小樽築港機関区

小樽築港機関区

2022年9月29日木曜日

 函館ハイカラ號 の撮影(その1) 2022.7.9

 函館市交通局(函館市電)では、観光促進の一環として、クラシカルな 函館ハイカラ號 を季節や曜日を限って運行しています。

 30形電車で、かつてはササラ電車に改造され使用されていたものを、1992年に市制70周年記念事業として再改造して誕生したものです。

 ところがコロナの影響で長らく運休していましたが、この年の7月9日(土)から運行されることになったので、真面目に撮影に行きました。

 この電車は雨天には運行されず、朝から曇っていたので心配したのですが、予定通り行われるとのことで、十字街停留所近くの函館山をバックに撮れる場所に行きました。


 函館山の頂上は、かすみながらも見えていて、函館どつく行きの 8008 が通過しました。


 十字街停留所で、谷地頭からの 8003 と並んでいます。


 路面電車の撮影では、車と被らないかは運次第で、ここまではうまくいきました。


 函館駅方向から、函館ハイカラ號 が近づいて来ます。


 山頂が霞んでいるのは残念ですが、無事に山を入れて、後ろ姿を撮影できました。


 十字街 から 函館どつく へと走り去りましたが、左側の黄色の塔は、二方向へ分岐する信号扱い所の名残りです。


 後を追って、超低床車の 9604 が通り過ぎました。


 函館ハイカラ號 は臨時電車なので、終点での折り返しは、9604 が先にやって来ます。


 続いて 函館ハイカラ號 が接近して来ますが、バックの建物は、このあたりが栄えた頃には百貨店でした。


 十字街停留所 に停車しましたが、このあたりでも邪魔物なしで、うまいこと撮れます。


 函館駅方向に去っていくのを、撮影しながら見送りました。


 午後からは谷地頭方面への運転ですが、それはまた次回に。


2022年9月26日月曜日

 稚内 から 函館 へ(その2) 2022.7.1

 小樽で一泊し、この日は山線経由で函館駅まで乗車します。

 小樽駅発10時53分の1936Dですが、これを逃すと夕方まで倶知安駅で連絡する列車は無く、また、長万部まで通しの列車もありません。

 かつてSL現役の頃の、急行ニセコ が走っていた時代とは雲泥の差があります。

 小樽駅は昔ながらの、堂々とした駅舎で、風格があります。


 駅構内のランプが有名ですが、ホームの柱にも取り付けられていました。


 中線のホームには、札幌方面行きの電車が並んでいます。


 倶知安行きの2両編成が入線してきました。


 H100型 の電気式気動車で、モーターで走行します。

 のんびりとした旅ができると思っていたのですが、山線が廃止されるのが報じられたためか、多くの旅行客で立ち席の人もかなりいました。


 電気モーターの威力で、オタモイ峠や銀山峠もなんのその、どこが勾配区間か分からないまま、途中の小沢駅で交換のため、しばらく停車します。


 長い跨線橋は残っていましたが、既に多くの線路は撤去され、昔のような活況は有りませんでした。


 SL時代と比較すると、ホームの長い上屋も無くなっています。


 対向の下り列車が到着しました。


 もう一つ峠を越えると、終着の倶知安駅です。

 車内アナウンスで、乗り継ぎ列車は1両なので混雑が予想されると告げられ、急いで出口に向かい、なんとかここでも座席を確保できました。


 ホームから少し離れた所には、かつて使用されたターンテーブルが展示されていますが、線路は繋がっていません。


 倶知安駅では、既に新幹線を見据えた準備工事を行っています。


 小樽駅からの列車はこの行き止まり線に停車し、ホームの右側に、長万部行きが上の写真の庫から入線してきました。


 車内は満員で、運転席から前方を見ることなど叶わず、車窓から眺めるだけです。

 ニセコ駅に着きましたが、反対側のターンテーブルは確認できませんでした。


 蘭越駅に到着。

 この先、上目名に向けての上り勾配が続きます。


 目名駅ですが、隣の上目名駅は、もうとっくに無くなっていて、駅名標にもその痕跡は見当たりませんでした。


 ここから旧勾配のはずですが、モーター音は特に変わらず、また、勾配の終わる直前には長いスノーシェッドがあったはずですが、何もわからないまま熱郛駅に到着です。


 次の黒松内駅では、反対ホームの向こうに、かつてのヤードの跡と思しき、平地が広がっていました。


 ここからは小さな峠越えで、サミットには蕨岱駅があったはずですが、これまた何も気づかないまま二股駅に到着です。


 当初の思惑とは違った旅が終わり、長万部駅に着いた単行電気式気動車からは、大勢の乗客が降り立ちました。


 跨線橋から乗って来た列車の回送を見送りましたが、駅構内は広い空き地になっていて、まだ新幹線のための工事は始まっていないようです。


 長万部駅の待合室には、新型車両であるH100形のドアの開閉方式が掲示されていました。


 長万部駅からは 特急北斗12号 に乗車、途中交換のため駒ヶ岳駅に運転停車しましたが、このあたりでも駅の廃止が進み、駅名標の隣駅の表示は、森駅に書き換えられています。


 函館駅には定刻の16時8分に到着しました。


 今回は時間が惜しいので、山線以外は特急を利用しましたが、宗谷本線がいつ廃止になるかも予断が許さず、早々に機会を得て、各駅停車での長旅を楽しみたいと思っています。


2022年9月23日金曜日

 稚内 から 函館 へ(その1) 2022.6.30

 北北海道の廃線を巡った翌日は、利尻島と礼文島に渡り、鉄道とは無関係の普通の観光を行いましたが、このブログでは省略します。

 今回の旅行では、稚内駅から函館駅まで鉄道に乗ることも目的だったので、この日は稚内駅発6:36の 特急サロベツ2号 に乗車しました。

 そのまま乗り継げばこの日のうちに函館駅に着けるのですが、函館本線の山線に乗車するのが大前提だったので、山線の始発駅である小樽駅までがこの日の乗車工程です。

 特急サロベツ2号 が、1線しかないホームに進入して来ました。


 最北の車止めの前に停車します。


 進行方向右側の席を予約し、海側の景色を楽しみますが、前日行った利尻島がきれいな姿を見せてくれました。


 とりあえず廃止を免れた、SL時代に何度か訪れた抜海駅を通過します。


 その後も利尻富士が目を楽しませてくれますが、南下するにつれて、少しづつ姿を変えて行きました。


 羽幌線が分岐していた幌延駅に着きましたが、それらしき面影は見当たりません。


 以前車で回った時に立寄った音威子府駅ですが、その時にはまだ駅ソバ屋が営業していたのでした。


 この先もSL時代を思い出しながら車窓を眺めていましたが、峠越えの頂点にある塩狩駅は高速で通過するので、見落とすところでした。


 運転途中での遅れにより、旭川駅での乗り継ぎは時間が無く、特急ライラック18号 に飛び乗ることになり、旭川駅での撮影ができません。

 なので、札幌駅で下車してから撮ったのですが、カメラの設定を忘れていて、暗いカットになってしまいました。


 札幌駅からは 快速エアポート に乗車し、終着が小樽駅です。


 小樽駅は広い構内が健在ですが、電車ばかり並んでいました。


 到着後は小樽観光ですが、観光資源として手宮線の線路が残されていて、その説明板も設置されています。


 翌日は、いよいよ山線に数十年ぶりに乗車します。


2022年9月21日水曜日

 北 北海道の廃線を巡る(その2) 2022.6.28

 名寄本線の跡を辿って興部駅まで来ましたが、オホーツク海を南下する名寄本線と分かれて、海沿いを北に向かいました。

 興部駅から雄武駅まで約20kmの興浜南線がありましたが、途中の駅跡は見つからず、雄武駅跡に着きました。

 ここは 道の駅おうむ という施設になっていて、その隅の方に記念碑が残されていました。


 記念碑に記されているように、駅名は 雄武(おむ) だったのですが、いつの間に読み方が変わったのでしょうか。

 ここから、次の目的地の北見枝幸駅まで線路は無く、興部駅と浜頓別駅の間が1本に結ばれなかった区間です。

 興浜北線の終点、北見枝幸駅跡は、交通公園として整備されていました。


 入り口横には、モニュメントが建てられています。


 余談ですが、この公園の隣には古い食堂があります。

 営業はしていませんが、建物の風情と 一級食堂 という名前が気になりました。


 興浜北線沿いを北に進み、整備された国道から分かれて旧道を進むと、北見神威岬灯台が見えて来ます。

 ここは斜内駅と目梨泊駅の間で、この灯台を入れたカットが興浜北線の目印になっていました。


 このあたりには線路跡と思しき細い路盤が残っていて、グーグルで空から確認できます。


 浜頓別からは天北線の跡を辿るのですが、それらしきものは見当たりません。

 途中に 飛行場前 という面白い名前の乗降場があったようで、バスの停留場に名前が残されていました。


 線路は道路から少し離れたところを通っていたとのことで、乗降場の跡は不明です。

 同じバス停の南方面行は、なかなか良い建物でした。


 次に向かったのは鬼志別駅で、ここは主要駅であったこともあり、バスターミナルとして整備されていました。


 その中の一室には、天北線の資料が保存・展示されています。


 これだけの資料が展示されているのに、誰も居ず、立ち入り自由でした。


 懐かしき、タブレット閉塞器もありました。


 この先は内陸部に入って行きますが、小石駅、曲淵駅は見当たらず、沼川駅跡は容易に見つけられました。


 ここには駅名標や紹介写真等は綺麗に整備されていますが、駅舎やホーム跡は残っていませんでした。


 この先、稚内へと向きを北に変えるのですが、レンタカーの返却時間が迫ってきて、途中にあった駅を探すことができずに、稚内まで戻ってきてしまいました。