2019年6月22日土曜日

 山陰本線 各駅停車の旅(その2) 1967.7.28

 今回の旅の2日目です。

 宿泊したのは余部ユースホステルで、当時の学生旅はユースの予約を取ってから出かけるのが常でした。

 駅からかなり歩いた高台にあり、窓からは遠くの余部鉄橋が見えます。


 餘部駅から朝の列車に乗りますが、DCを連ねた編成です。


 因みに駅名を餘部と標記するのは、姫新線の余部駅と区別するためのようです。

 普通列車の乗車にも飽きたので、泊駅で下車し、少し線路端を歩きました。


 やって来たのは 急行いなば で、当時は冷房の搭載も無く、窓は全開されていました。

 泊駅に戻り、各駅停車の旅を続けますが、牽引してきたのは DF50 で、この日はまだSL列車にお目にかかっていません。


 乗車していると米子駅が近づき、機関区には D51 の姿が見られました。


 松江駅の手前の馬潟駅で下車しましたが、上りの 特急まつかぜ との交換です。


 ここから松江駅方向に歩きましたが、景色の良い場所は見つからず、少し開けた場所で普通列車を待ちました。


 やって来たのは C57 牽引の客レで、C57 とは今回お初の対面です。

 駅に戻り下り列車を待っていると、反対方向から来た列車も C57 の牽引で、いよいよSLの使用区間に入ったことを実感しました。


 松江駅から一畑電鉄に乗り変え、この日も鉄には不便なところにあるユースホステルに向かいました。

2 件のコメント:


  1. 初めまして。陸羽東線にD51なんて走ってたっけ?と思い、検索してサイトに出会いました(ブックマークつけときます)
    さて、
    C5788、
    私めが馴染んでいたころ(たぶん3年ほど後)には、集煙装置がつけられていました。
    山陰本線に長いトンネルなんかあるか?と不満に思っていた記憶があります。
     

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  2. 虻無丸 さん、弊ブログにたどり着いて頂き有難うございます。
    山陰本線のC57には不細工な集煙装置が装着されたものと、無いものが混在していました。
    おっしゃる通り、あまり必要とは思えませんですね。

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