小樽築港機関区

小樽築港機関区

2019年6月30日日曜日

 山陽本線 須磨浦海岸にて 1967.8.3

 1964年に東海道新幹線が開業したことにより、山陽本線はこれを受けて新大阪駅からの接続列車を増発し、多くの優等列車が走っていました。

 子供のころから馴染みだった山陽電車の須磨浦公園駅あたり、国鉄の須磨駅と塩屋駅の間の海岸沿いに撮影に行きました。

 目的地に向かい歩きながら、最初に撮ったのは西明石駅までの各駅停車の電車です。


 この手の電車には興味が無く、各停の撮影はこの1コマだけです。

 寝台特急あかつき が手前の列車に被ってしまった後に、やって来たのは80系の DC特急みどり です。


 九州内に乗り入れ、大分駅と佐世保駅に向かうのでDCだったのですが、全線電化された山陽本線内を延々とエンジンを全開で走り抜けていたのです。


 他にも山陽本線から未電化の支線に乗り入れる急行DCが、キハ28系の長編成で運転されていました。


 当時の花形は東海道から都落ちしてきた151系で、特急しおかぜ は広島駅まで、特急しおじ は下関駅までの運転であったと思います。


 特急列車の合間を縫うように、またしてもDC急行がやって来ました。


 未電化支線にも多くの優等列車が設定されていた時代でした。

 交直両用電車の 急行はやとも は、新幹線接続ではなく、名古屋駅が始発の博多行きだったと記憶しています。


 すぐ隣の海水浴場を横目で見ながら暑い中での撮影でしたが、フィルムが無くなってきたのでこれにて退散しました。

2019年6月28日金曜日

 城東貨物線 蛇草信号場 1967.8.1

 おおさか東線という名の通勤路線になってしまった当時の城東貨物線には、列車交換のために蛇草(はぐさ)信号場が設けられていました。

 布原信号場から戻って2日目に、最寄り駅の近鉄大阪線俊徳道駅に行きました。

 歩いて程近い信号場に行くと、D52 が牽引する貨物が停車中で、交換の列車を待っているところでした。


 やって来た C58 は、正面のプレートが磨き過ぎのためか地色が見えていて、ナンバーが判読できません。


 その後も D51 や C58 牽引の貨物列車が通過し、かなりの列車密度です。


 しばらくすると、先程発車していった D5228 が折返して再び姿を見せました。


 これだけで帰途に着いたのですが、ついでに近鉄の写真も撮影しました。


 ビスタカーの走る線路脇の道は未舗装で、でこぼこです。


 普通電車は新型ですが、急行には古豪が使用されていました。


 この二つの路線とも高架化され、あたりも全く様変わりしてしまい、この当時の面影は想像できません。

2019年6月26日水曜日

 初めて訪れた 布原信号場 1967.7.30

 駅近くの宿を出て、新見駅の改札上の時刻表に「布原停車」と書かれていた単行のDCに乗り、お隣の布原信号場に向かいました。

 ここには D51三重連 の貨物が設定されていることをピクトリアル誌で見たのですが、運転時刻等については全く分かりませんでした。

 トンネルを出たらすぐに信号場だったので、反対側の備中神代駅側に向かって進むと鉄橋があり、これを渡った先で撮影を開始しました。


 D51 の牽く貨物列車が通過し、C58 の単機回送もやって来ました。


 しばらくすると、後ろから列車の音がするので振り向くと、D51 が3両つながって来たのです。


 大慌てで、かろうじて後追いでの撮影ができました。


 このあとは場所を移動し、信号場にほど近い山裾に行きました。


 やって来たのは、伯備線の D51重連 の貨物列車でした。

 信号場方向からは、芸備線の客レを C58 が牽引してきましたが、お隣の備中神代駅までは伯備線と芸備線の両方の列車が通過するので、かなりの列車密度です。


 下り貨物を D51 が牽引してきましたが、この列車の後部には、逆向きD51重連 の補機が付いていました。


 その次は、C58 の牽く芸備線の下り貨物です。


 まだお昼なのですが、今日中に大阪まで戻らなければならないので、短いホームから単行DCに乗り、布原信号場を後にしました。

2019年6月24日月曜日

 宍道湖畔から新見まで 各駅停車の旅 1967.7.29

  一畑電鉄の宍道湖の北側にあるユースホステルに宿泊した翌朝は、近くの線路端に行き電車の撮影からスタートしましたが、引きの取れる場所が有りませんでした。


 通勤時間帯なので、車内は満員の盛況です。

 一畑電鉄で松江駅まで戻り、山陰線、木次線と乗り継ぎ、木次駅までやって来ました。


 宍道駅からの客レの牽引機は C11 で、木次駅止まりになっています。

 ここから先のSL列車は貨物のみで、牽引機は C56 になるのですが、C56 も客レの編成替え作業をやっていました。


 列車本数が極端に少ないので木次線の途中での撮影はあきらめ、芸備線との接続駅である備後落合駅まで乗車しました。

 比婆山駅方向に歩き、芸備線の列車を撮影します。


 やって来た急行DCは、暑さのためか、貫通扉が開け放されていました。

 待つこと暫し、反対方向から C58 牽引の貨物列車が姿を現わしました。


 暑さのため、煙は陽炎のようになっていました。

 はるか遠くに見える木次線を、各停DCが備後落合駅を発車して来ましたが、この列車も前面扉を開けています。


 次の客レを撮影後駅に戻り、芸備線に乗車して新見駅に向かいました。

2019年6月22日土曜日

 山陰本線 各駅停車の旅(その2) 1967.7.28

 今回の旅の2日目です。

 宿泊したのは余部ユースホステルで、当時の学生旅はユースの予約を取ってから出かけるのが常でした。

 駅からかなり歩いた高台にあり、窓からは遠くの余部鉄橋が見えます。


 餘部駅から朝の列車に乗りますが、DCを連ねた編成です。


 因みに駅名を餘部と標記するのは、姫新線の余部駅と区別するためのようです。

 普通列車の乗車にも飽きたので、泊駅で下車し、少し線路端を歩きました。


 やって来たのは 急行いなば で、当時は冷房の搭載も無く、窓は全開されていました。

 泊駅に戻り、各駅停車の旅を続けますが、牽引してきたのは DF50 で、この日はまだSL列車にお目にかかっていません。


 乗車していると米子駅が近づき、機関区には D51 の姿が見られました。


 松江駅の手前の馬潟駅で下車しましたが、上りの 特急まつかぜ との交換です。


 ここから松江駅方向に歩きましたが、景色の良い場所は見つからず、少し開けた場所で普通列車を待ちました。


 やって来たのは C57 牽引の客レで、C57 とは今回お初の対面です。

 駅に戻り下り列車を待っていると、反対方向から来た列車も C57 の牽引で、いよいよSLの使用区間に入ったことを実感しました。


 松江駅から一畑電鉄に乗り変え、この日も鉄には不便なところにあるユースホステルに向かいました。

2019年6月20日木曜日

 山陰本線 各駅停車の旅(その1) 1967.7.27

 高校が夏休みになったので、同級生と山陰地方から伯備線をまわる旅に出ました。

 この少し前に発行された鉄道ピクトリアルのD51特集に刺激されてですが、当時は詳しい情報など皆無で、とりあえず親戚のある大阪を起点にして計画しました。

 最初に降り立ったのは上夜久野駅で、単に駅名にひかれて降りてみました。

 線路沿いに歩くと、間もなくトンネルになっていたので、その手前で上りの客車列車を待ちました。


 この先は進めないので、今度は下夜久野駅方向に進むと、キハ82系の 特急やくも がやって来ました。


 待てども貨物列車は無く、乗車する列車の時間が近づいたので上夜久野駅に戻ります。


 今度は下りの 特急やくも が通過しました。

 乗車する各停列車を、DF50 が牽引して駅に進入してきました。


 和田山駅では交換の貨物列車を D51 が牽引していましたが、この日初めてのSL列車です。


 そのまま乗車を続けて、本日の宿のある餘部駅の一つ手前、鎧駅に降りました。

 ここで交換のDC急行を待たせておいて、通過して行く 特急まつかぜ を撮影します。


 お隣の餘部駅は当時1日3本の列車しか停車せず、多くの人がこの鎧駅から線路伝いに歩いていましたが、それに倣って歩いてトンネルや余部鉄橋を渡って宿に向かいました。

2019年6月18日火曜日

 常磐線 平機関区 1967.3.17

 この当時は、常磐線の真ん中あたりにある平駅(当時)までは電化されていて、以北は電化工事が進められていたもののSLの天下で、平機関区には多くの大型機が配置されていました。

 特急ゆうづるの撮影後、昼前には平駅まで戻り、機関区を訪問しました。

 事務所で立入りの許可を申し込むと、「気を付けて」の一言だけで、構内を自由に撮影できた良き時代でした。


 朝方撮影した C6222 が、ゆうづるのヘッドマークを付けたまま、その巨体を休めています。


 入換用の 88631 は、形式入のナンバープレートに、細長い化粧煙突を載せています。


 29617 は、磐越東線の区間運転にも使用されていたようです。

 同じ磐越東線の郡山までの全区間を受け持つ D6076 も、仕業に備えて待機中です。



 やはり先程撮影した D5121 もいましたが、多くのSLの煙で、給炭台も霞んでしまっています。


 クラの脇には、メインロッドを外された 69640 がいましたが、ボイラー代用に使われていたのか、火は入っているようです。


 多くの線路が並ぶ構内には、仕業を終えて解放された C6210 がポツンと佇んでいました。


 この日のうちの帰宅しなければならないので、残念ながら長居はできず、平機関区を後にしました。

2019年6月16日日曜日

 SL特急ゆうづる と 常磐線 撮影記 1967.3.17

 常磐線にSL牽引の寝台特急が復活し、電化までのわずかな期間のみの運転なので、春休みに撮影に行きました。

 平駅から先で、しかも早朝となるとおのずと撮影できる区間は限られますが、当時は各地で運転されていた夜行の長距離各停列車に乗り、未明の四ツ倉駅で下車しました。

 薄明るくなってきたので久ノ浜駅方向に歩き、トンネルの手前で撮影を開始します。


 C61牽引の各停列車に続いて、C62の牽く夜行急行の十和田も通過しますが、まだ明けきらず、露出が不足がちです。


 漸く薄日が差し始めた頃、待望の 寝台特急ゆうづる が C6222 を先頭にやって来ました。


 その後も同じ場所にとどまり、撮影を続けます。


 ナメクジの D5121 牽引の貨物列車のあとは、気動車急行も通過しました。


 使用されなくなった方のトンネルを越えて、久ノ浜駅方向に進むと、常磐線らしく海が近くなります。


 小高い丘に登ると海が見えますが、眼下をC61牽引の普通列車が通過して行きました。


 そしてこの線のクィーン、DC特急はつかり の綺麗な編成も駆け抜けて行きます。


 再び久ノ浜駅を目指して歩き始め、丁度やって来たD51の牽く貨物列車も撮影。


 久ノ浜駅からは普通列車に乗り、平駅を目指しました。