尾鉱山へ向かう松尾鉱業鉄道が接続していましたが、この民営鉄道は1500Vで直流電化されており、未電化の国鉄花輪線と並ぶ線路には架線が張られていたのです。

 貨物列車の発車した後、見渡せば電気機関車の姿が確認されました。



 古いネガフィルムのためやや発色が薄いようですが、青い車体に赤のナンバープレートで、なかなか洒落た印象でした。
 因みにこの機関車ED502は1972年松尾鉱業鉄道の廃止後に、秩父鉄道に譲渡され、デキ108と改番して使用されています。

 次の写真は翌日の撮影ですが、同鉄道の記録としてここで掲載しておきます。


 松尾鉱業鉄道のホームは国鉄とは少し離れて、平舘駅寄りにありました。

 花輪線の上り貨物列車を撮影すべく平舘駅方向へ駅外れまで歩いて行くと、先ほどのED502牽引の貨物列車が発車して行きました。


 列車の上方の丘には八幡平の歓迎立て看板が見られます。

 間もなく目的の貨物列車が進入してきましたが、陽が落ちてきた上に煙も無く、あまり面白くない1枚を撮影しました。


 明日の好天を期待して、宿への道を辿りました。


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2 件のコメント:

  1. 岩手県の盛岡市近辺に住むものとして懐かしく拝見しました。
    自分は1950年生まれで、ちょうど1969年4月に就職をし、初めてハチロクの撮影を
    始めたばかりでした。 当時はマニアにもほとんど会うこともなく、自由自在に撮影が
    出来た良き時代でした。

    松尾鉱山鉄道で運ばれてきた鉱石を、大更~好摩で10往復位の区間列車運用もありました。
    また、早朝には盛岡からの一番列車が重連で東北本線の好摩まで走り、当時頻繁に走っていた
    下り寝台列車の「特急ゆうづる」や「急行十和田、八甲田」等、忙しい撮影でした。

    昭和46年(1971年)にSL三重連撮影号が、ハチロク重連牽引の客車によって運転され、最初で最後の客車列車の撮影となりました。まもなくして三重連によるサヨナラ運転が行われ、大勢のマニアに見送られ花輪線は完全DL化されました。

    あのハチロクの甲高い独特の汽笛は今も脳裏に焼き付いております。
    往時を知るわれわれ世代の青春だったと思います。

    長文になりましたが感想と自分の思いを書かせていただきました。

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  2. 北斗星 様、ご覧頂き有難うございます。
    当時の様子を詳しくお知らせいただきましたが、学生の身分なので、何度も訪れることができませんでしたので、羨ましく思います。
    今思うと、無理をしてでももっと行っておけばよかったと後悔しています。
    これからも弊ブログをよろしくお願いします。

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