玉電関係の記事が続きましたので、今回はその運行最終日の様子です。
1969年5月10日の土曜日、東急多摩川線と砧線の2路線が最終日を迎え、花電車によるお別れ運転が行われました。
なお、多摩川線の支線である下高井戸線は、専用軌道を走っていたので、その名称を東急世田谷線と変えて、現在に至っています。
この当時は学生の身分でしたので、撮影に行ったのは既に陽が落ちてからで、Tri-Xを増感処理しての撮影でした。
道路にはクルマがあふれているので、246号線に架かる歩道橋からの撮影です。
下り方向の電車はクルマの洪水に埋もれ、邪魔電と呼ばれていたのが良くわかります。
そんな中を、上りのお別れ運転の電車がやって来ました。
さようなら玉電 と書かれたヘッドサインを付け、装飾を施された花電車です。
客扱いはせず、乗降扉を開けたままで、係員が手を振っていました。
三軒茶屋駅前の歩道橋に上り分岐方向を見ると、下高井戸線が世田谷通りを横切り、専用軌道へと向かう様子が見られます。
折返しでやって来る下りのお別れ電車は、この分岐地点からの撮影です。
歩道橋上には見物客が鈴なりで、玉電の最後を見送っていました。
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