復活2年目の C62ニセコ の撮影に、この年も暑い7月になってからようやく訪れることができました。
ところが少々トラブルがあり、往きの上り列車の撮影ができずに、復路のみとなってしまいました。
なので、今回は北4踏切に早々に陣取り、前回撮れなかった羊蹄山バックの定番写真の撮影とします。
黒煙を上げながら、倶知安駅方向からまわり込んできました。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで
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現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
復活2年目の C62ニセコ の撮影に、この年も暑い7月になってからようやく訪れることができました。
ところが少々トラブルがあり、往きの上り列車の撮影ができずに、復路のみとなってしまいました。
なので、今回は北4踏切に早々に陣取り、前回撮れなかった羊蹄山バックの定番写真の撮影とします。
黒煙を上げながら、倶知安駅方向からまわり込んできました。
この年の5月の連休には軽井沢に向かいましたが、その折に スーパーエクスプレスレインボー が碓氷峠を通過するとの情報がありました。
1987年から運転を開始した スーパーエクスプレスレインボー は、客車を改造した洒落た内外装のジョイフルトレインでしたが、客車ゆえ速度面や折返し面での問題が生じて、2000年には用途廃止になってしまいました。
碓氷峠での撮影となると、上り列車が三重連になるので、撮り慣れた熊ノ平信号場に向かいました。
この頃は他に撮影者も無く、のんびりと通過を待っていると、先にやって来たのは上りの 特急あさま です。
D51498 が復活を果たし、この年から旧型客車を牽引して、SL奥利根号 が上越線の高崎駅と水上駅の間で運転されるようになりました。
SL奥利根号 は、その後運転方法や牽引機等の変化があり、愛称名も変化してきましたが、現在でも基本的には同じ区間での運転が継続されています。
この時は水上温泉に泊まるのが目的の旅行でしたが、折角走り始めたSL列車をほったらかしにはできず、無理のない範囲での撮影を行いました。
先ずは敷島駅と津久田駅の間のSカーブを俯瞰する場所で、現在でも撮影可能です。
冬の北陸ときめき号 の撮影2日目です。
温泉宿でのんびり過ごした翌日は、うっすらですが雪が積もっていました。
最初の撮影地は良川駅と能登二宮駅の間ですが、良川駅は停車駅なので出発の煙が期待できるからです。
何の変哲もない所ですが、雪のおかげで邪魔物を隠してくれていました。
先ずは上りの普通DCの通過です。
能登半島を走るSL列車の 冬の北陸ときめき号 は、1988年から運転され C56 の牽引でしたが、この年から C57 と C56 の重連運転になったので、寝台特急北陸に乗り込み、撮影に向かいました。
金沢駅でレンタカーを借りて、手始めに羽咋駅と千路駅の間のカーブ地点に行きました。
先ずは後方から、上りの各停DCの通過です。
あそBOY の撮影を立野駅のスイッチバックで終えて、次は南阿蘇鉄道で運行されているトロッコ列車を撮りに行きました。
南阿蘇鉄道は、立野駅から高森駅までの旧高森線で、1986年に転換された路線です。
阿蘇下田駅と中松駅の間で待っていると、小さなDLを先頭に見えてきました。