この時の訪問では、といってもSL時代には一度だけですが、盛岡駅からサミットの区界駅までの間までで、その先の撮影記録はありません。
最初に降り立ったのは大志田駅で、隣の浅岸駅と共に利用者の減少で既に廃止となってしまいました。
両駅とも25‰の連続勾配の途中なので、本線はスルー可能な配線のスイッチバック駅になっていました。
浅岸駅方面へ発車して勾配を行く |
この頃カラーフィルムがまだ高価ではあるものの、使われ始めた時期であり、サブカメラに入れておきました。
ネガフィルムで、粒子が荒く、発色もいまいちであります。
浅岸駅方面へ歩いて行くと、上りの貨物列車が音も無く駆け下りて来ました。
この線のC58は特徴的な集煙装置をつけています。
鉄橋の下に降り、勾配を登って来る下り貨物列車を迎え撃ちます。
次はもう一つのスイッチバック駅である浅岸駅の様子です。
列車交換のため、優等列車であるものの先に下り急行そとやま がホームに入線、そこへ上りの各停DCが入ってきて2本が並びとなります。
各停があとから入線 |
閉塞が開いたので急行がスイッチバックして、勾配を登って行きました。
駅のはずれで既にこの高低差 |
浅岸駅から区界駅へ、途中で2本の下り貨物列車が撮影できるので歩き出します。
今思えば、雪深い道を8km近い距離があるのに、よくも重いカメラバッグを抱えて歩いたものです。
1本目の貨物列車がやって来ました。
特徴ある集煙装置 |
短い両数ですが、急勾配を登っているのがサイドからわかります。
撮影後、先を目指して歩き続けたのですが、途中で雪の深みに入ってしまい、首まで埋もれてしまって脱出に一苦労でした。
2本目がやって来ました。
これまた大した両数ではありませんが、この当時はこんなローカル線でも結構な本数の貨物列車が設定されていたのです。
ようやく区界駅近くまでたどり着きました。
この区界駅は山田線のサミットであり、東北地方の最高駅でもあります。
駅の発車であれば煙を吐くであろうと、ここで上り貨物列車を撮影しました。
案の定、煙を巻き上げながらやって来ましたが、目前を通過後絶気運転となりました。
雪まみれとなった撮影を終え、区界駅で暖を取ってから盛岡行きの各停DCの暖かい車内に乗り込みました。
山田線のC58、懐かしく拝見しました。
返信削除私は1950年生まれで盛岡の大学に通っており、駅構内で見かけておりました。
当時、ファンの多くは花輪線のハチロクがお目当てで、このC58はあまり注目されておらず、マニアは見たことがありませんでした。
しかし近いうちに消え去る運命にあるとの事から、区界付近で上下列車を効率よく撮影しました。特に上り列車は盛岡までの重連運転が多く、サヨナラ運転も宮古~盛岡間を重連運転となり、しっかりと記憶に残っております。
そのC58が釜石線で[SL銀河]を牽引していることが、自分にとっては生きる糧になっております。
今回は自分の青春時代に活躍した地元のSLを拝見出来ましてとても感激しております。
素晴らしい画像、ありがとうございました。
北斗星 様、投稿いただき有難うございます。
返信削除山田線はC58故、あまり人気が無く、鉄道雑誌でもあまり取り上げられませんでした。
重連をよく撮影されていたとのこと、やはり地元の方にはかないません。
羨ましい限りです。
スイッチバックどころか駅そのものまで廃止され、折角風光明媚な路線なのに残念です。
初めてご連絡させていただきます。私、スイッチバックの研究をしているもので、来春には「スイッチバック大全」という書籍を刊行すべく、現在素材集めをしております。そうした中で、貴サイトの「浅岸」の御写真をぜひ使わせていただけないでしょうか?というお願いでご連絡をさせていただきました。お手数ですが、詳細はメールでやり取りをさせていただければ幸いです。では、よろしくお願いいたします。
返信削除担当E様
返信削除ご覧頂き有難うございます。
ブログの最初に記載しましたように、写真集「SL現役の頃」を出版して本ブログを始めました。
写真集のホームページには連絡先を記載していますので、よろしくお願いします。