小樽築港機関区

小樽築港機関区

2017年2月26日日曜日

小海線 野辺山のC56 1968.8.23

 小海線は国鉄最高地点に達する高原鉄道で、清里辺りをはじめ観光路線として現在でも賑わいを見せています。
 夏季には避暑地として多くの人が訪れるのですが、当時はそれが一段落した8月20日からこの線に1年で最も多くの貨物列車が設定されていました。
 それは沿線の高原キャベツの出荷に合わせ、他区からもC56を借受けてその輸送を担っていたのです。
 野辺山高原東側の勾配途中のキャベツ畑に空の貨物列車を留め、積込を終えると一旦信濃川上駅まで下ろしてから再度小淵沢を目指して運転していました。

 東京方面からは新宿発の夜行列車に乗り、ハイカーと共に小淵沢駅から始発列車を利用するのが一般的な撮影方法でしたが、生憎この日は高原特有の霧が深く、撮影条件としては最低でした。

 野辺山駅で下車し、清里駅方面へ向かい、最高地点を過ぎ鉄橋を渡った所でカメラを構えていると、バック運転のC56が霧の中から勾配を下ってきました。


霧で後が良く見えない

 この後は貨物列車がしばらくないので、DCを撮影。

ヒマつぶしでのカットだが、今では貴重

 現在の国鉄最高地点のあたりは店舗やホテルができて賑わっていますが、当時はそれを示す表示があるのみでした。

当時は静かな佇まい

 次の貨物列車も野辺山駅方からで、こちら側でも19.6‰の勾配を上って来るのですが、それ程力行しているようには見えません。

煙がスカです

 本命の下り貨物列車が来るので、先ほどの鉄橋の手前で撮影します。


 逆向きの後補機が付いています。

逆向きなので、走る方向が分からない

 この後は定番の八ヶ岳バックを撮影できる国道へ移動し、絵葉書写真を撮りたかったのですが、依然として霧が晴れず、かすんだ姿になってしまいました。


 この鉄橋を渡る姿は、現在ではバックに国道が移転整備されてしまったので、もう絵にならないようです。

 野辺山駅へ戻る途中では、先ほど後補機だったC56144が上り貨物列車を牽引してやって来ました。


 野辺山駅に着くと、国道から撮影した貨物列車の本務機だったC56160が入換をやっている姿が見られました。


 まだ陽は高いのですが、あまり遅くならないうちに戻るために、残念ながら次の列車での帰宅となりました。

2017年2月25日土曜日

吹田第1機関区 1968.8.8

 大阪の北東に位置する吹田機関区にはSL・DL・ELのすべてが配置されており、稲沢機関区と同様に、電化後のEL配属と共に第2機関区として分割されました。
 吹田第1機関区では城東貨物線等、本線の運用もありましたが、隣接する大規模貨物ヤードでの入換やハンプの仕業を担っていました。

 今回はその吹田第1機関区を訪問したのですが、ここでは第2機関区との境界があいまいで、ついでにそちらにもカメラを向けています。

 最初に目についたのが入換仕様の、デフ無し、フロント手摺付きのD51標準型です。


 扇形庫には、D51やDD13が並んでいました。


 庫内には更にC11の姿も。


 横の第2機関区にはEF66901がいました。


 EF901として登場したはずですが、知らないうちに改番されていました。
 ナンバーの桁数が増えているのに、このプレートの幅にどうやって収めたのか気になりました。

 再び第1機関区側ですが、標準型の集煙装置付のD51が撮りやすい場所にいてくれました。


 その先ではDD13を挟んでD51が前後につながっています。



 前側のD51は半流ですが、良い番号です。
 因みに、D515は稲沢で、D51515は八高線で撮影しています。

 この後見たD51は、両方とも入換用の標準型でした。



 またしてもお隣の電機の並びを撮影。


 最後に扇形庫の様子を撮っておきました。


 実はD52がいるだろうと目論んでやってきたのですが、全機出払っていたようで残念な思いをしたのです。

2017年2月23日木曜日

北陸本線交直接続と米原機関区 1968.8.7

 この当時の北陸本線米原口の交直接続は、現在とは異なり、坂田駅と田村駅の間の架線にデッドセクションを設けて行われていました。
 交直両用の電車を使用していた特急や急行は、この区間で惰行運転を行い切替をしていましたが、客車列車と貨物列車は米原駅と田村駅でそれぞれ機関車の付替えを行っていて、運転上のネックとなっていたのです。
 
 この区間で使用されていた機関車は様々で、E10やED30、DD50等、珍しいものが多く見かけられました。
 訪れた頃はD50が主力で、D51が転入していると聞き、そろそろ行っておかねばと重い腰を上げた次第です。

 米原駅で下車し、田村駅まで線路沿いを撮影しながら歩きました。

田村-米原
機関車は全て米原側を向いているので、上下列車の区別は容易です。

米原-田村
長野局からのD51が多数転属していました。

坂田駅
中間の坂田駅はこの当時でも無人駅でした。
 当時、米原駅は坂田郡米原町で、坂田の方が広域の地名なのに駅は小さく、何となく矛盾を感じました。
 今では市町村合併で米原市になっていますが、この頃でも米原の名は有名で、手紙に米原市とよく書かれていたそうです。

 坂田駅の田村駅側、デッドセクションに着きました。

坂田-田村
D50の姿が見えないので心配していたら、300号機が下ってきました。

坂田-田村

 田村駅は田圃の中の人家の少ないところですが、運転上から客車急行も停車します。
 また、接続用のSLのほか、北陸本線のELも多数見られました。

 先ほどの牽引機D50とEF70がご対面です。

田村駅

 そのD50がEF70から受け継いだ貨物列車を牽引して、米原駅に向けて発車して行きました。

田村駅を発車する貨物列車

 EL留置線には、当時の最新鋭機ED74が前面瓜二つのEF70二次型と並んでいました。

交流機がゴロゴロ
北陸電化のパイオニアも姿を見せました。

可愛いお面のED70

 米原駅に向けD51がバック運転で出発しました。

集煙装置・重油タンクで重装備ですがここでは無用

 この後、米原機関区にD50の様子を見に行きました。

 案の定、他のD50は全て休車になっていて、主連棒はすでに外されて放置されていたのです。



 庫の前にはDD50も見かけられましたが、こちらも動いている様子はありません。


 もう1両の門デフのD50も発見しましたが、こちらも主連棒が外されていました。


 以前、大阪への移動の途中でデフ無しのD50が活躍中なのを米原駅で見たのですが、今回その姿は確認できませんでした。
 もう少し早く来ていればと、毎度のタラレバでした。

 おまけで、近江鉄道の車両をスナップしていたのでお目にかけます。


 扉配置が珍しいので、貴重なフィルムを使ってしまったのです。

2017年2月21日火曜日

電化後の中央西線 1980.2.16

 中央本線は東京から名古屋までですが、塩尻から西の部分を一般的に中央西線と呼び、塩尻駅の配線が東京からも名古屋からも松本方面へと直通する線形に変えられて、東線と西線は全く別線の感があります。
 また、距離程が東京からの通しになっているのに対し、列車番号は名古屋からが下りとなっている変則路線です。
 中央西線の中津川駅から先の部分は1973年に直流電化され、無煙化されましたが、その中津川寄りをまだ雪が残る1980年の2月に訪問しました。

 中津川駅を過ぎ落合川駅との間で、上り列車が各種通過するのを撮影します。




 いずれも電化開業後に導入された車両たちで、今でもその一部は現役で活躍しています。

 落合川駅を越えて坂下駅側へ移動して、遠くからの俯瞰撮影です。


 線路を見下ろす、木立の中の単線に見える区間へ。


 再び鉄橋を渡る80系を長めのレンズで。
 SL現役の頃、この橋を渡る姿が良く撮影されていました。


 たまにはアップでと線路端で振り子電車の様子をアップで撮影したのですが、あまり傾いていないようです。


 坂下駅の先、田立駅との間で、山裾を行く下り各停の長閑な姿を遠方から。


 最後に冬の斜めの日差しの中のEF64牽引の荷物列車を撮影し、引き上げました。


 2月とはいえ、暖かい陽射しの春が近いのを感じた1日でした。

 電化前のD51の活躍の様子は、また改めて掲載します。

2017年2月19日日曜日

中国地方のローカル線 芸備線・津山線・姫新線 1968.8.4-5

 呉線での撮影の翌日は日曜のため同線の通勤列車が運休なので、芸備線に向かいました。

 早朝から出かけたのですが、この日は霧が深く、撮影はしたものの後から見るとかすんだ画面で、早い時刻に撮影したものは使い物になりませんでした。
 
 霧が晴れてきた志和地駅を発車してきた客レを鉄橋下から電線をよけて。



 この後は、上りの貨物列車が通過。



 霧の状態は少しはましになったものの、辛うじて見られる写真はこの2枚だけで、午後は山陽本線の撮影に向かいました。

 翌日は広島から大阪への帰途につきましたが、ただ戻るのではつまらないので岡山から津山線で津山へ向かい、姫新線に乗り換えての帰阪としました。
 両線ともローカル線のため時間だけはしっかりかかるので、撮影よりは乗りつぶしの旅です。

 途中の岡山駅では警戒塗装の9600が入換する姿が車窓から見られました。


 この頃の津山線は客貨にC11牽引の列車が相当数設定されており、勾配区間もあるので、その気になればよい写真が望めたのでしょうが、当時はC11には魅力を感じず、今となっては後悔するばかりです。

 最初は乗車するDCの窓から対向のC11牽引の客レです。


 対向列車がC11である事がわかっていたのですが、どこの駅だったかの記録がありません。

 ひと駅手前の津山口駅で下車しました。
 後ろからまもなく来る貨物列車を撮影するのですが、その後津山駅から乗車する姫新線の列車まで時間が無いので、景色よりもまずは撮る事を優先した1枚です。


 津山駅からは芸備線のDCにて姫路を目指したのですが、貨物列車が撮影できるのが分かり途中下車。
 これまた駅の近くでお手軽に撮影。


 場内の腕木式信号機を入れてまとめてみました。

 今回の撮影記は場所も列車番号も記録が無く、撮影地としてもいい加減なところが多く、とりあえず撮ったというようなものばかりでした。