昨日の記事の続きです。
今ではさいたま市の一部になってしまった大宮ですが、当時の大宮市はまさに国鉄の街で、機関区の他に工場、そして大ヤードが有りました。
上野を昼前に出て、その大宮機関区に撮影に訪れました。
駅を出て、線路を跨ぐ道路から大宮工場がのぞけます。
角型ドーム、警戒塗装のC11がいました。
大宮機関区でも見学の許可は簡単に取れました。
庫の手前にはD51がいました。
右側にはキューロクも。
奥側の庫からD51が出てきました。
4桁ナンバー、デフ無しの綺麗なキューロクもいます。
少し離れた側線にはメインロッドを外されたC58の姿が。
その向こう側のヤードでは、複数のD51が盛んに入換をやっていました。
庫の中に入ると、ここにもD51が休んでいます。
機関区のはずれの方では、キューロクがアッシュに埋もれそうになっていました。
今思えば本当に大らかな時代で、本線が近くを走り、様々な作業中の機関区内を自由に歩き回ることが、当たり前のように許されたのです。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで
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現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
小樽築港機関区
2017年1月31日火曜日
2017年1月29日日曜日
赤羽線と上野駅 1968.2.4
今は埼京線として多くの列車が通過する赤羽線ですが、当時は池袋と赤羽の間を接続するだけの短い路線でした。
そこにD51の貨物がまだ走っているという情報が有ったので、出かけてみました。
探せばもっとましな撮影場所が見つかるのでしょうが、お目当ての貨物列車の通過時間が迫って来たので、十条駅のこ線橋でカメラを構えました。
丁度良い具合に、赤羽行きの電車が停車して、新旧のご対面となりました。
池袋に向けて上り勾配になっているので、力行して煙を吐いています。
この後、上野駅にC57を撮影すべく向かいました。
成田線直通列車で、未だに蒸機牽引で残っていたのです。
発車時間を待っていると、後からDD13の1次型牽引の貨物列車がホームを通過して行きます。
そしてC57が豪快に煙を上げて発車して行きました。
時計は10時39分を指しています。
煙を見送っていたら、常磐線を夜行急行が到着してきました。
続いて、東北線まわりの寝台特急はくつるも到着です。
当時、この手の列車を目当てに撮影に行ったことが無く、私の記録として残ったのはこれだけしか有りません。
この後、引続き大宮機関区へと参じたのですが、それについては次回に掲載します。
そこにD51の貨物がまだ走っているという情報が有ったので、出かけてみました。
探せばもっとましな撮影場所が見つかるのでしょうが、お目当ての貨物列車の通過時間が迫って来たので、十条駅のこ線橋でカメラを構えました。
丁度良い具合に、赤羽行きの電車が停車して、新旧のご対面となりました。
池袋に向けて上り勾配になっているので、力行して煙を吐いています。
乗客は後ずさり |
この後、上野駅にC57を撮影すべく向かいました。
成田線直通列車で、未だに蒸機牽引で残っていたのです。
発車時間を待っていると、後からDD13の1次型牽引の貨物列車がホームを通過して行きます。
そしてC57が豪快に煙を上げて発車して行きました。
時計は10時39分を指しています。
ファンと思しき人が身を乗り出している |
煙を見送っていたら、常磐線を夜行急行が到着してきました。
続いて、東北線まわりの寝台特急はくつるも到着です。
当時、この手の列車を目当てに撮影に行ったことが無く、私の記録として残ったのはこれだけしか有りません。
この後、引続き大宮機関区へと参じたのですが、それについては次回に掲載します。
2017年1月28日土曜日
正月の東海道線富士川そして岳南鉄道 1979.1.3
SL後の写真の2回目です。
正月休みも3日になると飽きてきてどこかに撮影にと思うのですが、遠距離は混むので、近場を選んで出かけることが間々ありました。
この年にはいつもの仲間と、正月には富士山とばかりに、富士のふもとを訪ねました。
先ずは富士川鉄橋付近で、ブルトレの撮影です。
EF65のPFは個人的にはあまり魅力がないのですが、看板列車なのでそれなりに撮っておきましたが、ブルトレが無くなるなどと誰も思わない時代でした。
最初に「はやぶさ」が鉄橋を渡ったところをサイドから。
その後、線路端からヘッドマークが目立つように「さくら」を撮影。
やって来た165系もついでに。
せっかくなので、富士山をバックに新幹線も撮影。
一応とか、ついでにとかで撮っておいた写真が、今となっては貴重なものです。
けれども当時はフィルムがもったいないと思ったものです。
次に向かったのは岳南鉄道。
終点の岳南江尾駅は、すぐ上を新幹線が横切っています。
新幹線を見上げる位置にED32がお休みしていて、古い機関車のそばを最速の電車が通過していました。
ここでも富士山バックに撮れる場所を探して、電車の来るのを待ちました。
最後に車庫のある岳南富士岡駅を訪問。
正月なので、車両たちも静かにお休みしていました。
お休みしている車両ばかりではなく、ダイヤ通りに電車がやって来ました。
以上、年の初めのうららかな一日でした。
正月休みも3日になると飽きてきてどこかに撮影にと思うのですが、遠距離は混むので、近場を選んで出かけることが間々ありました。
この年にはいつもの仲間と、正月には富士山とばかりに、富士のふもとを訪ねました。
先ずは富士川鉄橋付近で、ブルトレの撮影です。
EF65のPFは個人的にはあまり魅力がないのですが、看板列車なのでそれなりに撮っておきましたが、ブルトレが無くなるなどと誰も思わない時代でした。
最初に「はやぶさ」が鉄橋を渡ったところをサイドから。
その後、線路端からヘッドマークが目立つように「さくら」を撮影。
やって来た165系もついでに。
せっかくなので、富士山をバックに新幹線も撮影。
0系しか来ません |
一応とか、ついでにとかで撮っておいた写真が、今となっては貴重なものです。
けれども当時はフィルムがもったいないと思ったものです。
次に向かったのは岳南鉄道。
終点の岳南江尾駅は、すぐ上を新幹線が横切っています。
新幹線を見上げる位置にED32がお休みしていて、古い機関車のそばを最速の電車が通過していました。
ここでも富士山バックに撮れる場所を探して、電車の来るのを待ちました。
いわゆる絵葉書写真 |
最後に車庫のある岳南富士岡駅を訪問。
正月なので、車両たちも静かにお休みしていました。
お休みしている車両ばかりではなく、ダイヤ通りに電車がやって来ました。
以上、年の初めのうららかな一日でした。
2017年1月27日金曜日
八高線再訪 1968.2.2
正月に訪れた八高線ですが、貨物列車の多くがウヤになっていたので、そのリベンジに行きました。
この時期はいわゆる冬枯れなので、風景的にはさみしいのですが、気温が低いのでその分煙が良く上がります。
撮影場所はいつもの東飯能駅の前後で、先ずは駅の発車から。
高麗川駅方面に途中小さな山越えがあるので、そのサミットを目指して歩きます。
途中、9600牽引の下り貨物がやって来ました。
9600牽引は本数は少ないのですが、バック運転の列車もありました。
峠に向けて、D51が登ってきました。
峠を越えて、D51重連が高麗川駅へと下って行きます。
続いてC58牽引の下り貨物もサミットを越えてきました。
この写真の最後尾あたりがサミットになります。
左側の整地された所はゴルフ場の久邇カントリークラブで、これを撮影してかなりたってからプレーしたことがあり、そのときはコースからDD51の姿が見られました。
もう少し高麗川駅寄りに移動し、D51逆向き牽引の貨物を撮影。
もう一度サミット付近へ戻り、丁度サミットにかかった下り貨物を狙います。
この牽引機はD51515で、面白い番号なのでお気に入りでした。
東飯能駅まで戻ると、D51重連が高麗川駅を目指して発車して行きました。
今度は金子駅方面へと進みます。
こちら側は開けていて、金子駅に向かって一方的な上り勾配となっています。
C58が軽快に駆け下ってきました。
東飯能駅で交換したD51牽引の列車が煙を上げてやって来ます。
溜池に姿が写り、良い感じです。
丁度テンダーが西武線の上を越えています。
お気に入りのD51515が、高麗川駅で折り返してやってきてくれました。
冬とはいえ、風が無く穏やかな一日でした。
この時期はいわゆる冬枯れなので、風景的にはさみしいのですが、気温が低いのでその分煙が良く上がります。
撮影場所はいつもの東飯能駅の前後で、先ずは駅の発車から。
冬の日差しを浴ながら発車 |
高麗川駅方面に途中小さな山越えがあるので、そのサミットを目指して歩きます。
途中、9600牽引の下り貨物がやって来ました。
荷が軽いので、速いスピードで通過 |
9600牽引は本数は少ないのですが、バック運転の列車もありました。
峠に向けて、D51が登ってきました。
白煙が良く上がってます |
峠を越えて、D51重連が高麗川駅へと下って行きます。
続いてC58牽引の下り貨物もサミットを越えてきました。
この写真の最後尾あたりがサミットになります。
左側の整地された所はゴルフ場の久邇カントリークラブで、これを撮影してかなりたってからプレーしたことがあり、そのときはコースからDD51の姿が見られました。
もう少し高麗川駅寄りに移動し、D51逆向き牽引の貨物を撮影。
煙がまだらで面白い |
もう一度サミット付近へ戻り、丁度サミットにかかった下り貨物を狙います。
サミットで列車が折れている |
この牽引機はD51515で、面白い番号なのでお気に入りでした。
東飯能駅まで戻ると、D51重連が高麗川駅を目指して発車して行きました。
黒煙を吐きながら猛ダッシュ |
今度は金子駅方面へと進みます。
こちら側は開けていて、金子駅に向かって一方的な上り勾配となっています。
C58が軽快に駆け下ってきました。
東飯能駅で交換したD51牽引の列車が煙を上げてやって来ます。
溜池に姿が写り、良い感じです。
丁度テンダーが西武線の上を越えています。
お気に入りのD51515が、高麗川駅で折り返してやってきてくれました。
冬とはいえ、風が無く穏やかな一日でした。
2017年1月26日木曜日
C12重連の走る足尾線 1968.1.28
関東北部に位置し、C12が走る魅力的な足尾線は、当時渋谷に住んでいた私にとって非常に訪れ難い路線でした。
この日も、早朝に出発しなかったこともあって、高崎線、上越線、両毛線と乗り継ぎ、更に重連を目指して神土駅(ごうどえき)に着いたのは、もう陽が傾き始めた頃になってしまいました。
東武鉄道を利用すればもっと早く着いたのでしょうが、渋谷在住で東武は馴染みが薄く、この時は全く頭に浮かびませんでした。
朝一番の貨物を除いて、重連になるのは神土駅からで、この駅のあるところの地名は神戸(ごうど)ですが、東海道線の神戸(こうべ)と紛らわしいので、漢字表記を変えたそうです。
当時、次の駅は草木駅でしたが、草木ダムの建設に伴い長大トンネルによる付替え工事を行った結果、草木駅は沈んでしまい消滅しました。
それでは撮影した時の様子を。
引きの取れる撮影場所を求めて、草木駅方面へかなりの距離を歩きました。
これが後程痛い目を見る羽目になります。
先ずはバック運転の上り貨物が勾配を下ってきます。
足尾線のC12は常に山側に頭を向けていて、上り列車は後向きとなります。
続いて補機となるC12が単機で転がってきます。
単機回送をせずに、神土まで重連で返せば良いのにと思いますが、間藤駅から足尾本山までの運用の都合なのでしょう。
因みに、午前中の上り貨物は重連で下ってきます。
冬の陽が傾きまぶしい中を待望のC12重連がやって来ました。
撮影を終えて神土駅へと急いだのですが、あまりに駅から離れていたため、後ろから来た乗る予定のDCに追い越されてしまいました。
ローカル線なので次の列車まではかなり待つことになりましたが、お陰で乗車するまでに次の下り貨物がやって来てくれました。
今度は駅での撮影としたのですが、陽はすでに山陰に落ち、その上逆光の悪条件となりました。
勾配がすぐ駅の近くまであるので、煙を吐きながら進入してきました。
ここで給水のため暫し停車します。
ここからの更なる勾配への準備を終えて、足尾を目指して発車して行きました。
この日、家に帰り着いたのは夜遅くで、親に心配かけた一日でした。
この日も、早朝に出発しなかったこともあって、高崎線、上越線、両毛線と乗り継ぎ、更に重連を目指して神土駅(ごうどえき)に着いたのは、もう陽が傾き始めた頃になってしまいました。
東武鉄道を利用すればもっと早く着いたのでしょうが、渋谷在住で東武は馴染みが薄く、この時は全く頭に浮かびませんでした。
朝一番の貨物を除いて、重連になるのは神土駅からで、この駅のあるところの地名は神戸(ごうど)ですが、東海道線の神戸(こうべ)と紛らわしいので、漢字表記を変えたそうです。
当時、次の駅は草木駅でしたが、草木ダムの建設に伴い長大トンネルによる付替え工事を行った結果、草木駅は沈んでしまい消滅しました。
それでは撮影した時の様子を。
引きの取れる撮影場所を求めて、草木駅方面へかなりの距離を歩きました。
これが後程痛い目を見る羽目になります。
先ずはバック運転の上り貨物が勾配を下ってきます。
音も無く後向きで転がって来た |
足尾線のC12は常に山側に頭を向けていて、上り列車は後向きとなります。
続いて補機となるC12が単機で転がってきます。
単機回送はまるで模型のよう |
単機回送をせずに、神土まで重連で返せば良いのにと思いますが、間藤駅から足尾本山までの運用の都合なのでしょう。
因みに、午前中の上り貨物は重連で下ってきます。
冬の陽が傾きまぶしい中を待望のC12重連がやって来ました。
半逆光に車体が輝く |
撮影を終えて神土駅へと急いだのですが、あまりに駅から離れていたため、後ろから来た乗る予定のDCに追い越されてしまいました。
ローカル線なので次の列車まではかなり待つことになりましたが、お陰で乗車するまでに次の下り貨物がやって来てくれました。
今度は駅での撮影としたのですが、陽はすでに山陰に落ち、その上逆光の悪条件となりました。
勾配がすぐ駅の近くまであるので、煙を吐きながら進入してきました。
ここで給水のため暫し停車します。
給水炭の設備が見られる |
ここからの更なる勾配への準備を終えて、足尾を目指して発車して行きました。
この日、家に帰り着いたのは夜遅くで、親に心配かけた一日でした。
2017年1月25日水曜日
正月明けの八高線 1968.1.4
東京から近く、D51,C58,9600が走る八高線は何度も訪れました。
この1月4日は恒例の初詣列車の高尾山臨が走る日なので、まだ正月ボケのところを早起きし、9600の牽引する臨客を目当てに撮影行となりました。
9600の客レは近くの川越線にも定期で走っていたのですが、八高線では滅多に見られません。
金子坂を上って来る姿を狙ったのですが、順光側はハエたたきが邪魔で、正面勝ちのアングルになってしまいました。
この後も沿線で待っていたのですが、貨物列車がさっぱり来ません。
川越線の分岐する高麗川駅に行けば何かいるだろうと、移動しました。
駅で確認すると、正月明けにつき多くの貨物がウヤになっていました。
数少ない運転される列車を確認し、高麗川駅にいたD51,C58,9600を撮影しました。
貨物列車の時間が近づいたので、撮影地へと移動しました。
この先のサミットを目指したのですが、その手前でD51が来てしまい、煙が有りません。
もうSLが来ないので、仕方なくDCを撮影。
今となっては貴重ですね。
再び高麗川駅へ。
この駅は、川越線の分岐があり、八高線の貨物列車は牽引機を付け替えるのでいつも煙が上がっている上にターンテーブルも有り、ファンにとって楽しい駅です。
今回はこれでおしまいですが、八高線はこれから何度も登場します。
この1月4日は恒例の初詣列車の高尾山臨が走る日なので、まだ正月ボケのところを早起きし、9600の牽引する臨客を目当てに撮影行となりました。
9600の客レは近くの川越線にも定期で走っていたのですが、八高線では滅多に見られません。
金子坂を上って来る姿を狙ったのですが、順光側はハエたたきが邪魔で、正面勝ちのアングルになってしまいました。
4桁ナンバーのキレイなキューロクです |
この後も沿線で待っていたのですが、貨物列車がさっぱり来ません。
川越線の分岐する高麗川駅に行けば何かいるだろうと、移動しました。
駅で確認すると、正月明けにつき多くの貨物がウヤになっていました。
数少ない運転される列車を確認し、高麗川駅にいたD51,C58,9600を撮影しました。
高麗川駅 |
ターンテーブルが有ります |
9600は入換中 |
2両の並びです |
貨物列車の時間が近づいたので、撮影地へと移動しました。
高麗川-東飯能 貨物が少ない |
この先のサミットを目指したのですが、その手前でD51が来てしまい、煙が有りません。
下り勾配のD51 |
もうSLが来ないので、仕方なくDCを撮影。
今となっては貴重ですね。
ローカル線でも堂々4連 |
再び高麗川駅へ。
この駅は、川越線の分岐があり、八高線の貨物列車は牽引機を付け替えるのでいつも煙が上がっている上にターンテーブルも有り、ファンにとって楽しい駅です。
D51261 |
D51670 |
今回はこれでおしまいですが、八高線はこれから何度も登場します。
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