小樽築港機関区

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2017年11月30日木曜日

その後の 釜石線 1986.9.27

 その後 とタイトルを付けましたが、釜石線は1967年3月の比較的早い時期に無煙化されたので、残念ながら SL現役の頃 には行ったことが有りません。

 釜石線には国道4号線から釜石方面に向かう途中に、東北新幹線の接続駅としてできた新花巻駅があるので、どんなものかと立寄ってみました。
 単線にホームを作っただけのもので、各停DCが到着しました。


 当時は駅前には何もなく、新幹線の駅だけがやたらと立派で、その高架下に 急行はやちね が進入してきました。


 釜石線と言えば陸中大橋駅の手前からのU字型の線形が有名で、上有住駅との間には、空中に鉄橋がかかっています。
 その鉄橋に下り貨物列車がやって来ました。


 下から見上げると、よくぞ作ったものだと感心します。


 洞泉駅方向に撮影できる場所を探すと、上り普通DCの赤い姿が現れました。


 後を追うように、上り貨物列車が勾配を轟音を上げながらやって来ます。


 無煙化しても、油煙を高く吹き上げています。


 この列車と陸中大橋駅で交換し、先程鉄橋で撮影した下り貨物列車が急勾配を下って来ます。


 再び陸中大橋駅の手前に戻り、今度は下り急行DCが来るのを鉄橋上で捉えます。


 待つことしばし、トンネル内でUターンして陸中大橋駅を通過してきました。


 陸中大橋駅は、かつては鉄鉱石の積出しで賑わっていましたが、今ではその遺構が残るのみのさびしい駅で、その面影を撮影していたら、上りの急行が現れました。


 東日本大震災後の状況視察の折、この駅にも寄ってみましたが、大きな変化は見られませんでした。


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2017年11月28日火曜日

初夏の会津線の C11 1973.6.10

 会津の C11撮影 の2日目です。

 湯野上駅近くに宿をとったので、朝食を食べてからのお出ましで間に合います。
 会津線の朝の下り貨物列車は、桑原駅を7時半過ぎに出発しますので、2か所の鉄橋を見下ろす場所に向かいました。


 今日も荷が軽いためか、この辺りでは煙を出してくれません。


 トンネルを越えて、もう一度大川を渡るところでは、白煙を上げていました。

 この貨物列車は湯野上駅でしばらく停車するので、湯野上駅と弥五島駅の間まで先回りをします。
 背後から、湯野上駅交換の上りDCがやって来ました。


 まもなく発車の汽笛が響き、先程の貨物列車が姿を現わしました。


 2両の貨車を牽いて、勾配を軽く上って行きました。


 今日は東京に戻るので、只見線には向かわず、帰り道の会津田島駅に寄りました。


 先程の牽引機は既に到着し、休んでいました。


 会津田島駅は、一通りの設備が供えられた、山間の長閑な駅でした。


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2017年11月26日日曜日

復活SL 紅葉とパレオエクスプレス 1992.11.14

 秩父鉄道で C58363 によるSL列車が運転されるようになったのは1988年からですが、架線があることと、機関車がC58であまり魅力的でないことから訪れていませんでした。

 この年の紅葉の季節に、家族旅行で秩父地方に行った折に、どんなものかと撮影してみました。
 場所は親鼻駅と上長瀞駅の間の荒川の鉄橋で、子供たちを川原で遊ばせていられます。


 良い天気で、家族連れで賑わっている中を上り貨物列車が鉱石満載で通過して行きました。


 電車は既に国鉄のお下がりに置き換わっていました。

 下り貨物は、空車の回送です。


 汽笛が響いて、C58 の登場です。


 列車の側面に陽があたり、輝いています。


 風が吹いて煙が流れましたが、なかなかきれいに撮れました。
 この辺りの紅葉はそろそろ終わりでしょうか。


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2017年11月25日土曜日

初夏の会津線と只見線 1973.6.9

 東京近郊ではSLの姿が見られなくなり、比較的近い会津方面にC11を撮影に良く訪れるようになりました。

 梅雨入り前の6月の早朝に、会津線(以前は会津滝ノ原線)から撮影を始めました。
 湯野上駅と弥五島駅の間で、下り貨物列車の通過を待ちます。


 6月とはいえまだ気温の上がらない朝なので、白煙を吐きながらやって来ました。


 この朝一番の貨物列車は、いつもワフ1両だけを牽いていて、軽々とやって来ます。

 撮影後は、会津線の列車は当分無いので、只見線(以前の会津只見線)の会津川口駅に向かいました。
 下りの貨物列車は、到着後この駅にしばらく停車しています。


 発車時刻が近づいたので、本名駅方向の鉄橋で待ち受けます。


 この貨物列車は只見駅までで、只見線全線通しの貨物列車は設定されていません。


 再び会津川口駅に戻ります。

 上り貨物列車が停車していますが、隣には貨物を積込むデリックが、ホームに敷かれた線路上にいました。


 このあとは再び会津線の湯野上駅に行きました。
 最後の上り貨物列車の撮影ですが、この季節ならばなんとか撮影可能です。


 交換の下りDCが到着し、ややあってから白煙を上げて発車して行きました。


 今夜は、近くの湯野上温泉に宿をとりました。


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2017年11月23日木曜日

またまた その後の 奥中山 1986.5.10

 飽きもせずに、奥中山詣でをこの年も行ないました。
 2月に訪れた南部富士を絡める場所にリベンジすればよいのに、山を横目で見ながら好摩駅を通過してしまいました。

 毎度の盛岡発の一番列車に乗り奥中山駅下車、今度こそ大カーブで 寝台特急ゆうづる を撮影すべく、線路際ではなく、国道を急いで歩きました。

 それでも途中の、線路が国道をオーバークロスする場所の手前で、ゆうづる3号 が来てしまいました。


 朝日の中に、赤い電機とブルーの客車が映えます。


 息を切らせて先を急ぎ、大カーブの擁壁の上に着くや否や、ゆうづる5号 の姿が近づいて来ました。


 ここは晴れると半逆光になりますが、ようやくこのカットが撮影できました。


 線路際に降りて、何本か撮影します。


 下り貨物列車に続いて、上り一番の客車列車です。


 このあとは再び擁壁に登り、はつかり4号 の姿を後追いで。


 全て重連でやって来る貨物列車と


 最初の下りの昼間特急である はつかり1号 を撮影。


 ここらで場所を移動し、山桜を入れて、上りの 特急はつかり6号 を狙います。


 続いての下り客車列車は、赤ではなく、青い客車でした。


 下りの はつかり3号 は、後姿を順光で撮影です。


 線路の西側の土手に登ってみましたが、午前中は逆光になってしまいます。

 上りの はつかり8号 の後追い撮影です。


 下り貨物列車は、完全な逆光になってしまいました。


 太陽が雲に隠れたので、少し低い位置から、はつかり5号 を撮影。


 奥中山駅へと戻りながら撮影を続けます。


 はつかり10号、はつかり7号 と583系が続きます。


 水道橋からは、奥中山駅方向のトンネルからの飛び出しが狙えます。


 その橋と共に、上り貨物列車を撮影しました。


 盛岡での仕事が終わりを迎え、今回の撮影で早朝の奥中山行はこれが最後になりました。


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