小樽築港機関区

小樽築港機関区

2019年10月31日木曜日

 山陰本線 保津峡 にて 1970.8.30

 京都駅から程近い保津峡は、夏場でも涼を求める観光客で賑わっていて、山陰本線が新線に切替えられて、嵯峨野観光鉄道になった今でも、景勝地として人気の高い場所です。

 この景色の中のSLを撮影しようと、京都駅から向かいましたが、乗車した普通列車も C57 が牽引していました。


 桂川の脇のわずかなスペースに保津峡駅があり、駅前には対岸への橋が架けられているだけでした。

 ここから嵯峨駅方向に進みましたが、線路はすぐにトンネルに入るので、上り列車を撮影できるスペースはごくわずかです。


 その上、線路が南側にあるので逆光になり、列車はバックの緑の中に埋もれてしまいます。


 今度は下り貨物なので馬堀駅方向に進みますが、この道は林の中をどんどん高度を上げて行き、保津峡駅を見下ろす場所で視界が開けました。


 保津峡駅を通過し、D51 牽引の貨物列車は緩い上り勾配を通り過ぎて行きます。


 この次は上りの客車列車なので、再び駅の反対側に向かいます。


 DF50 の牽引ですが、暑さのためか、扉を開け放し、身体を外に出した乗務員の姿がありました。


 またしても下り客車列車の撮影のため、駅を通り越して、もう少し先まで進みました。


 保津峡駅を発車する姿を撮影後、もう一度真横からも撮影できました。


 思っていたよりも撮影ポイントが少なく、光線状態も思わしくなく、期待していたようなカットが撮れずに退散しました。

2019年10月29日火曜日

 播但線 生野越えの補機は DD54 1970.8.29

 播但線は、終点の和田山駅の少し手前、生野駅がサミットで、その前後の急勾配区間の貨物列車には DD54 を前補機に付けての運用でした。

 客貨共牽引機は C57 なので、勾配区間での貨物列車の牽引は困難で、早い時期からDLが補機運用についていました。

 お怠け撮影なので、生野駅に着くと既に陽は高く、暑い中を長谷駅方向に歩き始めましたが、撮影ポイントには程遠いうちに、背後から上り貨物が来てしまいました。


 このあとは下り列車が2本続きます。

 最初は客レを C57 が単機で牽いてくるのですが、間口が狭いので、長玉で撮影しました。


 細身のボイラーに大型の集煙装置が乗り、不細工な姿です。


 次の貨物は、逆光ながら機関車を2両共写せる場所で、到着を待ちました。


 DD54 の箱型車体は割とお気に入りで、、DD51 の長いボディーより格好良く思われます。


 このあとは上り列車になるので、今来た道を生野駅まで戻ります。

 生野駅の新井駅側はすぐにトンネルに入るのですが、このトンネルを越えて行くのはしんどいので、その手前で次の旅客列車を待ちました。


 生野駅まで急勾配が続くのですが、暑さのため、力行していても煙は陽炎になって揺らぐだけです。


 次の貨物列車も少し場所を変えただけで、トンネルから出てきたところを撮影しました。


 もうこれで当分列車が来ないので、溝口駅まで乗車し、福崎駅方向に向かいました。

 上り貨物を牽いた C57 が、軽快にやって来ました。


 次の下りの客レは寺前駅止まりで、現在も同様の運転形態になっています。

 こちらは C11 のバック運転で、区間運転らしい雰囲気です。


 この日も、これにて早々に引き上げました。

2019年10月27日日曜日

 関西本線の難所 鈴鹿越えの D51 1970.8.24

 関西本線最大の難所と言えば、加太トンネルをサミットとする鈴鹿山脈越えで、トンネルの東側にある中在家信号場が有名でした。

 この信号場は当然山の中にあり、加太駅から徒歩で行くには遠すぎるので、手前の有名撮影地である大カーブを目指して歩きました。

 道のりの途中で下り列車が迫って来たので、何とか撮れそうな場所で迎え撃ちます。


 後補機も、木々の隙間から、辛うじて捉えられました。


 目的の大築堤に着き、大汗をかきながら、そして蝮に気を付けながら登ります。

 やがて後補機を従えた、下り貨物が近づいて来ました。


 25‰をゆっくりと上って来ます。


 速度が遅いので、手巻きでも多くのシャッターが切れました。


 このあとは上り列車が続きます。


 こちらも後補機付です。


 次の列車は、角度を変えて撮影します。


 同じく、後補機を付けて、転がり下りて行きました。


 ここらで場所を変えて下に降り、光線の良いアウトカーブ側に行ってみました。


 上りの急行DCが駆け下って来ましたが、急勾配の様子がよく見えます。

 続いては下り貨物が、黒煙を盛大に上げながらやって来ました。


 本務機の煙が漂って、列車の後部がかすんでしまいます。


 暑さに負けて、これにて加太駅に引き返しました。

 折しも下り貨物の到着です。


 ひと休み後、単機牽引で鈴鹿越えに出発して行きました。


 この頃の撮影は、朝はゆっくり、帰りは早々に引き上げるという、今考えると、誠に怠けた、そして贅沢な撮影を続けていたものです。

2019年10月25日金曜日

 城東貨物線 吹田辺り 1970.8.22

 今では通勤電車が走るようになりましたが、当時は城東貨物線と称した貨物列車の専用路線です。

 以前、蛇草信号場に撮影に行きましたが、この日は近場の吹田駅の南の、東海道本線をオーバークロスする築堤に行ってみました。

 すぐ横には東海道本線があり、ひっきりなしに列車が通過して行きます。


 この頃は辺り一面草ぼうぼうの荒地で、現在とは全く違う様相です。

 貨物線の列車ダイヤはありませんので、ただ待っていると上りの重連がやって来ました。


 SLの重連はお初と思いきや、よく見ると、次位の C58 はメインロッドが外されています。


 そのうちに下り列車が来ましたが、DD13 の牽引で、面白くありません。


 続けて下り貨物が来て、D51 牽引なのですが、下り列車はこの場所からは真横からしか撮影できません。


 人だけが通れる道を築堤に登り、踏切から吹田方向を見ていると、また下り貨物を牽いた D51 が近づいて来ました。


 周辺をうろつき、良いアングルが無いかと探していたら、またしても下り貨物が来てしまいました。


 下に降りて待っていると、ようやく上りがやって来ましたが、この牽引機 D5151 を2年前に吹田機関区で撮影した時は、デフ無しで、前面手摺が付いた入換仕様でした。


 夕方近くになり、空がきれいになって来たので、これをバックにシルエットでの撮影が良かろうと最初の場所近くに移動しました。

 お誂え向きに、単機回送の 半流D51 のお出ましです。


 D52 の姿は無く、ナメクジD51 が多く見られた一日でした。

2019年10月23日水曜日

 中央西線中津川の D51 1970.8.19

 大糸線と糸魚川での撮影の翌日は、白馬駅から大阪までの移動日で、当時は結構時間がかかる道のりでした。

 それでもただ素通りするのはもったいないので、中央西線の中津川駅で下車、わずかな時間ですが、D51 を撮影することにしました。

 次の列車までなので、駅から程近いところまでしか行けませんでしたが、既に木曽路に向けての急勾配が始まっています。

 貨物列車を牽引した D51 が、中津川駅構内から向かってくるのが見えます。


 猛然と加速してきました。


 後補機の D51 も押上げています。


 D51827 のテンダーには石炭が満載でした。


 次は客レですが、安全弁を吹き上げていて、煙の方は迫力が有りません。


 最後尾にDCを2両つなげた、妙な編成でした。


 この日はこの2本を撮影しただけで、まさしく行き掛けの駄賃でした。

2019年10月21日月曜日

 糸魚川の小さな機関車 1970.8.18

 北陸本線の糸魚川駅から程近い場所にある東洋活性白土㈱には、協三工業製の国産最後の産業用機関車が運用されていました。

 工場から北陸本線脇までは610mmの線路が敷設されていて、終点には、国鉄の線路が並んで引き込まれていて、製品の積み替えを行っていました。

 大糸線の C56 を撮影後、この工場についたのは丁度お昼時で、小さな機関車は積み替えホームから引き揚げてくるところでした。


 単機で工場へと引き上げて行きます。


 多くの線路が敷かれた真ん中に、無造作に停車し、機関士さんは昼食を摂りに行ってしまいました。


 この工場は、有難いことに鉄道ファンに非常に理解があり、自由に撮影させてくれます。


 昼休みが終わり、製品を積んだ無蓋車を手押しで機関車の後部に連結し、プッシュ運転で発車して行きました。


 積み替えホームまでは数百メートルで、ゆっくりと走るので、そのあとを追いかけて行きます。


 途中にある大きなポプラ並木や畑を横切り、積み替えホームに貨車を押し込みました。


 ホームでは貨車に乗っていた人たちが、手作業で製品を降ろしています。

 すぐ脇の線路には、手作り感満点のタンク車が置かれていました。


 工場で使用する重油の運搬用で、たまに使用されるようです。


 ホームの右側の線路が国鉄の線路で、さらに右側は北陸本線で、特急が走り抜けて行きます。

 SLの運搬列車は1日3往復程度で、しばらく動きそうも無いのでこれにて引き上げました。