小樽築港機関区

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2019年8月31日土曜日

 餘部駅の 余部鉄橋 1969.8.26

 今ではコンクリート橋に架け替えられてしまった余部鉄橋ですが、以前に訪問した時は宿泊のついでのわずかな撮影だったので、今回は時間をかけて撮影に訪れました。

 大阪から出かけると、餘部駅はお隣の兵庫県なのですが、普通列車利用ではかなり時間がかかりまして、車窓から駅に近づくたびにカメラを構えていると、福知山駅あたりでしょうか、D51 の姿がありました。


 この区間の客車列車は既に無煙化が完了していて、鉄橋を下から見上げたところに DF50 牽引の上り列車が通過します。


 反対方向から来た下りの客レは、DD54 の牽引でした。


 数少ない上り貨物列車を牽いて、D51 が上空を通過して行きます。


 鉄橋を横から狙える位置に移動し、下り貨物列車の通過を待ちました。


 トンネルから出てきた貨物列車には、ワフを挟んで、C57 が連結されていました。


 余部の集落の上を通過するこの変わった編成を、シルエット勝ちに捉えられました。


 餘部駅を通過するとカーブになり、走行抵抗が増えるためか、D51 が煙を上げて力行運転を始めました。


 昼間に撮れる貨物列車はこれだけで、まだ早いものの本日の宿に向かいました。

2019年8月29日木曜日

 呉線の通勤列車と 急行あき 1969.8.22

 電化工事が進み始めた呉線では、多くの広駅発の通勤列車が運転されていて、C62 や C59 がその任にあたっていました。

 それらを求めて、安芸阿賀駅あたりに未明に到着し、まだ陽が上らないうちから撮影を開始しました。

 最初に呉駅方向から来たのは、逆向きの C62 を2両従えた DD115 です。


 下り客レの1本目は、広駅始発ではなく、呉線通し運転の普通列車です。


 上りの客レを C59162 が牽引してきましたが、まだ陽が射してきません。


 次の下り列車は D51 の牽引ですが、後方から陽が当たり始め、半逆光になってしまいます。


 続いて C62 牽引の通勤列車が来ましたが、目前で空転し、煙が吹きあがりました。


 広駅側に場所を変えての撮影ですが、長い鉄橋上でも後方の客車が隠れてしまい、多くの通勤客が利用していたことが分かります。


 朝の列車が一段落したので場所を移動しますが、途中で停車中の D51 の貨物がいたので、軽く1枚だけ撮っておきました。


 海の見えるあたりまで来ましたが、このあたりでも既に電化ポールが立ち並び、撮影アングルが限られてしまいます。


 安浦駅と安登駅の間の、呉線では勾配がある区間で 急行あき の通過を待ちます。


 C59164 の牽引でしたが、夏の暑さで煙は霞んでしまいました。

 これにて撮影終了、帰途に着いたのですが、途中の踏切が閉まり、D51 牽引の貨物列車が通過しました。


 今回2本目の D51 の貨物ですが、この頃は D51 を軽んじていて、いい加減に撮っています。

 三原駅で乗車する列車を待っていると、山陽本線上りホームに気動車列車が入って来ました。


 右側の 153系非冷房車 といい、鉄道が主力の良き時代でした。

2019年8月27日火曜日

 布原で過ごした3日間(その3) 1969.8.21

 布原詣での3日目ですが、この日ようやく三重連が運転されると信号場で聞いて、安堵しながら撮影に向かいました。

 ここでの三重連の写真は、鉄橋横から正面勝ちに撮られた例が多く、また順光にもなるのですが、あえて逆光側の横勝ちに撮れる斜面に登りました。


 他の列車を撮影しながら時間を過ごし、ようやく信号場にその姿を現わしたD51三重連 は、勢い良く煙を上げながら、トンネルに向かってダッシュして行きました。


 無事に撮影できたので、ご機嫌よくこの日も川遊びに降りて行きました。


 単機回送のあとに重連の貨物列車が来ますが、これをつなげてくれれば、もう1本三重連ができるのですが。


 信号場のすぐ横に小山があるので登ってみます。

 ここからは新見駅方向しか見えず、列車は絶気運転でやって来ます。


 昨日県道から撮影した列車ですが、後部に逆向き重連補機を連結しています。


 次は、やはり昨日県道で撮影した芸備線の貨物列車で、最後尾に C58 の逆向き補機が付いています。


 足元を見下ろすと、丁度信号場のポイントを通過する姿が見えます。


 この日は広島駅に向かうので、これにて終了し、お世話になった信号場の係員にお礼を述べてから、芸備線の乗客になりました。

 途中の木次線との接続駅である備後落合駅では、木次線の C56 の上り貨物が撮影できるので、比婆山駅方向に進み、鉄橋で待ち構えました。


 備後落合駅に戻ると、芸備線用の C58 が数両待機していて、この当時は活気がありました。


 引続き芸備線の乗客になり、広島駅を目指します。

2019年8月25日日曜日

 布原で過ごした3日間(その2) 1969.8.20

 2日目の布原信号場に降り立って聞いた言葉は、昨日と同じ係員からの「今日も三重連はありません」でした。

 前日夕方の貨物列車が軽く、補機が連結されないときは翌日の三重連は無し、つまり1両は回送として連結された結果、三重連が出来上がるのです。

 いきなりやる気をそがれたのですが、備中神代駅方向に進み、鉄橋で列車の通過を待ちます。


 2492レの時間が近づいたので、新見駅側の鉄橋に移動します。


 発車して来る D51重連 は迫力はあるのですが、やはり少々物足りないです。

 この日も暑いので、川原へ降りて、何カットかを撮影します。


 暑さに負けずに俯瞰撮影をしようと、上の方を走る県道に登ることにしました。

 途中でやって来た芸備線の客車列車を撮影します。


 県道からの撮影場所は備中神代駅との間になりますが、線路はかなり下の方にあり、夏の空気で靄がかかったように見えます。


 この貨物は、後補機に 逆向きD51重連 が付いているのですが、定かには見えません。


 伯備線の旅客用は、単行のDCです。


 次の芸備線の短い貨物列車は、前後に C58 が付いています。


 この先はトンネルに入るので、撮影できる範囲は限られます。


 信号場にお邪魔して、お茶をごちそうになりながら昼飯弁当を食べます。
 連日、親切にしていただいていますが、この日も他には撮影者はいませんでした。

 撮影を再開し、今度は良く撮影されるポイントから撮ってみました。


 同じ方向を、もう一度川原から撮ってみます。


 もうしばらくたってから引き上げましたが、明日が最後なので、三重連が運転されるか心配しました。

2019年8月23日金曜日

 布原で過ごした3日間(その1) 1969.8.19

 この頃になると、伯備線の D51三重連 の存在がファンの間で知れ渡ってきましたが、以前訪問した時は後ろ姿しか撮影できなかったので、今回は3日間じっくりと撮影することにしました。

 先ずは前日に新見入りするときに撮影した C58 の入換の様子です。


 テンダーの十字マークと、変てこな火の粉止めと切欠きデフが目立ちます。

 翌朝、新見駅の時刻表に「布原停車」と標記されているDCに乗り、次の布原信号場で下車したのですが、係員から本日は三重連無しと聞いてガッカリしました。


 先に通過したのは、芸備線の下り貨物列車で、C58 の牽引です。

 しばらく待つと、布原に暫し停車した三重連ならぬ D51重連 が、勢いよく煙を上げながら通過して行きました。


 我々以外には撮影者は無く、真夏の暑さの中、川原に降りて涼を取りながら撮影しました。


 今度は信号場の先に進み、木陰に身を潜めてやって来る列車を待ちます。


 この芸備線の下り貨物は、後部に C58 の補機が連結されています。

 その後もあたりをうろつき、再び川原の反対側に降りてみました。


 芸備線の客車列車ですが、この時は特に感動もせず、こんなものかと思いながら撮った記憶があります。

 翌日の三重連運転を期待して、新見の宿に早めに戻りました。

2019年8月21日水曜日

 クルマで巡った 八高線と川越線 1969.8.16

 普通免許が取れる歳になり、今までは行けなかった早朝というか未明の八高線 9600重連 の貨物列車を撮影に行きました。

 しかしながらもう八月も半ばなので、日の出はそれ程早くなく、東飯能駅と高麗川駅の間での撮影ですが、薄暗がりの中を背中合わせの 9600重連 が通過して行きました。


 このあとは、やはり車でないと行きにくい、川越線の 9600牽引の客レ を撮るべく、入間川の鉄橋に向かいました。

 先行してキハ35系の通勤列車が来ましたが、外吊戸が見事に並んだ編成です。


 続いて、お目当ての 9600 牽引の客車列車が姿を見せました。


 東京近郊で、毎日SL牽引の列車で、通勤・通学しているとは、この当時でも珍しかったことです。


 再び八高線の金子駅と東飯能駅の間に戻り、撮影を続けます。

 逆向きの 9600 牽引の貨物列車が黒煙を上げながらやって来ました。


 並行する道路は未舗装で、走行する車も砂煙を上げています。

 同じく上り貨物を、今度は D51 が牽引してきました。


 暑さと早起きとでやる気が無くなり、これにて退散しました。


 帰る途中で旧型電機を見かけたので、1枚だけ撮っておいたのですが、当時はSL以外を撮影するのはフィルムの無駄と思っていました。