小樽築港機関区

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2025年9月15日月曜日

 庭園鉄道建設記-1

  SLを追いかけ、SLの引退後にも撮り続けた写真を掲載し、ネタが無くなったのでターンテーブルの製作記を載せてから空白状態となってしまいました。

 このたび、横浜青葉台からここ軽井沢に転居してもう少しで丸2年がたち、ようやく庭の植栽等が一段落したので、庭園鉄道の敷設を計画しました。

 横浜時代はマンション住まいでしたが、狭いながらもルーフバルコニーがありましたので、ここにGゲージの線路を敷き、楽しんでいました。

 まずはその様子から。


 レーマンのR-1(半径600mm)がかろうじて収まる幅があったのです。


 床面に段差があったので、勾配区間があります。


 分岐器は電動にして、交換駅も設置しました。


 川があるわけでもないのに、トラス橋まで設けたのです。


 車両にはDCCのデコーダを組み込み、複数の列車を同時に走らせていました。

 ところが転居に当たり、全て解体したのは言うまでもありません。

 そして最初に申し上げましたように、この度軽井沢での庭園鉄道の建設に取り掛かることになりました。

 設置場所は庭の中心部の芝地です。


 上の写真は夏を迎えて茶色の部分が増えていますが、昨年張ったばかりの様子はこんなでした。


 庭全体が浅間山からの傾斜があるので、曲線で急勾配を克服する計画です。


 図の上の方に建屋があり、斜線部がテラスの土間部分でして、最急勾配を5%とした計画で、図中の長方形が芝生部分を示しています。

 問題点として、ここ軽井沢では冬季に凍結するので、凍結深度まで掘削し、基礎を固める必要があります。

 今後建設の様子をブログに載せるつもりですが、果たして順調に進むのか、それによりいつ更新できるのか心配しています。


2025年5月15日木曜日

 9mm 電動転車台 の組立(その2) ~2025.5.13

  ターンテーブル組み立ての続きです。

 塗装を終えたので最終組み立てを行います。


 説明書にしたがって、桁をはめ込みビス4本で上下を固定します。


 ここで問題が起きました。

 説明書ではネジ M3×12 と記載されていますが、部品リストでは M3×15  となっていて同梱されていたのは15mmでした。

 15mmで組み立てますと表面に3mm飛び出してしまいました。

 これについてメーカーにメールで問い合わせましたが返答は全くありません。

 近くの店2軒で探しても12mmは無かったので、手持ちの口径の大きいナットが厚さ3mmだったのでこれを挟み込むことで収めました。


 動力ユニットを取り付け、操作パネルと接続して試運転です。

 ここでまたしてもトラブル発生。

 動力ユニットのカムと、このカムとかみ合うギザギザの円盤との距離がわずかに離れすぎているため、カムが食い込んで停止してしまいます。

 この隙間を減らすべく、動力ユニット取付穴を長円形に広げ、さらに取付板の方も動力ユニットと接する部分を削り取り調整しました。


 これにてようやく順調に回転するようになり、レイアウトに取り付ける前状態までの完成となりました。


 横から見ると、ナットが挟まっている様子が見えます。

 実はこのキットを組み立てるかなり前に、クラッシックストーリー 発売の 軽便用中型転車台 を途中まで製作していました。


 こちらは桁のデザインも違いますが、やはり9mmナロー用の製品です。


 裏側の駆動装置側ですが、まだ集電装置までは取り付けていません。


 側面から見ると、厚さがわかります。


 この両者を比較すると、厚さがコスミックが約50mm、クラッシックストーリー製が約30mmです。

 デザインが違うので単純には比較できませんが、コスミック製が回転台に給電すれば周りの線路に給電されるので極性に惑わされることが無いのが利点で、一方厚さが50mmあるので、小さなセクションに取り付けの場合はパネル全体の厚みへの影響が気になるところです。

 このブログで初めて模型の記事を載せてみましたが、いかがなものでしょうか。

2025年5月5日月曜日

 9mm 電動転車台 の組立(その1) 2025.3.16

  このブログで初めての模型の記事です。

 TMS996号の 製品の紹介 欄に掲載された コスミック製 のナロー9mm用の電動式転車台の記事を見て、転車台フェチの私は早速通販で手に入れました。

 今回はその製作記を2回にわたり書いてみます。

 製品の内容につきましてはTMS誌上に簡潔に記載されていますので、実際に組み立ててみた折に感じたことを。

 まずは外箱です。



 部品と共に入っていた組み立て説明書は、文章が2ページ、それに部品図2枚と組立図で構成されていました。

 説明書はかなり丁寧で理解しやすいのですが、組立図の方には文字での説明が全く無く、説明書と照らし合わせながらの確認が面倒でした。

 それでもパーツは正確に作られているので、修正せずに組み立てが進みました。

 ところがピットの立上り、側壁については、組み立てた後に帯紙を挿入すると簡単に一文が書かれていますが、これの位置決めは組立後では非常に困難なので、いったんバラして、設置位置を描いてからの作業としました。


 実はこの写真の黒線の位置では桁の上部の出っ張りに干渉することが組み立ててからわかり、取り外して再度作り直した次第です。

 次にキットでは塗装不要となっていますが、素材の色のままだと実感味が乏しいので、この時点でカラースプレーで塗装しました。


 塗装が終わったところで組み立てに入るのですが、少し作っては放り出し、今度は塗装が乾くのを待たなければならないので再びしばらく放置してしまったのです。

 以下、次回で一応の完成までを報告します。


2025年3月26日水曜日

 北陸まわりで関西へ(その4) 2024.12.12

  北陸まわりの関西旅行の最終日、往路と同じ行程ですが、立ち寄り先が違います。

 京都駅から敦賀行きのサンダーバード号を待っていると、数人の鉄がカメラを構えていました。

 何が来るのかと思っていたら登場したのはこんな列車で、何か珍しいのでしょうか。


 そして中線を スーパー白兎 の回送車が通過します。


 さらに新快速電車が入線してきました。


 そして、ようやく乗車する サンダーバード号 がやって来ます。


 終点の敦賀駅で北陸新幹線に乗り換えました。


 はくたか560号 ですが、乗車するのはわずかです。


 停車駅が多いので、目的地の糸魚川まで二時間近くかかりました。

 糸魚川での立ち寄り先は谷村美術館で、村野藤吾設計の変わった形状の建物です。


 館内から見る庭もきれいでした。


 糸魚川駅に戻りましたが、ここには ジオステーション ジオパル という施設があり、鉄道関連の展示やレイアウトが設置されています。

 また キハ52 の実車が置かれ、普段は先頭部の建物の扉が開かれていて撮影できるのですが、この日は閉じられていてダメでした。

 そして外側には、かつて東洋活性白土で使用されていた2号機が保存されています。


 アングルを変えて何枚か撮影しました。


 ついでに1970年8月に訪問した際の写真を再掲します。


 このあとは新幹線としなの鉄道を乗り継ぎ、夕方に信濃追分駅に帰着しました。


2025年3月16日日曜日

 北陸まわりで関西へ(その3) 2024.12.11

  この日は琵琶湖疎水の蹴上インクラインを見に行きます。

 京都駅から地下鉄を乗り継ぎ、東西線の蹴上駅で下車、地上に上がると目の前の坂道にはかつて線路が敷かれ、急勾配を電車が走っていたところでした。

 道路と反対側に振り返り、すぐのところがインクラインの上部に当たるところで、桜の時期には大変にぎわう場所ですが、閑散期でまだ早い時間とあって、観光客の姿もまばらです。

 このインクラインは、全長582m、勾配1/15で、ここ蹴上と南禅寺船溜まりを結ぶ船運のための設備でした。

 台車の上に船が載せられた状態で展示されています。


 はるか下の方に向かって、線路が続いていました。


 台車を勾配の下側から覗いてみます。


 この軌間は2540mmもあるそうで、レールの継ぎ目を確認してみました。


 勾配の途中には、柵に囲まれて反対側の台車が置かれています。


 柵の隙間から台枠と台車をのぞいてみました。


 そのまま下ってゆくとトンネルをくぐり、振り返ってみるとなかなか良い景色です。


 終点の南禅寺船溜まりは整備され、観光池になっていました。

 この近くに琵琶湖疎水記念館があり、疎水についての説明や模型があるほか、屋外には使用されていた機械類も展示されています。


 見学を終えた後は人並みに京都観光でして、そこには鉄分がありませんでした。


2025年3月5日水曜日

 北陸まわりで関西へ(その2) 2024.12.10

  京都に着いて二日目、この日は千里中央駅から万博記念公園駅に向かいました。

 京都駅から新快速で新大阪駅へ、地下鉄に乗り換えて北大阪急行線の千里中央駅に到着です。


 車両も駅ホームもすっかり新しくなっていました。


 ここでは親戚を訪ねるのが目的で、それを済ませてから大阪モノレールで万博記念公園駅に向かいます。


 お初の大阪モノレールに乗り、万博記念公園駅に到着、目的地にはペデストリアンデッキで向かうのですが、この通路はモノレールの撮影にもってこいで、早速撮影しました。


 派手な姿の彩都線の車両が高いところから近づいてきます。


 この辺りは1970年の万博が行われたときに何度か訪れていて、当時は地下鉄が仮設駅である万博中央駅まで伸びていました。


 この写真は折り返し用の引き上げ線で、右上には万博会場を周回するモノレールが写っています。

 今回ここを訪れたのは、公開されている太陽の塔の内部に入るためで、事前予約で時間指定の入場券を購入する必要がありました。

 鉄とは無関係ですが、太陽の塔の内部写真です。


 会場を後にして、駅に戻る途中でも撮影しました。


 この写真の左に写っている歩道橋を渡るのですが、高い位置まで防護ネットがあり、目一杯手を伸ばしての撮影なので、画面の確認ができません。


 再び駅近くの歩道橋から撮影しました。


 ここから二方向に分岐するので、列車本数がかなりあります。


 冬の斜光で、車両撮影にも最適でした。


 最後に太陽の塔も入れて、撮影終了です。


 これにて京都に戻るのですが、同じルートでは面白くないので南茨木駅に向かい阪急を利用しました。


 阪急の車両は相変わらずきれいです。

 高槻駅からJR線に乗り換え、京都を目指しました。