丸瀬布の 雨宮21 を撮影した翌日は、かつての国鉄池北線、その後の北海道ちほく高原鉄道の陸別駅を見に行きました。
1989年にJR北海道から移管され、ふるさと銀河線として再出発したのですが、2006年の4月に赤字で廃止されてしまいました。
その車両が、バスターミナルとして使われている陸別駅の構内に保存されていたのです。
構内には線路やホーム、その他の建物類も車両とともに保存されていました。
松本零士のキャラクターが描かれた車両もありました。
一部の車両では、塗装がはがれて錆が見られます。
ホームの屋根に覆われたところに保存された車両は、状態も良く、今にも走り出しそうに見えます。
ラッセル等の車両もいました。
廃線に反対した陸別町は、2008年4月には ふるさと銀河線りくべつ鉄道 という名称で再々出発し、一部の既存レール区間での運転や体験運転等を実施し、賑わいを見せているそうで、そのうちにDCの運転に行ってみたいと思っています。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで
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現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
小樽築港機関区
2019年4月29日月曜日
2019年4月27日土曜日
初夏の北海道 丸瀬布 2011.7.10
2011年の前半は殆んど鉄分が無く、本格的な撮影旅は7月になってからの北海道旅行でした。
旭川空港に降り立ち、意気揚々とレンタカーで向かったのは、雨宮21 の走る 丸瀬布いこいの村 です。
この日はあいにくの空模様で、雨は降らないものの、どんよりとして、コントラストの無い日和でした。
相変わらずハッセルを抱えて、駅の発車から、あちらこちらと場所を変えながら撮影を続けます。
天気が思わしくないのでお客さんも少なく、わずかな乗客を乗せて、雨宮21が走っています。
初夏の北海道では本州と異なり、それ程木々の緑が濃くありません。
バックの低い山にも、雲が垂れ込めていました。
新しいアングルを求めて、あちらこちらをうろつきます。
とうとう乗客がいなくなり、運休しそうになったので、つれ合いを乗客として送り込みました。
私が撮影するために、雨宮21 は走り続けてくれました。
明日からは観光を兼ねながら、鉄分を求めて道内をめぐります。
旭川空港に降り立ち、意気揚々とレンタカーで向かったのは、雨宮21 の走る 丸瀬布いこいの村 です。
この日はあいにくの空模様で、雨は降らないものの、どんよりとして、コントラストの無い日和でした。
相変わらずハッセルを抱えて、駅の発車から、あちらこちらと場所を変えながら撮影を続けます。
天気が思わしくないのでお客さんも少なく、わずかな乗客を乗せて、雨宮21が走っています。
初夏の北海道では本州と異なり、それ程木々の緑が濃くありません。
バックの低い山にも、雲が垂れ込めていました。
新しいアングルを求めて、あちらこちらをうろつきます。
とうとう乗客がいなくなり、運休しそうになったので、つれ合いを乗客として送り込みました。
私が撮影するために、雨宮21 は走り続けてくれました。
明日からは観光を兼ねながら、鉄分を求めて道内をめぐります。
2019年4月25日木曜日
再び 変形デフの D51498 を求めて 2010.11.27
この年は7月に続いて晩秋の軽井沢を訪れましたが、その際にも 変形デフのD51 の写真が撮りたくて、上越線まで足を延ばしました。
相変わらずのハッセルで1枚だけ撮影し、上牧駅の先まで追いかけました。
ここでは側面に日を受けて、変形デフを輝かせながら通過して行きました。
峠の湯駅に向かうシェルパくんと並走になり、面白いカットが撮れました。
撮影場所は前回と同じで、敷島駅と津久田駅の間のSカーブを見下ろす藪の中です。
太陽が低くなり、前にもまして半逆光の条件の中、気温が低いので白い煙を上げながら近づいて来ました。
相変わらずのハッセルで1枚だけ撮影し、上牧駅の先まで追いかけました。
ここでは側面に日を受けて、変形デフを輝かせながら通過して行きました。
大幅な寄り道をしたので、早々に南下して軽井沢に向かったのですが、それでもこれだけではすませずに、横川駅の碓氷峠鉄道文化むらに立寄りました。
園内には入らず、外からグリーンブリーズ号の撮影です。
峠の湯駅に向かうシェルパくんと並走になり、面白いカットが撮れました。
この日の撮影はこれだけで、秋の日が既に傾いてきており、急いで目的地へとクルマを走らせました。
2019年4月23日火曜日
上越線のD51498 と 野辺山SLランド 2010.7.30
この年は7月末に夏休みをとり、その行きがけに変形デフの D51498 を撮影したのですが、今回はその帰り道です。
もう一度変形デフの姿を撮影したくて、沼田駅の手前のカーブ地点に向かいましたが、以前は線路レベルにあった道路が付替えられて、山越えの坂道になっていました。
何とか撮影場所を探して列車を待ちますが、昔と変わらないのが、丁度列車の高さにある目障りなケーブルです。
沼田駅では停車時間があるので、後閑駅側に移動して撮影場所を探したのですが、うまい場所が見つかりません。
そうこうしているうちに発車時間になってしまい、苦し紛れに撮ったのがこのカットです。
帰り道なのでこれ以上は追いかけず、D51498 の撮影はおしまいです。
それでもどこか無いかと向かったのが、しょっちゅう立寄った、野辺山SLランドです。
ここではハッセルは使わず、小型のデジタル機です。
7月末では、まだコスモスの花はわずかに咲いているだけでした。
これだけを撮って、明日からの仕事に備えて早々に自宅に向かいました。
もう一度変形デフの姿を撮影したくて、沼田駅の手前のカーブ地点に向かいましたが、以前は線路レベルにあった道路が付替えられて、山越えの坂道になっていました。
何とか撮影場所を探して列車を待ちますが、昔と変わらないのが、丁度列車の高さにある目障りなケーブルです。
沼田駅では停車時間があるので、後閑駅側に移動して撮影場所を探したのですが、うまい場所が見つかりません。
そうこうしているうちに発車時間になってしまい、苦し紛れに撮ったのがこのカットです。
帰り道なのでこれ以上は追いかけず、D51498 の撮影はおしまいです。
それでもどこか無いかと向かったのが、しょっちゅう立寄った、野辺山SLランドです。
ここではハッセルは使わず、小型のデジタル機です。
7月末では、まだコスモスの花はわずかに咲いているだけでした。
これだけを撮って、明日からの仕事に備えて早々に自宅に向かいました。
2019年4月21日日曜日
変形デフと集煙装置を付けた D51498 2010.7.25
前回の記事から1年近くあとになりますが、この間はハッセルを使った山口線ばかりで、これらは既に発表済ですので、今回の上越線の D51498 がその後の未発表作品になります。
ハッセルでの撮影ですので、一発必中です。
撮影後の追いかけでは、後閑駅と上牧駅の間の築堤を見上げる場所に来ました。
夏草が茂っていて、足回りが隠れてしまいました。
デフの真ん中には、後藤工場のマークまで付けられていました。
帰りの列車の撮影場所は、水上駅の先の諏訪峡近くの、下り列車を追いかけて撮影する地点です。
D51498 は、この年の4月に中央線での運転に備えて集煙装置を取付け、併せてデフも後藤工場製の大型変形タイプに似せたものに交換されました。
この姿は、現役の頃の D51499 に酷似していますが、福知山区で働いていた頃の姿はかなり以前にアップしていますのでこちらもご覧ください。
今回の撮影地ですが、敷島駅と津久田駅の間のSカーブを見下ろす地点です。
ハッセルでの撮影ですので、一発必中です。
撮影後の追いかけでは、後閑駅と上牧駅の間の築堤を見上げる場所に来ました。
夏草が茂っていて、足回りが隠れてしまいました。
このあとは水上駅に行き、停車中の D51498 を撮影します。
デフの真ん中には、後藤工場のマークまで付けられていました。
帰りの列車の撮影場所は、水上駅の先の諏訪峡近くの、下り列車を追いかけて撮影する地点です。
ここまでで切り上げて、この年の夏休みに入りました。
2019年4月18日木曜日
晩夏の秩父路は いつも曇り空 2009.8.30
恒例の遅い夏休み、この年は秩父鉄道の C58363 を久しぶりに見ようと立寄りました。
しかしながら、どうもこの時期の秩父地方とは天気のめぐりあわせが良くないようで、この日も朝からどんよりと重たい空模様でした。
最初に向かったのは大麻生駅と明戸駅の間の、荒川の土手です。
SL列車まで時間があり、今回もハッセルで普通電車を撮りながら過ごします。
昔ながらの元国鉄101系が通過し、反対からは元東急の8500系がやって来ました。
各地で東急のお下がりがはびこってきているようです。
やっとパレオエクスプレスのお出ましですが、煙は皆無で、曇天に黒い車体が沈んでしまいました。
次の撮影地は定番の、上長瀞駅と親鼻駅の間の荒川に架かる鉄橋ですが、こちらでも先行する普通電車を撮って過ごします。
ここでは鉄板電車ばかりがやって来ました。
間もなく C58363 が姿を現わしましたが、この日の煙はどうも景気が悪いようで。
もう一度追いかけて、今度は武州日野駅の先です。
とうとう雨が落ちてきて、薄暗い中をやって来ました。
緑色のナンバープレートは、雨の中では色が良くわかりません。
帰りの列車の撮影は、黒谷駅にほど近い、荒川に合流する手前の横瀬川にかかる鉄橋です。
ここでも煙は全くスカで、天候と煙に見放された一日でした。
しかしながら、どうもこの時期の秩父地方とは天気のめぐりあわせが良くないようで、この日も朝からどんよりと重たい空模様でした。
最初に向かったのは大麻生駅と明戸駅の間の、荒川の土手です。
SL列車まで時間があり、今回もハッセルで普通電車を撮りながら過ごします。
昔ながらの元国鉄101系が通過し、反対からは元東急の8500系がやって来ました。
各地で東急のお下がりがはびこってきているようです。
やっとパレオエクスプレスのお出ましですが、煙は皆無で、曇天に黒い車体が沈んでしまいました。
次の撮影地は定番の、上長瀞駅と親鼻駅の間の荒川に架かる鉄橋ですが、こちらでも先行する普通電車を撮って過ごします。
ここでは鉄板電車ばかりがやって来ました。
間もなく C58363 が姿を現わしましたが、この日の煙はどうも景気が悪いようで。
もう一度追いかけて、今度は武州日野駅の先です。
とうとう雨が落ちてきて、薄暗い中をやって来ました。
緑色のナンバープレートは、雨の中では色が良くわかりません。
帰りの列車の撮影は、黒谷駅にほど近い、荒川に合流する手前の横瀬川にかかる鉄橋です。
ここでも煙は全くスカで、天候と煙に見放された一日でした。
2019年4月16日火曜日
東急の事業用車 デヤ7200 2012.2.26
前回に続いて東急線の記事を載せます。
東急唯一のアルミ車を改造した事業用車、デヤ7200 7290 が、新製された TOQi に置き換えられることになり、この日にさよなら運転が行われました。
この種の最後の運転等には無関心だったのですが、なにぶん毎日お世話になっていた田園都市線を走るので、歩いて3分の撮影地に向かいました。
ここでの上り電車は前からは撮れないので、後追いでの撮影となります。
追いかけての撮影はせずにこれだけですが、目的の電車を撮影する前に通過した、見慣れた車両もついでに撮っておきました。
田園都市線の主力として、8500系は変わらずに君臨していました。
営団の8000系も、新製投入以来変わらずに健在です。
久方ぶりの新車、5000系も通過しました。
この頃、6扉車を組込んだ編成には、前面に6扉のステッカーが貼られていました。
東武鉄道の車両も乗入れてきますが、シルバーシートの位置が異なっており、戸惑うことがありました。
昼間は大井町線への6000系直通急行も、長津田駅始発で運転されています。
この当時はまだ6両編成です。
現在はさらに新型車も投入されていますが、撮影したこれらの車両は、小変化があったものの、今も元気に走り続けています。
東急唯一のアルミ車を改造した事業用車、デヤ7200 7290 が、新製された TOQi に置き換えられることになり、この日にさよなら運転が行われました。
この種の最後の運転等には無関心だったのですが、なにぶん毎日お世話になっていた田園都市線を走るので、歩いて3分の撮影地に向かいました。
ここでの上り電車は前からは撮れないので、後追いでの撮影となります。
追いかけての撮影はせずにこれだけですが、目的の電車を撮影する前に通過した、見慣れた車両もついでに撮っておきました。
田園都市線の主力として、8500系は変わらずに君臨していました。
営団の8000系も、新製投入以来変わらずに健在です。
久方ぶりの新車、5000系も通過しました。
この頃、6扉車を組込んだ編成には、前面に6扉のステッカーが貼られていました。
東武鉄道の車両も乗入れてきますが、シルバーシートの位置が異なっており、戸惑うことがありました。
昼間は大井町線への6000系直通急行も、長津田駅始発で運転されています。
この当時はまだ6両編成です。
現在はさらに新型車も投入されていますが、撮影したこれらの車両は、小変化があったものの、今も元気に走り続けています。
2019年4月14日日曜日
東急池上線 石川台 の 桜の木 2009.4.3
東京の今年の桜は既に散り始めてしまい、いささか出し遅れた感がありますが、東急池上線の石川台駅近くの切り通し区間は、桜の名所として知られていました。
この日は天気が良かったので、九品仏駅あたりの桜見物に続いて、この場所も訪ねてみました。
ちょうど10年前になりますが、やはりハッセル1台持っての気楽な撮影をしていました。
10年たてば走る車両も入れ替わりましたが、残念なのがこの桜の木が既に伐採されてしまったことです。
桜の花の見ごろは短かく、このような好天で撮影できることは少ないので、桜前線と天気を見比べながら、どこへ行こうか撮影計画を練っています。
この日は天気が良かったので、九品仏駅あたりの桜見物に続いて、この場所も訪ねてみました。
ちょうど10年前になりますが、やはりハッセル1台持っての気楽な撮影をしていました。
10年たてば走る車両も入れ替わりましたが、残念なのがこの桜の木が既に伐採されてしまったことです。
桜の花の見ごろは短かく、このような好天で撮影できることは少ないので、桜前線と天気を見比べながら、どこへ行こうか撮影計画を練っています。
2019年4月12日金曜日
11月にも 大井川鐵道 へ 2008.11.26
2008年二度目の大井川鐵道は、晩秋の11月の下旬です。
この日はまさしくピーカンで、今回もハッセルブラッドを持ち出しました。
少し変わった場所を探して、最初は五和駅と神尾駅の間の築堤区間を横から撮ってみました。
ススキの穂の向こう側を、C108 が結構なスピードで走って行きました。
大井川第一橋梁手前で追い越したので、そのまま川原に降りての撮影です。
さらに追いかけを続けたのですが、油断していて、なんとネズミ捕りの網にかかってしまったのです。
めげてしまい、この先は追いかけての撮影はやめて、田野口駅の先のトンネルの上で、のんびりと待つことにしました。
京阪特急が眼下を通過して、しばらくすると白い煙を上げながら、C11190 が姿を見せました。
この日3本目のSL列車のかわね路号は、定番の塩郷駅と下泉駅の間の、茶畑に入らせてもらいました。
C11227 の牽引ですが、長編成のため、後補機がうまい具合に隠れてくれました。
帰りの列車の撮影に、大井川第一橋梁を見下ろす高台に上がったのですが、秋の日は釣瓶落としで、通過の時間には鉄橋は山の影になってしまいました。
このあとは川原に降りたのですが、日陰なので露出が上がらず、幾分流し撮り気味での撮影です。
ますます暗くなってきたので、3本目の列車の撮影をあきらめて、これにて帰途に着きました。
この日はまさしくピーカンで、今回もハッセルブラッドを持ち出しました。
少し変わった場所を探して、最初は五和駅と神尾駅の間の築堤区間を横から撮ってみました。
ススキの穂の向こう側を、C108 が結構なスピードで走って行きました。
大井川第一橋梁手前で追い越したので、そのまま川原に降りての撮影です。
さらに追いかけを続けたのですが、油断していて、なんとネズミ捕りの網にかかってしまったのです。
めげてしまい、この先は追いかけての撮影はやめて、田野口駅の先のトンネルの上で、のんびりと待つことにしました。
京阪特急が眼下を通過して、しばらくすると白い煙を上げながら、C11190 が姿を見せました。
この日3本目のSL列車のかわね路号は、定番の塩郷駅と下泉駅の間の、茶畑に入らせてもらいました。
C11227 の牽引ですが、長編成のため、後補機がうまい具合に隠れてくれました。
帰りの列車の撮影に、大井川第一橋梁を見下ろす高台に上がったのですが、秋の日は釣瓶落としで、通過の時間には鉄橋は山の影になってしまいました。
このあとは川原に降りたのですが、日陰なので露出が上がらず、幾分流し撮り気味での撮影です。
ますます暗くなってきたので、3本目の列車の撮影をあきらめて、これにて帰途に着きました。
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