C56 の若番機は南方で使用されていましたが、1979年6月に、C5631 と C5644 がタイから里帰りしてきました。
そのうち、C5631 は靖国神社で静態保存され、C5644 は大井川鉄道で動態保存されるようになりました。
因みに、靖国神社の C5631 も見に行ったことがあります。
大井川鉄道の C5644 は他のSLに混じって使用されていたのですが、2007年10月にタイ国鉄仕様に変更されたとのことなので、これを狙って撮影に行きました。
この日はSL列車が3本運転されるので、C5644 が使用される確率が高いと思っていったのですが、最初の1本目から登場しました。
場所は抜里駅を過ぎて、大井川第1橋梁に向かう築堤です。
あっさり目的を達したので、このあとは田野口駅と駿河徳山駅の間の、大井川の土手からで、晩秋らしく葉の色を変えた木を入れて撮ってみました。
この場所は、この季節では陽がまわってくれず、SLの姿が沈んでしまいます。
次のSL列車までの合間には、近鉄特急が通過します。
続いて3本目ですが、この時間になっても太陽は回りきってくれません。
帰りの列車は、大井川第1橋梁を見下ろす台地からです。
先行する近鉄特急が、良い陽射しの中を通過しました。
最初の上りSL列車は順光の中、綺麗に捉えられましたが、既に山影が迫りつつあります。
そこで日当たりが期待できる抜里駅と家山駅の間の、茶畑のカーブに向かいました。
先行して各停がやって来ましたが、こちらの方が好ましく思います。
そのあとを、既に赤い光線になった中を、C5644 がバック運転でやって来ました。
後追いでも撮ってみましたが、撮影中は眩しくて、どんなモノが撮れたのか分かりませんでしたが、何とか写っていたようです。
最後の3本目が通過するときには、線路はすっかり影の中で、バックの山との明るさが大きく違ってしまいました。
この C5644 のタイ国鉄仕様は、約3年後の2010年9月までで、その後一般仕様に戻されてしまいました。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで
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現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
小樽築港機関区
2019年3月31日日曜日
2019年3月29日金曜日
2007年秋の各地にて 2007.9~11
仕事で地方都市に出かけることが多く、受注したならば何度も通うことになるので、その際にはカメラを持参していました。
以前ご覧いただいた SLやまぐち号 の撮影はその典型で、荷物の中にハッセルを忍ばせての出張を繰り返しました。
今回は、2007年の秋ごろにコンパクトカメラで撮影したもので、行き先々の様子をスナップで残したものです。
先ずは、当時高架化が下り線だけ竣工した中央線の武蔵小金井電車区を、特急の窓ガラス越しに撮ったものです。
ガラス越しなので少々発色に難がありますが、この頃の主力は201系で、置換えが始まった時期です。
次は同じ中央線の初狩駅で、この駅はかつてはスイッチバックの駅でしたが、電車化が完了したのを機に、本線の勾配上にホームを移設しました。
興味深いスイッチバックの渡り線は残されており、昔の駅構内は保線基地として使用されているようです。
また大月駅側の枝線も健在で、画面上に見える採掘工場への引き込み線になっていました。
残念ながら、本線を横切って入って行く列車には出会ったことが有りません。
最後は山陽本線の岩国駅です。
非電化の岩徳線の始発駅で、JR西日本色のDCの姿が見られました。
同じホームの少し先には、岩徳線を経由して岩国駅まで乗り入れている錦川鉄道の0番線ホームがあります。
ちょうど20周年記念のヘッドマークを付けた、清流線のDCが停車していました。
このように一人で出かける折にはカメラを忍ばせ、鉄を楽しんでいました。
以前ご覧いただいた SLやまぐち号 の撮影はその典型で、荷物の中にハッセルを忍ばせての出張を繰り返しました。
今回は、2007年の秋ごろにコンパクトカメラで撮影したもので、行き先々の様子をスナップで残したものです。
先ずは、当時高架化が下り線だけ竣工した中央線の武蔵小金井電車区を、特急の窓ガラス越しに撮ったものです。
ガラス越しなので少々発色に難がありますが、この頃の主力は201系で、置換えが始まった時期です。
次は同じ中央線の初狩駅で、この駅はかつてはスイッチバックの駅でしたが、電車化が完了したのを機に、本線の勾配上にホームを移設しました。
興味深いスイッチバックの渡り線は残されており、昔の駅構内は保線基地として使用されているようです。
また大月駅側の枝線も健在で、画面上に見える採掘工場への引き込み線になっていました。
残念ながら、本線を横切って入って行く列車には出会ったことが有りません。
最後は山陽本線の岩国駅です。
非電化の岩徳線の始発駅で、JR西日本色のDCの姿が見られました。
同じホームの少し先には、岩徳線を経由して岩国駅まで乗り入れている錦川鉄道の0番線ホームがあります。
ちょうど20周年記念のヘッドマークを付けた、清流線のDCが停車していました。
このように一人で出かける折にはカメラを忍ばせ、鉄を楽しんでいました。
ラベル:
2007年9-11月,
岩徳線,
錦川鉄道,
中央線
2019年3月27日水曜日
ちょっと立寄った 碓氷鉄道文化むら 2007.10.13
昨日の記事の上越線のD51撮影の後、上り列車の撮影はせずに、宿に向かう途中で信越線の横川駅に立寄りました。
国道18号線を通るので、どうせならばと欲を出したわけで、文化むらの園内には入りませんでした。
ここから旧信越線の下り線を使って、丸山変電所の先の峠の湯という施設まで、トロッコ列車シェルパくん が運転されているので、その とうげのゆ駅 に向かいました。
駅のすぐ手前の整備された散策路で待っていると、推進運転でトロッコ列車がやって来ました。
写真右手には旧信越線が残っていて、下り本線から分岐してこちらに入って来ます。
しばらくすると折返してきますので、これを撮影してから横川駅に戻ります。
文化むら では、英国製のグリーンブリーズ号が、傾いた陽射しの中を走って来ました。
今回は、移動の途中に、わずかの時間だけ立寄った時の、おまけの画像でした。
国道18号線を通るので、どうせならばと欲を出したわけで、文化むらの園内には入りませんでした。
ここから旧信越線の下り線を使って、丸山変電所の先の峠の湯という施設まで、トロッコ列車シェルパくん が運転されているので、その とうげのゆ駅 に向かいました。
駅のすぐ手前の整備された散策路で待っていると、推進運転でトロッコ列車がやって来ました。
写真右手には旧信越線が残っていて、下り本線から分岐してこちらに入って来ます。
しばらくすると折返してきますので、これを撮影してから横川駅に戻ります。
文化むら では、英国製のグリーンブリーズ号が、傾いた陽射しの中を走って来ました。
今回は、移動の途中に、わずかの時間だけ立寄った時の、おまけの画像でした。
2019年3月26日火曜日
10月の上越線 SL奥利根号 2007.10.13
この年は8月に続いて、10月にも上越線の D51498 を撮影に行きましたので、その時の様子です。
しばらく待つと、D51498 が軽く煙を上げながらやって来ましたが、この場所は津久田駅のすぐ先なので、駅の跨線橋がわずかに画面右側に見られます。
鉄橋を渡る姿ですが、この高さからだと手前の木が伸びてきたので、もう少し高い位置からのアングルを探す必要があります。
485系の 宴 のようですが、編成は4両です。
本命の SL奥利根 が近づいて来ましたが、手前の架線柱が目立ちます。
諏訪峡を臨むこの場所は、安全にお手軽に撮影できる場所で、観光客も一緒に撮影していました。
最後のカットは、立木や架線柱に邪魔された、タイミングの遅れたものになってしまいました。
撮影場所に悩むのはいつものことですが、クルマを使用するので、特にその駐車場所探しには苦労します。
そんなこんなで、今回も津久田駅と岩本駅の間の勝手知ったる場所になってしまい、鉄橋を見下ろす道路近くからになりました。
またしても、先行する各停電車からです。
しばらく待つと、D51498 が軽く煙を上げながらやって来ましたが、この場所は津久田駅のすぐ先なので、駅の跨線橋がわずかに画面右側に見られます。
鉄橋を渡る姿ですが、この高さからだと手前の木が伸びてきたので、もう少し高い位置からのアングルを探す必要があります。
撮影後に追いかけて向かったのは、水上駅の手前の利根川にかかる諏訪峡大橋です。
ここまで来てしまえば、列車の通過までは余裕があるので、クルマを停めてから歩いて橋の上の適当な場所に向かいました。
まだ時間があると思っていたら、上り線をエンジ色の変なものが通り過ぎて行きます。
485系の 宴 のようですが、編成は4両です。
本命の SL奥利根 が近づいて来ましたが、手前の架線柱が目立ちます。
諏訪峡を臨むこの場所は、安全にお手軽に撮影できる場所で、観光客も一緒に撮影していました。
クルマに気を付けながら道路を渡り、後追いでの撮影です。
この角度で見ると、テンダーが改造されている様子が良くわかります。
最後のカットは、立木や架線柱に邪魔された、タイミングの遅れたものになってしまいました。
このあとは帰りの列車を撮影せず、信越線の横川駅を目指しました。
2019年3月24日日曜日
2007年夏に廻った各地 2007.8.28-31
8月26日に上越線のD51を撮影してから夏休みに入ったのですが、観光を兼ねて各地を巡った時の記録です。
28日には小諸の懐古園を訪れましたが、そこには小海線で活躍した、C56144 が保存されていました。
割合に良く手入れされてはいましたが、前照灯が無く、ナンバーには赤入れがされていて、現役当時とは趣きが異なっていました。
30日には、上信電鉄の下仁田駅に立寄りました。
駅構内の様子を撮影しただけですが、電車の車体の広告がやけに目立っていました。
その足で横川の碓氷鉄道文化むらを覗きにまわりました。
何度も行っているので、入場料を節約し、敷地外からの撮影です。
キハ20がきれいになっていましたが、保存車両は順番に塗り替えられているようです。
EF63が運転講習でこちらに近づいて来ましたが、暑いためか貫通扉を開け放しています。
グリーンブリーズ3950 も多くの乗客を乗せて運転中で、勾配区間で煙を上げています。
翌31日は休みの最終日ですが、その帰り道、旧御代田駅構内の御代田町立交通記念館の D51787 を見に寄りました。
保存状態は非常に良いのですが、周りが狭くて、写真を撮るのに苦労します。
その後は小海線沿いを中央道に向けて南下しましたが、休憩を兼ねて、野辺山駅に立寄りました。
駅を発車するDCを撮影したのみで、このあとは寄り道せずに自宅に戻りました。
28日には小諸の懐古園を訪れましたが、そこには小海線で活躍した、C56144 が保存されていました。
割合に良く手入れされてはいましたが、前照灯が無く、ナンバーには赤入れがされていて、現役当時とは趣きが異なっていました。
30日には、上信電鉄の下仁田駅に立寄りました。
駅構内の様子を撮影しただけですが、電車の車体の広告がやけに目立っていました。
その足で横川の碓氷鉄道文化むらを覗きにまわりました。
何度も行っているので、入場料を節約し、敷地外からの撮影です。
キハ20がきれいになっていましたが、保存車両は順番に塗り替えられているようです。
EF63が運転講習でこちらに近づいて来ましたが、暑いためか貫通扉を開け放しています。
グリーンブリーズ3950 も多くの乗客を乗せて運転中で、勾配区間で煙を上げています。
翌31日は休みの最終日ですが、その帰り道、旧御代田駅構内の御代田町立交通記念館の D51787 を見に寄りました。
保存状態は非常に良いのですが、周りが狭くて、写真を撮るのに苦労します。
その後は小海線沿いを中央道に向けて南下しましたが、休憩を兼ねて、野辺山駅に立寄りました。
駅を発車するDCを撮影したのみで、このあとは寄り道せずに自宅に戻りました。
2019年3月22日金曜日
2007年夏 上越線の D51498 2007.8.26
東急世田谷線の記事以来、しばらくSLから離れてしまいましたが、今回は2007年の夏休みに恒例の上越線に立寄った時のSL撮影です。
同じ時期に秩父鉄道に行くとあまり天気が良くないのに、上越線の方は好天が多く、この日も夏の陽射しが強烈な、暑い一日でした。
撮影場所はお馴染みの、津久田駅と岩本駅の間のSカーブです。
例によって、先行のECからです。
上り下りと、カメラの具合を確かめながらの撮影ですが、こんな車両の写真が貴重になるとは想像できませんでした。
そして、暑い中を煙を上げながら D51498 がやって来ました。
線路間の虎ロープの支柱で、撮影アングルが限られてしまいます。
このあとはゆっくりと水上駅を目指しました。
奥利根号のヘッドマークを付けて、ターンテーブルに乗る姿を撮影。
帰りの列車は、この当時は停車駅だった上牧駅の発車直後を、線路と反対側の高台から狙います。
列車の牽き出しの間は煙を上げますが、力行するのはほんの少しで、すぐに絶気運転になってしまいました。
この日から、いつものように遅い夏休みが始まりました。
同じ時期に秩父鉄道に行くとあまり天気が良くないのに、上越線の方は好天が多く、この日も夏の陽射しが強烈な、暑い一日でした。
撮影場所はお馴染みの、津久田駅と岩本駅の間のSカーブです。
例によって、先行のECからです。
上り下りと、カメラの具合を確かめながらの撮影ですが、こんな車両の写真が貴重になるとは想像できませんでした。
そして、暑い中を煙を上げながら D51498 がやって来ました。
線路間の虎ロープの支柱で、撮影アングルが限られてしまいます。
このあとはゆっくりと水上駅を目指しました。
奥利根号のヘッドマークを付けて、ターンテーブルに乗る姿を撮影。
帰りの列車は、この当時は停車駅だった上牧駅の発車直後を、線路と反対側の高台から狙います。
列車の牽き出しの間は煙を上げますが、力行するのはほんの少しで、すぐに絶気運転になってしまいました。
この日から、いつものように遅い夏休みが始まりました。
2019年3月20日水曜日
その後の ウエスタン村の ワイパウ4 2019.3.10
かつて栃木県のウエスタン村で運転されていた2両のSLにつきましては、2017年4月と2018年8月に弊ブログで紹介しましたが、その後の様子についていくつかのコメントを頂きました。
その中で、ワイパウ号については、東武ワールドスクウェアに保存展示されている旨コメントをいただきましたが、先日 SL大樹 の撮影に行った折に見てきましたので、ご紹介します。
設置場所は東武ワールドスクウェアの敷地内ですが、1/25の展示物の入り口手前で、入場券が無くても見ることができます。
機関車前部には、アメリカ国旗とワールドスクウェア旗が飾られているので、少々目障りではあります。
また、キャブ内見学用の階段も気になります。
それでも非常にきれいな状態で保存されていて、稼働していた時よりも美しく、雨だれの跡もありませんでした。
すぐ横にはこの機関車の概要と、ここに保存されるまでの経緯が掲示されていました。
ウエスタン村は現在休園中となっていますが、再開の可能性はほぼなく、園内はかなり荒廃していて、立入りはできません。
もう1両のバージニア6号はどこに行ったのでしょうか。
914mmという特殊な軌間のため、動態保存は難しいでしょうが、このワイパウ4号のように、再びきれいな姿を見たいものです。
その中で、ワイパウ号については、東武ワールドスクウェアに保存展示されている旨コメントをいただきましたが、先日 SL大樹 の撮影に行った折に見てきましたので、ご紹介します。
設置場所は東武ワールドスクウェアの敷地内ですが、1/25の展示物の入り口手前で、入場券が無くても見ることができます。
機関車前部には、アメリカ国旗とワールドスクウェア旗が飾られているので、少々目障りではあります。
また、キャブ内見学用の階段も気になります。
それでも非常にきれいな状態で保存されていて、稼働していた時よりも美しく、雨だれの跡もありませんでした。
すぐ横にはこの機関車の概要と、ここに保存されるまでの経緯が掲示されていました。
ウエスタン村は現在休園中となっていますが、再開の可能性はほぼなく、園内はかなり荒廃していて、立入りはできません。
もう1両のバージニア6号はどこに行ったのでしょうか。
914mmという特殊な軌間のため、動態保存は難しいでしょうが、このワイパウ4号のように、再びきれいな姿を見たいものです。
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