小樽築港機関区

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2022年7月31日日曜日

 久しぶりに訪れた 愛知こどもの国 2019.12.1

 協三工業製の石炭炊きのSLが運転されている 愛知こどもの国 ですが、名古屋に向かう前に、久しぶりに寄ってみることにしました。

 前回の訪問から十数年が経過していて、調べてみると変わりなくSLが動いているとのことで、新幹線から在来線、そして名鉄蒲郡線を乗り継いで行きました。

 早速以前撮影した、線路横の擁壁の上に向かったのですが、長い年月のうちに木々が成長していて、かつてのアングルからは全く撮影できません。

 それでもなんとか線路が見える隙間を見つけ、やって来る列車を待ちました。


 撮影出来るのは、ほんのわずかの隙間だけです。


 高台の上の三河湾を望む場所は、邪魔な枝が伸びているものの、撮影可能でした。


 ここはSLの正面は影になりますが、側面には日が当たります。


 以前は手前のSカーブまで撮れたのですが、木の枝にかかるまでの間しか撮影できませんでした。


 駅の詰め所を訪問し、話を聞きますと、以前は線路端での撮影許可が出たのですが、ここのところ外国からも大勢やってきて、混乱しているので、立入りは禁止にしているとのことです。

 他の場所も木が伸びて撮れなくなっていたので、仕方なくもう一度高台に登りました。


 わずかにアングルを変えての撮影です。


 縦画面にし、ズーミングして撮影しました。


 手前の枝がギリギリで、撮れるのはここまでです。


 最後は大人しく、踏切からにしました。


 ここはモロに逆光になります。


 どんなのが撮れるのか、分からないままシャッターを切り続けました。


 黒い塊が、目の前を通り過ぎて行きます。


 どこの撮影地にもあることですが、十年以上たつと変わってしまい、思うように撮れなくなってしまう所ばかりです。


2022年7月29日金曜日

 秩父のC58 と 八ッ場ダムに沈む吾妻線 2019.10.6

 この日は群馬県の嬬恋高原に向かったのですが、その途中で得意の寄り道に、先ずは秩父鉄道に向かいました。

 秩父路の奥まで入るとあとが大変なので、波久礼駅と樋口駅の間の、線路を跨ぐ国道でカメラを構えます。

 最初に来た普通列車は、見慣れた東急電車でした。


 そして遠くから C58363 が近づいて来ましたが、この場所は邪魔物が多く、望遠での撮影は困難です。


 眼下に来たところで、連写しました。


 そして最後は広角で。


 このあとは関越道に乗り、北に向かって走り渋川インターで降りて、一般道で吾妻川沿いを西に走ります。

 やがて世間を騒がせた八ッ場ダムに着きますが、このあたりの吾妻線の線路は長い区間で付替えられ、かつての最短トンネル等の撮影地は無くなってしまいました。

 この時はまだダムは未完成で、貯水が開始されていないので、道路から見下ろすと吾妻線の線路跡が残っています。


 線路と併せて国道も付替えられましたが、線路の左上の高い所に見られました。


 線路は撤去されていましたが、鉄橋のガーダーはそのまま残されています。


 道路も線路も、ずいぶん高い所に付替えたことが分かります。


 遠くにはほぼ完成したダムの姿があり、そのうちに手前の方には水が満たされ、線路跡も見えなくなってしまうのでしょう。


 古くは足尾線の草木ダムも同様でしたが、ここははるかに大きなスケールでした。

2022年7月27日水曜日

 三笠炭鉱遺跡と幌内線跡(その2) 2019.9.16

 炭鉱遺跡を訪ねたあとは幌内線の線路を辿ったのですが、何もなかった幾春別駅の次は弥生駅なのに、1km少々の距離しかないのでうっかり通り過ぎてしまい、唐松駅に行ってしまいました。

 線路は撤去されているものの、広い構内と長いホームに、立派な駅舎が残されていました。


 駅舎の中には、廃止間近の頃のものでしょうか、手書きの時刻表が張り出されたままになっています。

 駅前広場側も、綺麗に整備されていました。


 唐松駅の次は、貨物線の分岐していた三笠駅です。

 三笠駅周辺はクロフォード公園と称して、広い範囲が整備されており、車両も保存されています。

 跨線橋の残るホームには、DD51 が貨物を牽引する格好で置かれ、以前訪れた時と変わらず綺麗な姿でした。


 一方その先に置かれている キハ82系 特急編成は、色はあせて、一部の車体は腐食が進んでいて、保存の手が及んでいないようです。


 このクロフォード公園の先からは、三笠鉄道村まで線路跡を利用したトロッコが運行されていますが、その手前に鉱山用のDLが置かれていました。


 説明板も無く、錆が出始めていたのが気になります。


 三笠駅に戻りまして、この駅舎は綺麗な状態で、内部は店舗として利用されていました。

 駅名版には、かつての駅名であった 幌内太駅 と書かれています。


 岩見沢駅とのほぼ中間に、最後の萱野駅が残されていました。


 ホームに ヨ が1両だけ置かれていますが、駅名標の次駅は 幌内太 になっています。

 そして、何故か ヨ の端部には時計が取付けられていました。


 石碑も置かれ、駅舎は綺麗に保存されています。


 これで幌内線関係は終わりですが、ここまで来たらついでに美唄炭鉱が見たくなりました。

 車だとすぐの距離なので向かうと、最初に目に入るのが美唄鉄道の東明駅のEタンクです。


 相変わらず良い状態で、ホームも残っていました。


 駅舎の方は施錠されていて、中の様子は分かりません。


 外観は、とてもきれいに保たれていました。


 この先、竪坑櫓の残る美唄鉱跡を目指したのですが、途中から急に悪天候になり、大雨のため諦めて引き返してしまったのです。


2022年7月25日月曜日

 三笠炭鉱遺跡と幌内線跡(その1) 2019.9.16

 幌内線は岩見沢駅を起点とし、途中の三笠駅で二方向に分かれて、幾春別駅に向かう本線と、幌内駅に向かう貨物支線がありました。

 その幌内駅が前回の S-304 が保存されている場所で、さらにその奥にはかつての炭鉱の遺跡が残されています。

 三笠鉄道記念館前の道を更に進むと、ずっと奥の方には旧北炭幌内炭鉱変電所が残されていました。


 建屋の横には、鉄骨で組まれた送電用の設備もあります。


 このあたりは幌内炭鉱景観公園として、遊歩道が整備されていました。


 そのあちらこちらに、産業遺構が残されています。


 貨物支線側はここまでにして、本線の終点、幾春別駅に向かいました。

 駅のあったあたりに来たのですが、それらしきものは何もありません。


 駅の遺構は全く残っておらず、石碑と、駅を模して作ったという便所があるだけでした。


 ここから北に向かって少し行くと、旧住友奔別炭鉱の遺構があります。


 立坑とその他の建物が見られますが、ここは立入禁止になっていました。


 幾春別駅の先に道を進み、三笠市立博物館にクルマを停め、幾春別川を渡って炭鉱遺跡の方へと進みます。

 ここには、旧北炭幾春別炭鉱錦立坑櫓がありました。


 北炭の星マークが、しっかりと残っています。


 近くには、付属の建屋も残っていました。


 掘り出した石炭の輸送のため、これら奥地には森林鉄道が敷設されていて、説明板が設置されています。


 この近くには、森林鉄道の路盤が残っていました。


 小さな川を渡る鉄橋の、コンクリート製の基礎もあります。


 三笠炭鉱の遺跡巡りはここまでで、このあとは幌内線の跡を辿りました。