小樽築港機関区

小樽築港機関区

2019年7月12日金曜日

 SLを求めてうろついた一日(その2) 1968.2.18

 前回に続いてこの日もフィルム1本入れただけのカメラを提げて、今度は千葉方面へと向かいました。

 新小岩駅で下車、近くにある線路をオーバークロスする陸橋に上がると、機関区やヤードを見下ろすことができます。


 C58 が入れ替え作業をやっていましたが、架線を避けての撮影です。

 反対方向からは D51 が貨物を従えて、通り過ぎて行きました。


 ここではこれだけで切り上げて、千葉駅に向かいました。

 今のようなビルに囲まれていない千葉駅から、本千葉駅方向に歩きました。

 この区間では外房線と内房線の両方の列車が見られ、効率的なのですが、当然ながら良い景色ではありません。


 DC混結の普通列車が下って行き、上りのSL列車が見えたので踏切の反対側に回ります。


 1桁ナンバーの C58 が短い貨物を牽いて通過しました。

 房総方面には多くのDC急行が運転されていて、急行そとうみ が大きな愛称板をかかげて上って行きます。


 どこかの駅の入換に向かうのか、C58 の単回がバック運転で通過します。


 次に下って来た 急行そとうみ は、キハ28系の整った編成です。


 傾きかけた陽射しの中をやって来たのは、キハ35系を連ねた編成で、外吊戸がずらりと並んでいます。


 ようやく待ち焦がれた客車列車がやって来ました。


 C57 が長編成を牽引し、その雄姿を見せてくれました。

 今度は左から単機回送が、右からは貨物列車が目前ですれ違うように近づいて来ました。


 当然ながら D51 牽引の貨物の方を撮影します。


 その D51 の後追いを撮ったところで、フィルムが無くなりました。

2019年7月10日水曜日

 SLを求めてうろついた一日(その1) 1968.2.4

 この日は煙を求めて、朝から首都圏をうろつきました。

 先ずは山手赤羽線、今では路線名も変わってしまいましたが、赤羽線にはまだ D51 牽引の貨物列車が残っていたので撮影に行きました。

 十条駅で下車し、撮影場所を探したのですが見つからず、駅に戻って跨線橋からの撮影となりました。


 ちょうど停車中の101系の脇を走り抜けて行きました。

 次は上野駅の常磐線ホームです。


 成田線直通の C57 牽引の客レが、発車待ちをしていました。

 北側からは、このホームに到着の常磐線の下駄電が入線してきます。


 そのあとには 寝台特急はくつる を牽引して、EF58 がやって来ました。


 はくつる の写真を撮るならば、もっとましな場所に行ったのでしょうが、この当時はSLばかりを撮っていて、ついでの撮影なのでこんなカットしか有りません。

 次は大宮駅まで移動です。

 大宮機関区を目指したのですが、途中の道路橋から、丁度発車してきた川越線の貨物列車を撮影できました。


 当時は鉄道の町として栄えた大宮ですが、機関区を訪問すると、ごく気楽に迎えてくれました。


 多くのSLがいて、その煙であたりが霞んでいます。


 クラの中にもお邪魔しました。


 機関区の脇では、D51 が貨物列車の仕分けをしています。


 北国から到着した貨車の屋根には、白い雪が積もっていました。


 本線上では、クモユニ74を連ねた荷電が通過して行きます。


 大宮駅に戻り帰途に着いたのですが、最後の1枚でお隣の東武線を撮ったカットが残っていました。


 フィルム1本だけであちこち走り回った、楽しい一日でした。

2019年7月8日月曜日

 二月の 八高線 1968.2.2

 1年で一番寒い時期ですが、中高一貫校に通っていたので、この日は入試2日目でお休み、それならばと先月貨物が少なかった八高線を再訪しました。

 着いたのは東飯能駅で、高麗川駅との間のサミットを目指します。

 その前に、丁度上り貨物が発車するので、駅構内で撮影します。


 サミットの手前でも上り貨物列車の時間になったので、線路から少し離れてサイドから撮影しました。


 サミット近くの崖の上に登り、下りの D51重連 の通過を待ちます。


 既にサミットを越えているのに、安全弁を吹き上げていました。

 今度は反対方向から、D51重連 がやって来ます。


 煙で2両目以降、隠れてしまいました。

 このあとは東飯能駅へと戻ったのですが、駅の手前で下りの貨物が来ましたが、これも D51重連 が牽引しています。


 今度は駅を通り過ぎて、金子駅方向の開けた場所に行きました。

 傾いた陽射しの中を、C58 が下り勾配を駆け下りて来ます。


 交換で D51 牽引の上り貨物が、金子坂を目指して勢いよくやって来ました。


 受験生が頑張っているときに、のんきに撮影を楽しんだ一日でした。

2019年7月6日土曜日

 足尾線の C12重連 1968.1.28

 足尾線には珍しい C12 が使われており、その上重連もあるらしいとのことで、友人と二人で渋谷の家から出かけました。

 この当時は東武鉄道には全く馴染みが無かったので、国鉄利用で高崎線から両毛線、そして足尾線と乗り継ぎ、重連区間である神土駅に着いたのは既に午後になっていました。

 このあたりは神戸(ごうど)という地名ですが、神戸(こうべ)駅と区別するため、神土駅となっていたようです。

 今はダムの底に眠る草木駅方向に、撮影場所を求めてどんどん歩いて行くと、間もなく上り貨物列車が C12 のバック運転でやって来ました。


 撮影後、横からのアングルを求めて川原へ降りると、今度は C12 が単機で下って来ました。


 次の下り貨物を重連で牽引するためです。

 しばらくすると逆光の中を、勢いよく煙を吹き上げながら C12重連 が近づいて来ました。


 先程単機で下って行ったのが、次位に連結されています。


 重連とはいえ速度が遅いので、何度もシャッターを切れます。


 初めて見る C12重連 は、大迫力でした。


 急いで神土駅に向かったのですが、あまりに遠くまで来ていたようで、途中で乗車すべきDCに追い抜かれてしまいました。

 次の列車まで長い時間を待っていると、夕闇が迫る中に、また下りの貨物列車が神土駅に到着しました。


 しばらく停車後、単機牽引で足尾駅も目指して発車して行きました。


 結局この日の帰宅は夜遅くなり、親からのお小言を神妙に聞く羽目になったのです。

2019年7月4日木曜日

 9600牽引の正月臨が走った 八高線 1968.1.4

 毎年お正月には高尾に向けて臨時列車が運転されていましたが、この年も八高線に 9600 の牽く臨客が走ることを知り、撮影に行きました。

 三が日明けの4日、この日も快晴で、金子坂の頂点の金子駅に降り立ち、東飯能駅方向に向けて歩きました。

 正面に日差しを浴びたキューロクが遠くから確認でき、鉄橋を渡って来ました。


 この後しばらく線路際にいたのですが、貨物列車が全く来ないので、高麗川駅まで行ってみました。


 駅の構内には、両数が少ないものの、この線で使用されている各形式が揃っていました。


 ターンテーブルでは D51 が向きを変え、9600 は入換をやっています。


 この日の運転状況を尋ねると、正月なので荷が少なく、殆んどの貨物列車が運休とのことなので、高麗川駅の先で、川越線のDC列車を撮影。


 数少ない貨物の時間が近づいたので、東飯能駅方向に歩き、列車の通過を待ちます。


 先程いた C58 が、わずか2両を牽いて駆け抜けて行きました。

 次の貨物は下りなので、サミットまで急ぎました。


 サミットのわずか手前で D51 が来てしまいましたが、列車後部がまだ上り勾配上なので煙を上げていました。


 交換でやって来る各停DCを撮影後、高麗川駅まで戻りました。


 給水塔の前に D51 がいましたが、このあと当分貨物列車は無いので、これにて引き上げました。

2019年7月2日火曜日

 電化の迫る 御殿場線 1967.9.23-24

 東京から程近い御殿場線ですが、クルマ社会ではなく、まして学生の身ではおいそれとは撮影に行けませんでした。

 それでも電化が翌年に迫って来たので、友人と二人で頑張って行くことにしました。

 その友人の親戚が沼津に在住で、土曜日に泊めてもらえることになり、昼で学校が終わると沼津駅を目指して旅立ちました。

 まだ陽のあるうちに到着したので、沼津駅のはずれの線路端に向かうと、C50 が入れ替え作業をやっていました。


 また、御殿場線の脇では、夕方の通勤列車の組成作業を D52 がやっていて、その1本前のDC列車が本線を通り過ぎて行きました。


 翌日未明に飛び起きて、朝一番のDC列車で向かったのは、富士岡駅と岩沼駅の間の急勾配区間です。

 通勤列車は長編成なので客車列車で運転されていて、これが狙い目なのですが、線路端を歩けども両側にススキが迫り撮影場所が見つからないうちに、下りの客レが来てしまいました。


 そして本命の上り客レも、同じ様な場所で撮ってしまいました。


 朝日が昇って暖かくなり、早起きのせいでうたた寝をしていたら、D52 のドラフト音で目が覚め、慌てて数少ない貨物列車を撮影しました。


 このあとは客レなので通過時間は分かっていたのですが、やはりロクな場所を探せませんでした。


 まだ明るい昼間なのですが、明日の学校に備えて早々と御殿場駅から小田急の乗り入れDCに乗車し、新宿駅まで戻りました。


 結局御殿場線の D52 の撮影はこれが最後で、良い被写体なのにそれに見合う腕が無く、今でも残念に思います。