小樽築港機関区

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2022年12月3日土曜日

墺太利鉄旅報告(第11回)2019.8.11  by奥

 オーストリア鉄旅報告第11回はマリアツェル線(Mariazeller Bahn)訪問です。Mariazellerbahnは以前はOBBのナローゲージの支線でしたが、現在はOBBから切り離され、NOVOGという地域交通の運営組織により運行されています。蒸機、電機、客車などがROCO社からHOeで模型製品化されてるのでお馴染みです。現在は電車による運行ですが、土曜日に電機による列車、日曜日に蒸機の列車が運行されています。

8/11(日)ウィーン中央駅から西部本線でマリアツェル線の始発駅サンクト・ペルテン(ST.Polten)へ向かいます。サンクト・ペルテンはウィーンのSバーン(S40)の終点にしてレイルジェットの最初の停車駅という位置にあります。中央駅からはレイルジェットで、30分程で到着します。
サンクト・ペルテン駅を発車するレイルジェットを見送ります。

マリアツェル線の乗り場はサンクト・ペルテン駅の端に欠き取りホームがあるだけです。すでに蒸機の列車が入線しています。乗車券を買うべく切符売り場を探しますが見当たりません。


サンクト・ペルテン駅の外観です。OBBの有人窓口でマリアツェル線の切符売り場を尋ねたら、車内で車掌から買うようにと言われました。



マリアツェル線の車掌さんを探しながら列車の先頭へ行きます。編成は最後部から1等車、ビュッフェ車、2等車が2輌、有蓋車(自転車積み込み用)で機関車はMh6号機、関節式の2軸テンダーが付いた0-8-0(コールバンカーが折れ曲がる0-8-4タンク機とも言える)で、銘版によると1908年クラウス・リンツ製です。車掌さんを探しあてこの列車に乗車したいと告げると「予約はしてるのか?、この列車は事前にネット予約が必要で、本日は満席なのだ。」との事でした。「予約は無い。」と答えると「ビュッフェカーの席で良いか?」と聞かれたので勿論「OK」と言うと「では乗りなさい、発車後に行くから。」と乗車を許されました。

サンクト・ペルテン駅を発車して最初の駅がSt.Polten Alpenbahnhof という駅で車輛基地がありリリプット社で製品されてた(近年ROCO社でも製品化されました)ロッド式のディーゼル機が停まってました。

マリアツェル線は距離が85キロもあるナローゲージの盲腸線としては長大な路線で、サンクト・ペルテンからしばらくの間は平坦地ですが、やがて渓谷沿いを山間地へ入って行きます。
予約なしでビュッフェ車に乗ったのは我々だけでなく、オランダから来たという若者と、ドイツから来たという其々お一人様の男性客がいて、ドイツからの方のお仕事は、マエストロ(指揮者)との事でで「オーケストラの仕事で日本にも行ったことがある。”はやぶさ”はいいね!」などと仰ってました。途中駅からも親子連れ(母親と子供で、父親が車で撮り鉄してたらしい)が乗ってきたりしました。切符のお代は一人€33.20でカードは使えませんでした。

列車はサンクト・ペルテン0905発で、もうこれ以上川沿いに線路を敷けないうどん詰まりの位置にあるLaubenbachmuhleという駅に1039到着します。ここで給水し後続の定期列車に道を譲ります。

Laubenbachmuhleの近代的な駅舎兼車庫。

古い駅舎と車庫も現存しています。

マリアツェル線の列車の半分弱は当駅で折り返します。

後続の電車が来ました。サンクト・ペルテン駅0937発で1049に当駅着、終点のマリアツェルには1152に到着します。

1056Laubenbachmuhleを発車しました。ここから2重の半ループ線で山を登り始めます。反転してこれから登る線路が見えます。

事前のイメージとしては山に分け入り山間の町に到着して終点という路線と思ってたのですが、完全にアルプスを越える路線で、2重の半ループを登り終え尾根を越えると、見事な車窓の連続です。

上り電車と山間の小駅で交換。

ずいぶんと高い所へ登ってきました。遠くの山々が低く見えます。

長いトンネルがありました。多分アルプスの分水嶺を抜けたと思われます。

アーチ橋もありました。

湖を半周する区間もありました。

峩々たる奇岩が連なる山々望む区間もありました。
終点のマリアツェルには1222に到着です。到着前に予期せぬ物が車窓をよぎりました。
後方に煙が上がっています。


煙の出処はスティームトラムです。

線路の幅は標準軌です。事前の検索にかからなかった保存鉄道がマリアツェルにあるのでした。



スティームトラムの列車の後方には電車も停まってます。右に見える茶色の客車は乗車してきたマリアツェル線の客車です。


マリアツェル線の蒸機に戻ると、機回しを始めました。

ターンテーブルに乗ります。積雪対策なのかターンテーブルは板で覆われてます。後方の架線柱は先ほどのスティームトラムと路面電車が走る線路です

ターンテーブルで向きを変えるのかと思ったら隣の線に入り、整備を始めました。


マリアツェル駅の本屋です。

マリアツェルの貨物上屋です。

マリアツェルは駅前にはホテルも商店街も見当たらず、小さなお土産とスナック類を売る売店があるくらいです。昼食用のパンを買って1307発のサンクト・ペルテン駅行きの電車に乗りました。帰りの運賃は€18.40でした。

マリアツェルを発車後しばらく先ほどの保存鉄道の線路と並走しました。


2重半ループ線の上段からLaubenbachmuhle駅を見た所です。
中段から見たLaubenbachmuhle駅です。

山を降りて渓谷沿いに進むところです。

St.Polten Alpenbahnhofでは朝と同じ位置にロッド式ディーゼル機が停まってました。
サンクト・ペルテン駅には1522に戻ってきました。
なお、マリアツェル線については夢遊仙人さんのサイト「夢遊生活の日々」に1992年に訪問された記事が掲載されています。未見の方は是非ご覧ください。

ウィーンへの戻りはトンネルばかりの新幹線ではなくSバーンに乗って、中央駅、西駅の他にもう一つあるウィーンのターミナル駅であるフランツヨーゼフ駅(Wien-Franz‐Josef‐Bahnhof)経由で帰ろうと思います。
生憎1時間に1本のSバーンは出たばかりです。そこで、1駅新幹線移動して、乗り損ねたSバーンに先回りすることにしました。

OBBのTullnerfeld駅、現在は新幹線と在来線の乗り換えのためだけにあるような駅で、駅前には駐車場しかなく周囲は畑ですが、これから開発が始まるようで、数年後には風景が激変してるかも知れません。

Tullnerfeld駅停車中のSバーン。こちらは下りのサンクト・ペルテン行き。

上りの電車は落書き付きです。ようやく古参の電車に乗れました。


Sバーン電車の車内、日曜夕方の上り電車はガラガラです。

電車はフランツヨーゼフ駅行きかと思ったら途中のTulln a.d. Donau駅どまりでした。ここで別方面からの近郊型客車の列車に乗り換えました。

駅名が示すように列車はドナウ川沿いにウィーンへ向かいます。

ウィーン市内に入った途中の駅に赤いライニングのワーグナーデフ付きの蒸機とワゴン・リカラーの客車と52型が2輌置いてありました。

これまでの状況からして保存車輌と思います。

地下鉄と並走する区間もありました。

地下鉄車庫の背後に聳える現代建築は確か清掃工場だと思います。
フランツヨーゼフ駅に到着しました.

Tulln a.d. Donauから乗車した2階建て客車の列車です。

フランツヨーゼフ駅はビルの中の頭端式の駅です。車止めの緩衝装置が単純明快な形です。

フランツヨーゼフ駅の外観。名前から連想したイメージとは裏腹に現代建築のビルでした。
市電の系統を調べると上手い具合に市電D系統(ウィーンの市電の系統番号は基本的に数字ですが何故かこの系統はD系統となっています)に乗ると終点がホテルの前です。

うれしいことにD系統の古い電車が来ました。

D系統はウィーン市内をほぼ南北に縦断する形の路線です。リンク(環状道路)を半周します。リンクは自動車一方通行の道路を逆走する形になります。市電の線路は車道の両端に敷かれています。

リンクトラムと行き合いました。

D系統の終点、Alfred Adler Str. に到着しました。左の建物が宿泊したホテル、背後のコンクリートの壁がウィーン中央駅の高架線です。(第11回おわり)

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