昨日の仙山線に続いて、この日も東北地方の路線を巡ったのですが、先ずはまだ貨物列車が設定されていた陸羽東線です。
SL時代に何度も訪れた中山平駅と堺田駅の間に向かったのですが、出かけたのが遅かったため、撮影地に着く前に列車が来てしまい、DE15 を後追いで辛うじて撮影しました。
これでそそくさと引き上げますが、途中、中山平駅に立寄り、タラコ色の各停DCをついでに撮影します。
山ふところの分水嶺の近くまで来ていたのに、次は海っぺりの仙石線に向かったのです。
陸前小野駅と野蒜駅の間で待っていると、103系もどきがやって来ました。
反対方向からは、昔なじみの顔が現れましたが、派手な塗色はお似合いとは言えません。
東名駅方向に移動し、海を入れての撮影としましたが、逆光になってしまいます。
明日は仕事なので、今日中に東京に戻るべく帰路に着きましたが、まっすぐ帰るわけにはいかず、貝田駅と越河駅の間の、有名撮影ポイントに立寄りました。
秋の日は釣瓶落としと言うがごとく、太陽は既に山影に入ってしまいましたが、そんな中を、先ずはグリーン車を連結した交直流急行電車のお出ましです。
この場所は、反対方向を向いても良いアングルにならないので、特急はつかり は、後追いで撮影します。
続いて、はつかり とかぶりそうになったコンテナ貨物も慌てて撮影。
既に動体ブレをおこす暗さなので、これにて切り上げて、今度はまっすぐ帰途に着きました。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで
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現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
2020年4月29日水曜日
2020年4月27日月曜日
錦秋の 仙山線 奥新川 1978.11.3
早々に電化されていた仙山線には、まだSLが現役で走っていた頃から訪れていましたが、この年の秋の盛りに久しぶりに訪問しました。
仙台を出発し、最初の寄り道は北仙台駅と陸前落合駅の間で、このあたりは現在では仙台への通勤圏になり、いくつかの新駅が設置されています。
最初のDCを撮影した時は、強烈な朝日があたっていたのですが、交換で次の列車が来たときには、日が陰ってしまいました。
次の寄り道の作並駅に着いた時には小雨模様で、下りの DC急行あさひ が入線してきましたが、線路脇の建物には、作並機関庫 と縦に書かれています。
短時間の停車後発車しましたが、駅員の手にはタブレットらしきものが見えます。
しばらくすると、上りの EC急行仙山 が来ましたが、駅員の手には先程のタブレットらしきものが見えます。
自動信号機が設置されているのにどうしてでしょうか。
この先、国道からわき道に入り、奥新川駅方向に進み、八ツ森駅の先の馴染みのポイントで、上りの客車列車を待ちます。
このあたりは紅葉した木々と、植林された杉の緑のコントラストが鮮やかです。
車体も屋根も、バラバラの5両の客車を ED78 が牽引して、通り過ぎて行きました。
次の下りの客レが、短い鉄橋を渡って来ました。
この場所から更に砂利道を進むと、奥新川駅に通じています。
雨に濡れたホームに、客車列車を牽引して到着した ED78 は、トップナンバーでした。
もう一度先程の撮影地に戻り、上りのDCを撮影します。
遠くの橋を渡るまで、何度も撮影しました。
朝方のような好天であったならば、もっと紅葉が輝いたでしょうが、山深いこの場所ではあまり良い天気に恵まれたことが有りません。
仙台を出発し、最初の寄り道は北仙台駅と陸前落合駅の間で、このあたりは現在では仙台への通勤圏になり、いくつかの新駅が設置されています。
最初のDCを撮影した時は、強烈な朝日があたっていたのですが、交換で次の列車が来たときには、日が陰ってしまいました。
次の寄り道の作並駅に着いた時には小雨模様で、下りの DC急行あさひ が入線してきましたが、線路脇の建物には、作並機関庫 と縦に書かれています。
短時間の停車後発車しましたが、駅員の手にはタブレットらしきものが見えます。
しばらくすると、上りの EC急行仙山 が来ましたが、駅員の手には先程のタブレットらしきものが見えます。
自動信号機が設置されているのにどうしてでしょうか。
この先、国道からわき道に入り、奥新川駅方向に進み、八ツ森駅の先の馴染みのポイントで、上りの客車列車を待ちます。
このあたりは紅葉した木々と、植林された杉の緑のコントラストが鮮やかです。
車体も屋根も、バラバラの5両の客車を ED78 が牽引して、通り過ぎて行きました。
次の下りの客レが、短い鉄橋を渡って来ました。
この場所から更に砂利道を進むと、奥新川駅に通じています。
雨に濡れたホームに、客車列車を牽引して到着した ED78 は、トップナンバーでした。
もう一度先程の撮影地に戻り、上りのDCを撮影します。
遠くの橋を渡るまで、何度も撮影しました。
朝方のような好天であったならば、もっと紅葉が輝いたでしょうが、山深いこの場所ではあまり良い天気に恵まれたことが有りません。
2020年4月25日土曜日
華やかな頃の 東海道本線-2 1978.8.15
湯河原駅近くで撮影後、東京方面に移動し、早川駅と根府川駅の間の線路際で、駐車できるスペースが見つかりました。
このあたりでは山側の旧道に上り、線路を見下ろす場所が有名ですが、そのポイントは下り列車を午後に撮るのが良い所なので、今回は線路際に来てみました。
まずは 特急はやぶさ ですが、EF65 の PF型 が牽引してきました。
最後尾は、特徴的なお面の電源車です。
下りの伊豆行特急が来ましたが、この頃は名称が あまぎ で、文字だけのヘッドサインです。
高速貨物を牽引して EF66 が来ましたが、当然ながら原形・大型パンタのスマートな姿です。
普通電車と危うくかぶりそうになりながら、特急みずほ のお出ましで、こちらは EF65P の担当でした。
最後尾に電源車は連結されていません。
普通電車の後部には荷物電車が連結されていたのですが、行先幕の 荷 の文字が半分以上隠れてしまっていました。
再び 特急あまぎ の登場ですが、原形色の綺麗な姿です。
最後にやって来た 特急さくら は、EF65PF の牽引で、この頃は丁度 P型 との置換えの時期でした。
全て白帯で統一された編成が、トンネルに飛び込んで行きます。
ブルトレの牽引機が PF型 に置き換わるころで、P型 の方が特急に相応しいと残念がったものでした。
このあたりでは山側の旧道に上り、線路を見下ろす場所が有名ですが、そのポイントは下り列車を午後に撮るのが良い所なので、今回は線路際に来てみました。
まずは 特急はやぶさ ですが、EF65 の PF型 が牽引してきました。
最後尾は、特徴的なお面の電源車です。
下りの伊豆行特急が来ましたが、この頃は名称が あまぎ で、文字だけのヘッドサインです。
高速貨物を牽引して EF66 が来ましたが、当然ながら原形・大型パンタのスマートな姿です。
普通電車と危うくかぶりそうになりながら、特急みずほ のお出ましで、こちらは EF65P の担当でした。
最後尾に電源車は連結されていません。
普通電車の後部には荷物電車が連結されていたのですが、行先幕の 荷 の文字が半分以上隠れてしまっていました。
再び 特急あまぎ の登場ですが、原形色の綺麗な姿です。
最後にやって来た 特急さくら は、EF65PF の牽引で、この頃は丁度 P型 との置換えの時期でした。
全て白帯で統一された編成が、トンネルに飛び込んで行きます。
ブルトレの牽引機が PF型 に置き換わるころで、P型 の方が特急に相応しいと残念がったものでした。
2020年4月23日木曜日
華やかな頃の 東海道本線-1 1978.8.15
SL全廃後、しばらく写真撮影から遠ざかっていましたが、お盆休みに久しぶりに向かったのは、新幹線が開業したとはいえ、多くの優等列車が運転されていた東海道本線です。
真鶴駅と湯河原駅の間の、線路を少し見下ろす場所にクルマを停め、やって来る列車を次々に撮影しました。
まずは 153系の急行編成です。
お次は神戸始発の名門 急行銀河 ですが、ブルトレのお下がりの20系が使用されていました。
二軸貨物を連ねて、貨物用の EF65 もやって来ます。
派手な塗色の 155系 ですが、この時期なので、修学旅行ではなく、臨時急行で使用されているのでしょう。
いよいよブルトレのお出ましですが、最初は 特急あさかぜ です。
EF58 も健在で、荷物列車を牽引してきました。
少し場所を変えて、新崎川の鉄橋の近くに降りてみます。
EF65F の貨物列車です。
またしても修学旅行用が来ましたが、やはり臨時急行と思われます。
はるか日本の南端からの 特急富士 が、ヘッドマークを付けた EF65P に牽かれて上って来ました。
ここで一旦クルマに戻り移動しましたが、続きはまた次回に掲載します。
真鶴駅と湯河原駅の間の、線路を少し見下ろす場所にクルマを停め、やって来る列車を次々に撮影しました。
まずは 153系の急行編成です。
お次は神戸始発の名門 急行銀河 ですが、ブルトレのお下がりの20系が使用されていました。
二軸貨物を連ねて、貨物用の EF65 もやって来ます。
派手な塗色の 155系 ですが、この時期なので、修学旅行ではなく、臨時急行で使用されているのでしょう。
いよいよブルトレのお出ましですが、最初は 特急あさかぜ です。
EF58 も健在で、荷物列車を牽引してきました。
少し場所を変えて、新崎川の鉄橋の近くに降りてみます。
EF65F の貨物列車です。
またしても修学旅行用が来ましたが、やはり臨時急行と思われます。
はるか日本の南端からの 特急富士 が、ヘッドマークを付けた EF65P に牽かれて上って来ました。
ここで一旦クルマに戻り移動しましたが、続きはまた次回に掲載します。
2020年4月21日火曜日
日鉄鉱業羽鶴専用線の 1080 1974.11.24
最後の現役SLの撮影を秋の北海道で終え、鉄から離れていたのですが、日鉄の 1080 が運転されるから行こうと誘われて、ブローニーにフィルムを1本入れただけで参加しました。
一応DLの予備機で、殆んど出番のない 1080 ですが、滅多にないこととて、多くのファンが押しかけました。
葛生駅から日鉄鉱業の羽鶴工場までの専用線で、田舎の細い道に大勢が押し寄せて、地元の方には迷惑だったと思われます。
工場からの往路ははバック運転で、結構な長さの貨物列車を牽引してきました。
撮影後はすぐに追いかけて、逆光ながら引きの取れる場所で待ち構えます。
晩秋の穏やかな日差しの中を、軽快な足取りです。
白煙をたなびかせながら、遠くに走り去るまで、撮影し続けました。
このあとは、折返しの葛生駅に行きましたが、さすがにここでは多くのファンが集結し、まともな写真は撮れません。
復路は前向きなので、追いかけよりも確実に撮ろうと、順光の場所を確保しました。
晩秋の斜光を浴びながら、築堤を走り抜けて行きます。
羽鶴まで追いかけて、工場を見下ろせる場所に上がると、仕業を終えた 1080 が夕日に照らされながら停車していました。
予備機の、それも動態保存的な運転でしたが、貨物を牽引するという仕業をこなす姿なので、これが本当の現役SLの最後の撮影となりました。
一応DLの予備機で、殆んど出番のない 1080 ですが、滅多にないこととて、多くのファンが押しかけました。
葛生駅から日鉄鉱業の羽鶴工場までの専用線で、田舎の細い道に大勢が押し寄せて、地元の方には迷惑だったと思われます。
工場からの往路ははバック運転で、結構な長さの貨物列車を牽引してきました。
撮影後はすぐに追いかけて、逆光ながら引きの取れる場所で待ち構えます。
晩秋の穏やかな日差しの中を、軽快な足取りです。
白煙をたなびかせながら、遠くに走り去るまで、撮影し続けました。
このあとは、折返しの葛生駅に行きましたが、さすがにここでは多くのファンが集結し、まともな写真は撮れません。
復路は前向きなので、追いかけよりも確実に撮ろうと、順光の場所を確保しました。
晩秋の斜光を浴びながら、築堤を走り抜けて行きます。
羽鶴まで追いかけて、工場を見下ろせる場所に上がると、仕業を終えた 1080 が夕日に照らされながら停車していました。
予備機の、それも動態保存的な運転でしたが、貨物を牽引するという仕業をこなす姿なので、これが本当の現役SLの最後の撮影となりました。
2020年4月19日日曜日
鷲別機関区と現役最後の一枚 1974.9.12
最長直線区間の撮影のあとは、鷲別機関区にお邪魔しました。
大幹線である室蘭本線を担当するこの機関区では、数多くのSLが元気な姿を見せてくれました。
目に入るものを順に撮影して行きましたが、最初に撮ったのは、場違いの門デフ付の 79602 でした。
次は D51413 で、ギースルエジェクター付です。
少し離れたところにいるのは、D51505 で、出区の準備中です。
こちらは D5159 で、解放キャブの半流型です。
前のDLが撮影の邪魔をしている 19667 の後部ライトは、変則的な取り付けになっていました。
クラの中を覗いてみると、DE10 が収まっていて、向こう側には大量の DD51 が見えます。
DL は遠慮して、次の標準型 D511149 は角ドームで、薄汚れていました。
もう1両の角ドームは、D511085 です。
構内の少し外れの方に行ってみると、69690 が休んでいました。
そして、配置されたばかりなのでしょうか、大量の DD16 が連なっています。
クラのこちら側は DL ばかりですが、入換用でしょうか、19651 の姿がありました。
そして、DD51 に混じって、特異な姿の DD15 もいます。
これにて機関区を辞し、盲腸線の輪西駅に向かいました。
ここには鉄原コークスの S-304 がいるのですが、工場の奥の方にいて、出てくる気配が無く、撮影をあきらめました。
丁度、室蘭本線の盲腸線の貨物列車があるので、輪西駅側のカーブで撮影します。
このあとまっすぐ帰京しましたが、学生から不自由な社会人になってしまい、結局これが現役SL最後の一枚になってしまいました。
大幹線である室蘭本線を担当するこの機関区では、数多くのSLが元気な姿を見せてくれました。
目に入るものを順に撮影して行きましたが、最初に撮ったのは、場違いの門デフ付の 79602 でした。
次は D51413 で、ギースルエジェクター付です。
少し離れたところにいるのは、D51505 で、出区の準備中です。
こちらは D5159 で、解放キャブの半流型です。
前のDLが撮影の邪魔をしている 19667 の後部ライトは、変則的な取り付けになっていました。
クラの中を覗いてみると、DE10 が収まっていて、向こう側には大量の DD51 が見えます。
もう1両の角ドームは、D511085 です。
構内の少し外れの方に行ってみると、69690 が休んでいました。
そして、配置されたばかりなのでしょうか、大量の DD16 が連なっています。
クラのこちら側は DL ばかりですが、入換用でしょうか、19651 の姿がありました。
そして、DD51 に混じって、特異な姿の DD15 もいます。
これにて機関区を辞し、盲腸線の輪西駅に向かいました。
ここには鉄原コークスの S-304 がいるのですが、工場の奥の方にいて、出てくる気配が無く、撮影をあきらめました。
丁度、室蘭本線の盲腸線の貨物列車があるので、輪西駅側のカーブで撮影します。
このあとまっすぐ帰京しましたが、学生から不自由な社会人になってしまい、結局これが現役SL最後の一枚になってしまいました。