駅近くの宿を出て、新見駅の改札上の時刻表に「布原停車」と書かれていた単行のDCに乗り、お隣の布原信号場に向かいました。
ここには D51三重連 の貨物が設定されていることをピクトリアル誌で見たのですが、運転時刻等については全く分かりませんでした。
トンネルを出たらすぐに信号場だったので、反対側の備中神代駅側に向かって進むと鉄橋があり、これを渡った先で撮影を開始しました。
D51 の牽く貨物列車が通過し、C58 の単機回送もやって来ました。
しばらくすると、後ろから列車の音がするので振り向くと、D51 が3両つながって来たのです。
大慌てで、かろうじて後追いでの撮影ができました。
このあとは場所を移動し、信号場にほど近い山裾に行きました。
やって来たのは、伯備線の D51重連 の貨物列車でした。
信号場方向からは、芸備線の客レを C58 が牽引してきましたが、お隣の備中神代駅までは伯備線と芸備線の両方の列車が通過するので、かなりの列車密度です。
下り貨物を D51 が牽引してきましたが、この列車の後部には、逆向きD51重連 の補機が付いていました。
その次は、C58 の牽く芸備線の下り貨物です。
まだお昼なのですが、今日中に大阪まで戻らなければならないので、短いホームから単行DCに乗り、布原信号場を後にしました。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで・・・
現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
小樽築港機関区
2019年6月26日水曜日
2019年6月24日月曜日
宍道湖畔から新見まで 各駅停車の旅 1967.7.29
一畑電鉄の宍道湖の北側にあるユースホステルに宿泊した翌朝は、近くの線路端に行き電車の撮影からスタートしましたが、引きの取れる場所が有りませんでした。
通勤時間帯なので、車内は満員の盛況です。
一畑電鉄で松江駅まで戻り、山陰線、木次線と乗り継ぎ、木次駅までやって来ました。
宍道駅からの客レの牽引機は C11 で、木次駅止まりになっています。
ここから先のSL列車は貨物のみで、牽引機は C56 になるのですが、C56 も客レの編成替え作業をやっていました。
列車本数が極端に少ないので木次線の途中での撮影はあきらめ、芸備線との接続駅である備後落合駅まで乗車しました。
比婆山駅方向に歩き、芸備線の列車を撮影します。
やって来た急行DCは、暑さのためか、貫通扉が開け放されていました。
待つこと暫し、反対方向から C58 牽引の貨物列車が姿を現わしました。
暑さのため、煙は陽炎のようになっていました。
はるか遠くに見える木次線を、各停DCが備後落合駅を発車して来ましたが、この列車も前面扉を開けています。
次の客レを撮影後駅に戻り、芸備線に乗車して新見駅に向かいました。
通勤時間帯なので、車内は満員の盛況です。
一畑電鉄で松江駅まで戻り、山陰線、木次線と乗り継ぎ、木次駅までやって来ました。
宍道駅からの客レの牽引機は C11 で、木次駅止まりになっています。
ここから先のSL列車は貨物のみで、牽引機は C56 になるのですが、C56 も客レの編成替え作業をやっていました。
列車本数が極端に少ないので木次線の途中での撮影はあきらめ、芸備線との接続駅である備後落合駅まで乗車しました。
比婆山駅方向に歩き、芸備線の列車を撮影します。
やって来た急行DCは、暑さのためか、貫通扉が開け放されていました。
待つこと暫し、反対方向から C58 牽引の貨物列車が姿を現わしました。
暑さのため、煙は陽炎のようになっていました。
はるか遠くに見える木次線を、各停DCが備後落合駅を発車して来ましたが、この列車も前面扉を開けています。
次の客レを撮影後駅に戻り、芸備線に乗車して新見駅に向かいました。
2019年6月22日土曜日
山陰本線 各駅停車の旅(その2) 1967.7.28
今回の旅の2日目です。
宿泊したのは余部ユースホステルで、当時の学生旅はユースの予約を取ってから出かけるのが常でした。
駅からかなり歩いた高台にあり、窓からは遠くの余部鉄橋が見えます。
餘部駅から朝の列車に乗りますが、DCを連ねた編成です。
因みに駅名を餘部と標記するのは、姫新線の余部駅と区別するためのようです。
普通列車の乗車にも飽きたので、泊駅で下車し、少し線路端を歩きました。
やって来たのは 急行いなば で、当時は冷房の搭載も無く、窓は全開されていました。
泊駅に戻り、各駅停車の旅を続けますが、牽引してきたのは DF50 で、この日はまだSL列車にお目にかかっていません。
乗車していると米子駅が近づき、機関区には D51 の姿が見られました。
松江駅の手前の馬潟駅で下車しましたが、上りの 特急まつかぜ との交換です。
ここから松江駅方向に歩きましたが、景色の良い場所は見つからず、少し開けた場所で普通列車を待ちました。
やって来たのは C57 牽引の客レで、C57 とは今回お初の対面です。
駅に戻り下り列車を待っていると、反対方向から来た列車も C57 の牽引で、いよいよSLの使用区間に入ったことを実感しました。
松江駅から一畑電鉄に乗り変え、この日も鉄には不便なところにあるユースホステルに向かいました。
宿泊したのは余部ユースホステルで、当時の学生旅はユースの予約を取ってから出かけるのが常でした。
駅からかなり歩いた高台にあり、窓からは遠くの余部鉄橋が見えます。
餘部駅から朝の列車に乗りますが、DCを連ねた編成です。
因みに駅名を餘部と標記するのは、姫新線の余部駅と区別するためのようです。
普通列車の乗車にも飽きたので、泊駅で下車し、少し線路端を歩きました。
やって来たのは 急行いなば で、当時は冷房の搭載も無く、窓は全開されていました。
泊駅に戻り、各駅停車の旅を続けますが、牽引してきたのは DF50 で、この日はまだSL列車にお目にかかっていません。
乗車していると米子駅が近づき、機関区には D51 の姿が見られました。
松江駅の手前の馬潟駅で下車しましたが、上りの 特急まつかぜ との交換です。
ここから松江駅方向に歩きましたが、景色の良い場所は見つからず、少し開けた場所で普通列車を待ちました。
やって来たのは C57 牽引の客レで、C57 とは今回お初の対面です。
駅に戻り下り列車を待っていると、反対方向から来た列車も C57 の牽引で、いよいよSLの使用区間に入ったことを実感しました。
松江駅から一畑電鉄に乗り変え、この日も鉄には不便なところにあるユースホステルに向かいました。
2019年6月20日木曜日
山陰本線 各駅停車の旅(その1) 1967.7.27
高校が夏休みになったので、同級生と山陰地方から伯備線をまわる旅に出ました。
この少し前に発行された鉄道ピクトリアルのD51特集に刺激されてですが、当時は詳しい情報など皆無で、とりあえず親戚のある大阪を起点にして計画しました。
最初に降り立ったのは上夜久野駅で、単に駅名にひかれて降りてみました。
線路沿いに歩くと、間もなくトンネルになっていたので、その手前で上りの客車列車を待ちました。
この先は進めないので、今度は下夜久野駅方向に進むと、キハ82系の 特急やくも がやって来ました。
待てども貨物列車は無く、乗車する列車の時間が近づいたので上夜久野駅に戻ります。
今度は下りの 特急やくも が通過しました。
乗車する各停列車を、DF50 が牽引して駅に進入してきました。
和田山駅では交換の貨物列車を D51 が牽引していましたが、この日初めてのSL列車です。
そのまま乗車を続けて、本日の宿のある餘部駅の一つ手前、鎧駅に降りました。
ここで交換のDC急行を待たせておいて、通過して行く 特急まつかぜ を撮影します。
お隣の餘部駅は当時1日3本の列車しか停車せず、多くの人がこの鎧駅から線路伝いに歩いていましたが、それに倣って歩いてトンネルや余部鉄橋を渡って宿に向かいました。
この少し前に発行された鉄道ピクトリアルのD51特集に刺激されてですが、当時は詳しい情報など皆無で、とりあえず親戚のある大阪を起点にして計画しました。
最初に降り立ったのは上夜久野駅で、単に駅名にひかれて降りてみました。
線路沿いに歩くと、間もなくトンネルになっていたので、その手前で上りの客車列車を待ちました。
この先は進めないので、今度は下夜久野駅方向に進むと、キハ82系の 特急やくも がやって来ました。
待てども貨物列車は無く、乗車する列車の時間が近づいたので上夜久野駅に戻ります。
今度は下りの 特急やくも が通過しました。
乗車する各停列車を、DF50 が牽引して駅に進入してきました。
和田山駅では交換の貨物列車を D51 が牽引していましたが、この日初めてのSL列車です。
そのまま乗車を続けて、本日の宿のある餘部駅の一つ手前、鎧駅に降りました。
ここで交換のDC急行を待たせておいて、通過して行く 特急まつかぜ を撮影します。
お隣の餘部駅は当時1日3本の列車しか停車せず、多くの人がこの鎧駅から線路伝いに歩いていましたが、それに倣って歩いてトンネルや余部鉄橋を渡って宿に向かいました。
2017年1月23日月曜日
木次線から布原へ 1967.7.29-30
山陰線の旅の続きで、木次線で木次駅、そして備後落合から芸備線で新見方面へと向かいました。
まずは7月29日から。
木次線の客レ牽引機は、松江から木次駅まではC11で、ここからがC56の出番でした。
従って木次駅では、この2型式の姿が見られました。
C11が松江に向けて出発しました。
一方、C56は構内で客車の入れ替えを行っていました。
本来ならば列車を撮影すべく向かうのですが、あまりの本数の少なさに諦めて、次の列車で備後落合へと向かいました。
備後落合では芸備線の乗車列車との間に貨物列車が設定されていたので、近場の撮影地を求めて出かけました。
この辺りは山岳地で急勾配につき、結構な煙を上げてくれます。冬場であれば、迫力有る写真になりそうです。
この日は新見まで移動し、本日のお宿へと向かいました。
翌30日はD51三重連が見られるとのことで、布原信号場へ。
SLブームとなった頃の布原は大変な賑わいでしたが、この時は全く訪れる人が無く、静かな山間の小さな集落でありました。
布原は信号場で利用者が少ないので停車する列車が限られており、新見駅の発車時刻表には「布原停車」の表記がされていました。
三重連がいつ、どちらから来るのか全く分からないまま、備中神代方面の鉄橋下で撮影を開始。
何本か撮影していると不意に後ろから轟音が響き、見上げるとD51が3台繋がって通過して行きました。
慌てて後姿を撮影したのがこの1枚で、三重連をここで撮った人はいないでしょう。
引続き、次々やって来る列車の撮影を楽しみました。
芸備線の列車はC58牽引でやってきて、お陰で列車密度が高いです。
新見からの下り貨物を撮影していたら、後補機が重連でした。
わかっていたらこんなアングルで撮らなかったのに。
新見駅に戻るべく信号場で列車を待っていると、またも単機回送が来ました。
布原信号場のホームは1両分の簡素なものでした。
まずは7月29日から。
木次線の客レ牽引機は、松江から木次駅まではC11で、ここからがC56の出番でした。
従って木次駅では、この2型式の姿が見られました。
C11が松江に向けて出発しました。
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| 木次駅を出発するC11牽引の客レ |
一方、C56は構内で客車の入れ替えを行っていました。
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| 係員はお疲れの様子 |
本来ならば列車を撮影すべく向かうのですが、あまりの本数の少なさに諦めて、次の列車で備後落合へと向かいました。
備後落合では芸備線の乗車列車との間に貨物列車が設定されていたので、近場の撮影地を求めて出かけました。
![]() |
| 比婆山-備後落合 |
この辺りは山岳地で急勾配につき、結構な煙を上げてくれます。冬場であれば、迫力有る写真になりそうです。
この日は新見まで移動し、本日のお宿へと向かいました。
翌30日はD51三重連が見られるとのことで、布原信号場へ。
SLブームとなった頃の布原は大変な賑わいでしたが、この時は全く訪れる人が無く、静かな山間の小さな集落でありました。
布原は信号場で利用者が少ないので停車する列車が限られており、新見駅の発車時刻表には「布原停車」の表記がされていました。
三重連がいつ、どちらから来るのか全く分からないまま、備中神代方面の鉄橋下で撮影を開始。
![]() |
| 芸備線823レ |
何本か撮影していると不意に後ろから轟音が響き、見上げるとD51が3台繋がって通過して行きました。
慌てて後姿を撮影したのがこの1枚で、三重連をここで撮った人はいないでしょう。
![]() |
| 後追いの2492レ |
引続き、次々やって来る列車の撮影を楽しみました。
![]() |
| 単機回送が結構ある |
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| 芸備線852レ |
芸備線の列車はC58牽引でやってきて、お陰で列車密度が高いです。
![]() |
| 492レはD51重連 |
![]() |
| 伯備線の客レはD51牽引 |
新見からの下り貨物を撮影していたら、後補機が重連でした。
わかっていたらこんなアングルで撮らなかったのに。
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| 469レは後補機逆向き重連 |
新見駅に戻るべく信号場で列車を待っていると、またも単機回送が来ました。
布原信号場のホームは1両分の簡素なものでした。
山陰線の旅 1967.7.27-28
高校生の夏休みに、山陰線から伯備線を抜けて山陽回りで戻る4日間の旅に出ました。
大阪に親戚宅があったので、そこを起点・終点とした旅で、撮影ベッタリではなく、のんびりした普通列車での周遊でした。
当時の山陰線にどの程度の蒸機列車が走っているのかも知らず、また、撮影地の予備知識もない状態でした。
この旅行では撮影枚数が少なかったので、2日分ずつをまとめて掲載します。
まずは7月27日撮影分から。
駅名が気に入って上夜久野駅に降り立ちましたが、周辺をうろついただけで撮影もせず、普通列車の旅を続けました。
この当時、京都口にはC57牽引の客レが走っていましたが、その先はDF50ばかりで、一部の貨物をD51が牽引していました。
途中の和田山駅では、交換待ちの上り貨物牽引のD51が見られました。
この日の宿泊地である餘部駅は、1日に3本の列車が停まるのみなので、お隣の鎧駅で下車。
そして、特急DCを撮影。
続きまして、7月28日分を。
またしても各駅停車のノンビリ旅を続け、途中の米子機関区に駐泊するD51の姿を車窓から。
松江の手前の馬潟で下車、何故ここで降りたのかは記憶にありません。
少し歩いて撮影地を探したのですが、すでに松江市の圏内で人家も多く、お茶を濁します。
この辺りでは客レ牽引のC57の姿が見られました。
1本だけ撮影して駅に戻り、まずは上りの特急まつかぜが通過。
そして、乗車する列車と交換のC57牽引の普通列車を撮影。
松江駅では木次線のC11が停車しているのを撮影。
前半の2日間は以上で、残りは次の記事で。
大阪に親戚宅があったので、そこを起点・終点とした旅で、撮影ベッタリではなく、のんびりした普通列車での周遊でした。
当時の山陰線にどの程度の蒸機列車が走っているのかも知らず、また、撮影地の予備知識もない状態でした。
この旅行では撮影枚数が少なかったので、2日分ずつをまとめて掲載します。
まずは7月27日撮影分から。
駅名が気に入って上夜久野駅に降り立ちましたが、周辺をうろついただけで撮影もせず、普通列車の旅を続けました。
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| 上夜久野駅から乗車した列車 |
この当時、京都口にはC57牽引の客レが走っていましたが、その先はDF50ばかりで、一部の貨物をD51が牽引していました。
途中の和田山駅では、交換待ちの上り貨物牽引のD51が見られました。
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| 集煙装置と重油併燃の重装備 |
この日の宿泊地である餘部駅は、1日に3本の列車が停まるのみなので、お隣の鎧駅で下車。
そして、特急DCを撮影。
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| 急行をまたせて特急のお通り。腕木信号も懐かしい。 |
続きまして、7月28日分を。
またしても各駅停車のノンビリ旅を続け、途中の米子機関区に駐泊するD51の姿を車窓から。
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| 米子機関区。後にターンテーブル |
松江の手前の馬潟で下車、何故ここで降りたのかは記憶にありません。
少し歩いて撮影地を探したのですが、すでに松江市の圏内で人家も多く、お茶を濁します。
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| 上り客レ |
この辺りでは客レ牽引のC57の姿が見られました。
1本だけ撮影して駅に戻り、まずは上りの特急まつかぜが通過。
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| 馬潟駅を通過する特急まつかぜ |
そして、乗車する列車と交換のC57牽引の普通列車を撮影。
![]() |
| 馬潟駅で交換の上り客レ |
松江駅では木次線のC11が停車しているのを撮影。
![]() |
| 松江駅の木次線の客レ |
前半の2日間は以上で、残りは次の記事で。
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