小樽築港機関区

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2019年11月16日土曜日

 肥薩線 ついでに 湯前線と三角線 1971.7.24

 まだ曇ってはいるものの、昨日の豪雨はすっかり上がってくれましたが、この日は熊本まで移動しなければならないので、矢岳越えはあきらめなければなりませんでした。

 最初は近場の湯前線に行き、肥後西村駅で普通DCを撮影します。


 肥薩線の D51 の走りを撮影していないので、人吉駅と大畑駅の間の線路を越える道路からならば時間的に間に合うので向かいました。

 先に急行DCが、人吉駅へと下って行きました。


 交換で、D51 が混合列車を牽引して、元気な姿を現わしました。


 客車のデッキから身を乗り出しているのは、鉄でしょうか。


 後補機も、猛然と押上げてきます。


 このあとは、川線を撮影しながら車を走らせます。

 先ずは、渡駅と那良口駅の間で、客レを迎え撃ちました。


 続いては一勝地駅の周辺です。

 川沿いで景色は良いものの、撮影の足場が見つからないうちに、上り貨物が来てしまいました。


 門デフ付の100号機で、もっと良い場所で撮れればと悔やんでいます。

 次は下りで、発車後の加速して行く姿です。


 再び下流に向けて進むと、対岸に停車中の列車が見えました。


 C57 に1両だけの客車が付いています。

 肥薩線と分かれて北上し、熊本の手前で、三角線の貨物列車が撮影できるので、そちらへと寄り道します。

 海と一緒に撮れる場所を探して、住吉駅と肥後長浜駅の間にクルマを停めると、先ずは 急行火の鳥 のお出ましです。


 当時はこんなローカル線でも急行が設定されていたのですね。

 反対方向から下り貨物が来ましたが、海との間に道路があるのであまり宜しくありません。


 これにて終了で、再び車を走らせて、今夜の宿に向かいました。

2019年11月14日木曜日

 豪雨に見舞われた 大畑駅 の D51 1971.7.23

 昨日の晴天とはうって変わって、この日は朝から強い雨が降り続いていましたが、それでも予定通りに肥薩線の大畑駅に、D51 の雄姿を求めて車を走らせました。

 駅までの細くてぬかるんだ道を何とか通り抜け、辛うじて到着しましたが、豪雨が降り続き、駅舎からは出られませんでした。

 そんな中を、上りの混合列車が到着したので、駅の中から撮影します。


 後補機を先頭に、スイッチバックした列車が入線してきました。

 天候回復を待つために、しばらく停車することになったようです。


 発車する気配は全くありませんが、少し小降りになって来たので、外に出て撮影しました。


 この頃は、空も少し明るくなって来たようです。


 ホームのはずれの、後補機の様子も見に行きました。


 上がりかけたと思ったら雨は再び強くなり、また駅舎から出られなくなりました。


 どこから来たのか、女性が列車の様子をうかがっています。


 天候の回復が見込めないので、本日の列車の運休が決まり、停車中の混合列車は人吉駅まで下ろすことになりました。


 雨の中ですが、発車の様子を撮影に行きます。


 後補機は力行もせずに、目の前を通り過ぎて行きました。


 駅からの細道が豪雨で崩れもせずに、よくぞ無事に人吉駅まで戻れたものだと、今更ながら思い出されます。

2019年11月12日火曜日

 日豊本線 おまけの 志布志線 1971.7.22

 九州入りして2日目のこの日は朝から快晴で、宿泊地である宮崎でも1枚撮っておこうと、大淀川の河畔でフェニックスと共に、C57 の客車列車を撮影しました。


 本日のメインの撮影地は田野駅と日向沓掛駅の間で、カーブする線路を見下ろす小高い場所にて列車を待ちました。

 やって来たのは C57 の単機回送で、下り勾配を軽やかに転がって行きました。


 次は狙い目の上り貨物で、近づいてくる姿を見ると、煙が2本上がっているようです。


 幸運にも C57 と C56 の重連で、C56 もしっかりと力行運転してくれています。


 気を良くして田野駅に行ってみると、先程単機で通過した、門デフの C57 がホームの先端に停まっていました。


 寝台特急彗星を牽引して、DF50 が田野駅を通過します。


 今度は上りの普通列車の時間になったので、田野駅のはずれで、多数の腕木式信号機と共に撮影します。


 これにて日豊本線を離れて、宿泊地である人吉へと移動を開始しました。

 途中の今町駅と末吉駅の間で、志布志線の貨物列車を撮影できるので、逃がさないように迎え撃ちます。


 この頃の道路事情は、国道でも未舗装が多く速度が上がらないので、移動時間が多くかかり、撮影本数をあまり稼げませんでした。

2019年11月10日日曜日

 日ノ影線と日豊本線 1971.7.21

 この年に、川崎港から宮崎日向港へのフェリーが運航を開始したので、早速これを利用してクルマでの撮影旅行を計画しました。

 丸1日以上の乗船で、日向港に着くのはお昼をかなり過ぎてからなので、この日はあまり撮影できません。

 港から割合近くの日ノ影線に、丁度撮影できる貨物列車が設定されていたので、延岡駅から少し先の行縢駅に向かいました。

 この当時の日ノ影線は、その後延伸されて高千穂線と名前を変えましたが、高森線への全通はかなわず、台風被害で2008年に廃止されてしまいました。


 交換設備の無い無人駅を、形式入のナンバープレートを付けた C12 が、軽快に通り過ぎて行きました。


 追いかけもせずに、本日の宿のある宮崎へと向かいます。

 まだ明るいので、日豊本線の大淀川の鉄橋で撮影することにしましたが、最初に来たのは、DCの普通列車です。


 空模様が怪しくなる中、SLの煙が近づいて来ました。


 C57 の牽引する貨物列車で、この区間では、貨物列車もライトパシが担当しています。


 本日の撮影はこれだけで、明日から本格的な撮影が始まります。

2019年11月8日金曜日

 磐越西線 未電化区間の D51 1971.6.13

 会津線と日中線を撮影した翌日は、磐越西線の未電化区間に D51 を求めて行ったのですが、この日はクルマの手配が付かず、鉄道利用となりました。

 郡山駅から磐越西線の旅客列車に乗り込むと、沼上信号場で、ED77 牽引の客レ同士の交換になりました。


 また、会津若松駅に到着の際には、会津線の客車列車も同時にやって来ました。


 山都駅で下車し、有名なアメリカンブリッジカンパニー製のアンダートラス橋のふもとに行きます。

 昨日とはうって変わった晴天の下、D51 が牽引する貨物列車が姿を見せました。


 角ドームの D51 が、勢いよく煙を吹きながら通過します。


 下から見上げると、天空をかけるようです。


 駅に戻り移動しますが、鉄道利用なのでこの先に進むと撮影効率が悪いので、喜多方駅まで戻ります。

 阿賀川の支流の濁川の鉄橋まで歩き、上りの客車列車を待ちました。

 喜多方駅の手前なので、案の定、全く煙はありません。


 次の下り貨物は、駅の発車直後で、山都駅への峠越えなので、盛大な煙が期待できます。


 ところが焚き込み過ぎたようで、安全弁からは蒸気が上がるものの、肝心の煙はチョロチョロです。


 喜多方駅に戻ると、丁度発車する貨物列車があったので、駅構内のはずれでこれを撮影しました。


 磐越西線の未電化区間に、ほんの少し入っただけの撮影しかできず、ローカル線の撮影にはクルマが欠かせないようになってきました。

2019年11月6日水曜日

 日中走らぬ日中線の C11 1971.6.12

 喜多方駅から熱塩駅までわずか11.6kmの盲腸線である日中線は、朝・夕・晩の1日3往復だけの超閑散路線でした。

 日中線の日中は、熱塩駅の先にある日中温泉からとったようで、当初はさらに北に向けての延伸計画がありました。

 今回は会津線での撮影のあとに、夕方の列車を撮影すべく、熱塩駅に向かいました。

 C11 のバック運転で、列車が到着します。


 夕方なので、下校する学生が乗客の大半を占めています。


 車掌さんがポイントを切り替えて、機回しを行います。


 かつてはターンテーブルがあり、貨物扱いもありましたが、既に無人駅になっています。


 暫しの休憩後、殆んど乗客のいない客車2両の軽い荷を牽いて、走り去って行きました。


 会津加納駅では貨物扱いがあり混合列車になるので、その間に先回りして、鉄橋で通過を待ちます。


 さらに会津村松駅でも追い越せました。


 陽の長い時期ですが、既に夕空が広がる中を、C11 が通過して行きました。