小樽築港機関区

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2017年9月30日土曜日

日豊本線の C57 1973.2.15

 日豊本線の宮崎以南はC57が客貨両方に活躍していて、DC列車や寝台特急以外のすべてにわたり、その姿を見られました。

 この日はそのC57の走行写真を求めて、沿線の各所を訪れました。

 最初は、宮崎駅と南宮崎駅の間の大淀川を渡る通勤列車からスタートです。


 朝日の中を軽快に飛ばしてきます。


 次は上り貨物列車の撮影に、田野駅の日向沓掛駅寄りにある、カーブした勾配区間に向かいます。


 門デフのC57が貨物列車を牽引する姿には、最初のうちは違和感を覚えました。


 今度は下りの臨時列車を、勾配のある門石信号場と青井岳駅の間にて待ちます。


 気温が低いので、白煙が山並みに映えて綺麗です。

 次の列車まで時間があるので、田野駅で停車中のC57を撮影に行きます。


 門石信号場に立寄り、丁度通過する 下りの 寝台特急彗星 を撮影。


 その後、田野駅方向に戻り、下り貨物列車を勾配区間で待ち受けました。


 再び門石信号場と青井岳駅の間のポイントに戻りましたが、先に来るのは上り貨物列車で、煙を吐かないので流し撮りをやります。


 C57の前に、DC特急にちりん が来ましたが、ベタの順光で、車体が輝いています。


 そして下り貨物列車を牽くC57が、トンネルから飛び出してきました。


 白煙を纏いながら通過して行きます。


 撮影を終えて、餅原駅の東都城駅寄りの地点に移動し、下り貨物列車を撮影します。


 ここらは平地で、あまり面白味はありません。

 山之口駅と楠ヶ丘信号場の間の長い鉄橋に移動しました。
 綺麗な雲が広がっていたので、寝台特急富士 とからめて撮ってみました。


 同じ鉄橋の端から上り貨物列車を撮影しましたが、横風が強くて煙が流れてしまいました。


 朝からずっとC57を追いかけた一日は、これでおしまいです。


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2017年9月28日木曜日

復活SL 3年目のC62ニセコ号 1990.10.20~21

 お気に入りのC62に会うため、3年続けて渡道しました。

 初日は後志地方によくある小雨混じりのどんよりとした空模様で、露出が全く上がらず、ロクな写真が撮れませんでした。


 ワイスの踏切ですが、白煙は綺麗なものの、露出アンダーです。

 追いかけて、倶知安駅を発車する姿を陸橋の上からですが、小雨混じりです。


 返しの撮影は、ニセコ駅と比羅夫駅の間で待ち受けましたが、ここも山あいなので薄暗い中での撮影となりました。


 その後はいつもの蘭島駅と塩谷駅の間を目指しましたが、途中から急激に天候が回復し、撮影時にはまさしくピーカンになりました。


 斜光に黄葉が輝いています。


 翌日も続けての好天になりました。

 今回は銀山駅の然別駅側の有名ポイントです。


 ベタの順光で、ナンバープレートが見えにくくなってしまいました。


 撮影後は折り返しのニセコ駅に行きましたが、ここには殆んどファンの姿は無く、次の場所に行ってしまったのでしょうか。


 設備が新しすぎて、C62が並ぶと違和感があります。

 返しの撮影は、昨日同様、ニセコ駅と比羅夫駅の間からスタートします。


 天気が良いので羽虫が多く、黒い車体に写ってしまいました。

 また追いかけですが、今回は途中の仁木駅と余市駅の間でも撮影してみました。


 煙はありませんが、秋の日差しを浴びてのんびりと走る姿を一人だけで撮影できました。

 このあとはやはり蘭島駅と塩谷駅の間ですが、通称金五郎山という地主さんが提供してくれた山に上りました。


 一日中好天に恵まれて、撮影を満喫できました。


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2017年9月26日火曜日

風光明媚な高山本線 1985.4.28

 高山本線に現役でSLが走っていた頃には、残念ながら行ったことがありません。
 従いまして、「その後」ではなく、初めての 高山本線 です。

 国道41号線を北へ走り、上麻生駅を過ぎると景勝地、飛水峡が見えてきますが、川の反対側に線路が見える場所がありますので、ここから遥か先の列車を撮影します。


 特急ひだ2号 の通過ですが、クルマと川の音で、列車の接近が分からず、苦労します。

 撮影後は川沿いの国道を北上し、焼石駅のすぐ手前で線路端に出ました。


 特急ひだ1号 が通過して行きました。
 後姿も撮影しますが、もう焼石駅の構内です。


 ここから少し戻り、飛騨金山駅の手前、大船渡ダムの近くに移動しました。

 客車急行 奥飛騨 を、DD51 が牽引してきましたが、少々逆光気味になります。


 今度は上りの各停DCが通過して行きますが、急行用の車両が主体です。


 下りの急行DC たかやま は、急行型を連ねた編成です。


 再び焼石駅方向へ進み、下原ダムに溜められた水の向こうの列車を撮影しますが、ここでは完全に逆光になってしまいます。


 特急ひだ3号に続いて、急行のりくら6号 が通過します。


 そして、主目的の列車、名鉄からの乗り入れ、北アルプス号 のお通りです。


 まだまだ陽は高いのですが、次の目的地に向かい、元来た道を戻りました。


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2017年9月24日日曜日

南延岡機関区 1973.2.14

 現役SL のシリーズでは、これから九州めぐりになりますが、この時の撮影旅行は、当時、雑誌鉄道ファンのカメラマンだった諸川久さんに同行したもので、運賃(ガソリン代)はタダで、要は運転手でした。
 撮影機材を積み込んだ車で川崎からのフェリーに一人で乗り込み、現地で合流し、最初に向かったのは南延岡機関区でした。

 日豊本線の南側を受け持つこの機関区には、多くのSLが働いていました。


 目につくものを、手当たり次第に撮影して行きました。


 駅に向けて出て行く姿も気になります。


 再び、機関区内の蒸機たちを撮影します。



 本線上を、特急富士 が駆け抜けて行きます。


 重連になったD51も気になります。


 仕業を終えたC57が帰って来ました。


 ハチロクは操車掛を乗せて、入換中です。


 機関区に戻ると、C57が良い光線の中、佇んでいました。


 スポートの下には、機材の銀箱が置いてあります。

 この後は、美々津駅方面に走行写真を撮影に向かいました。


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2017年9月22日金曜日

西武山口線 1972.8.25

 当時の西武山口線は、西武遊園地駅とユネスコ村駅を結ぶ軌間762mmの軽便鉄道線で、蓄電池式機関車により牽引されていましたが、頚城鉄道から同社の2号機を借り受け、1972年に蒸機運転を開始しました。

 この遠来のコッペルを撮影すべく、武蔵野の面影が残る彼の地を訪れました。


 西武遊園地駅を出発する姿で、頚城鉄道に因み、謙信号と愛称が付けられていました。

 終点のユネスコ村駅に着くと、機関車の付け替えを行います。


 今度は正面向きで、西武遊園地駅に向けて走行します。


 西武遊園地駅に到着後、機関車の付替えのためバック運転で、渡り線のある場所まで移動します。



 客車を切り離し、移動中の姿です。


 バック運転は愛称看板が目立つので、正面向きを撮影します。


 今度は井笠鉄道から購入した、古典客車を連結していました。


 バッテリーロコの姿も1枚撮影しておきます。


 横から引いて撮れる場所が無いので、森の中を行く雰囲気を狙ってみました。


 運転を一旦休止し、車庫に戻ったので、形式写真も撮ってみました。


 今回の記事は 現役SL では無く、復活SL になるのでしょうか。


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