小樽築港機関区

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2020年5月31日日曜日

 五月の 奥羽本線 峠駅 1983.5.3

 この日は磐越西線の更科信号場を後にして、次の撮影地である奥羽本線板谷峠のサミット、峠駅に向かいました。

 一般道もロクに整備されていない時代に、こんな移動をしていたとは、今考えればあきれてしまいます。

 峠駅の板谷駅側は、スノーシェッドに続いてトンネルになっていますので、撮影場所は大沢駅側になります。

 上りの客レを牽引して EF71 が急勾配を上って来ました。


 ここから振り返ると峠駅のスノーシェッドが見えますが、そこから下りの 特急つばさ が高速で飛び出してきました。


 もう少し大沢駅側に進むと鉄橋がありますが、このあたりの勾配は38‰になっています。

 今度も上りの客レですが、牽引機は ED78 で、EF71 との使い分けはどうなっているのでしょうか。


 目の前を通過して峠駅のスノーシェッドに向かって進みますが、奥羽本線では旧型客車が健在で、開放されたままの最後尾が目立ちます。


 線路沿いを歩いてスノーシェッドに入って行くと、峠駅で停車していた上り列車が、再びスノーシェッドへと進入してきました。


 峠駅付近での撮影をこれで切り上げ、明日の撮影に備えてまたしても移動しました。

2020年5月29日金曜日

 五月の 磐越西線 更科信号場 1983.5.3

 磐越西線の電化区間のうち、会津盆地へと急勾配で下り込む翁島駅と磐梯町駅のほぼ中間の、わずかな緩勾配区間に更科信号場が設置されています。

 郡山駅から喜多方駅までは早々に電化されていて、SLが現役の頃も ED77 が走っていたので来たことが有る区間ですが、5月の連休を利用して、久しぶりに更科信号場を訪れてみました。

 翁島駅方向から県道を利用してのアプローチになるので、最初の撮影は、磐梯町駅との間です。


 455系の 急行ばんだい1号 に続いて、下りの客車列車を撮影しましたが、すでに50系客車への置換えが始まっていたのですが、旧客が元気な姿を見せてくれました。


 ここから未舗装の細い道を辿ると、更科信号場に着きます。

 下り貨物を牽いて、ED77重連 が到着しました。


 間もなく交換の上り貨物が姿を現わし、ED77 が4両揃い踏みです。


 更科信号場は築堤の上にあり、下に降りて見上げていると、急行ばんだい4号 が信号場への勾配を上ってきました。


 信号場を下り貨物が通過してきたので、ED77重連 を横から見上げて、青空に抜いてみます。


 磐梯町駅側から上りの普通列車が近づいて来ましたが、こちらは50系のレッドトレインでした。


 更科信号場の複線区間を 急行あがの が通過しますが、これは未電化区間への直通急行なので、キハ58系の編成です。


 場所を変えてΩループの南側に出て、磐梯山が見える場所に移動しました。

 特急あいづ の通過ですが、すでにボンネット型は引退してしまっています。


 同じ場所で西側を向いて、455系のグリーン車が入るように撮影しました。


 次の下りの客レも50系で、やはり置換えが進んでいるようです。


 最後は上りの 急行あがの の、後追い撮影です。



 朝から続けた撮影を切り上げて、これにて次の撮影地に向かいました。

2020年5月27日水曜日

 東北本線 滝沢駅あたり 1983.4.16

 この頃、盛岡での仕事があり、それを良いことに出張の際にバッグにカメラを忍ばせ、未明に起き出して東北本線の撮影に出かけました。

 早朝の盛岡駅から始発の普通列車に乗り、この日は滝沢駅に降り立ちました。

 厨川駅方向に歩いていると、まだ暗い中を 7レ特急ゆうづる が来ましたが、前方からの撮影は間に合わず、後ろ姿を何とか撮影しましたが、暗すぎて絵になりません。


 次に来た上りの最初の 特急はつかり ですが、これまた後ろ姿で、その上暗いので動体ブレを起こしています。


 滝沢駅と厨川駅の間には、特急はつかり が飛び込んで行ったトンネルがあり、これを越えると厨川駅側が見えます。

 特急寝台の最後に来る、9レゆうづる を撮影できましたが、客車の屋根はノッペラボーで、ED75 にはヘッドマークが無く、この角度での撮影はよろしくありません。


 次の下りの普通列車は望遠で撮ってみましたが、まだ露出が上がらず、手振れを起こしてしまいました。


 上りの普通列車が来るので滝沢駅側に回ります。

 ED75 が牽引しているのは50系で、旧客との入れ替えが始まっていました。


 続いて来たのはタラコ色のDC列車で、花輪線からの直通列車です。


 足元のトンネルを抜けてきたのは 1001M特急はつかり で、下りの電車特急の一番手です。


 もう一度厨川駅側に行き、下りの花輪線直通の普通DC列車を撮影しました。


 上りの 特急はつかり 2本目が来た時には、正面側まで陽がまわってくれました。


 飽きてきたので場所を変えます。

 滝沢駅を通り過ぎて、渋民駅側へと歩きました。

 このあたりは下り線が少し高くなっていますが、築堤上を 特急はつかり がやって来ました。


 続いて普通列車ですが、これもレッドトレインで、置換えが進んでいるようです。


 少し先にはお誂え向きに線路を跨ぐ細い道があるので、そこからの撮影です。

 花輪線からの急行DCが来ました。


 下りのコンテナ貨物が来ましたが、貨物列車は本日お初です。


 と思っていたら、今度は上りの貨物が続いて来ました。


 下りの 特急はつかり は前後とも撮影しましたが、後追いの方が順光で、綺麗に撮影できました。


 花輪線の直通急行も、やはり後追いの方がきれいです。


 このあと盛岡に戻り、何食わぬ顔で出社して、仕事を始めました。

2020年5月25日月曜日

 早春の 飯田線 を巡るー2 1983.3.20

 早春の飯田線の撮影、その二日目です。

 朝一番の撮影は、まだ朝日が昇り始めたばかりの、大田切駅の近くの大田切川からです。


 少し南に移動して伊那福岡駅と小町屋駅の間で撮影しましたが、低い太陽のおかげで、撮影中の影が写ってしまいました。


 このあとはずっと南の方に移動し、門島駅の田本駅寄りのトンネルの先です。

 旧国の撮影ですが、前面の撮影は逆光で失敗、後追いだけが何とか撮れました。


 門島駅のすぐ北側には泰阜発電所があり、飯田線の線路はこれを跨いで通過しているという、珍しい場所です。


 ここは国道から県道に入り、門島駅前を北に向かえばすぐですが、この先は行き止まりになっています。


 旧国・165系急行・119系と一通り撮影してこの場所は終了し、今来た道を北へ向かいました。


 ドンドン走り続けて、到着したのは伊那松島駅を通り過ぎた、畑の広がる何の変哲もない場所です。

 目的の荷電の二連が、定刻通り通過しました。


 次の列車までの時間に、すぐ近くの伊那松島区を覗きに行きます。


 撮影していると、本線を ED62 がやって来ましたが、この日は数両の貨物を牽引していました。


 再び沢駅側の畑地に行きます。


 119系・165系と順番にやって来ます。


 移動するのも面倒なので、そのまま撮影を続けました。


 そろそろあたりが、赤い夕日に染まり始めてきます。


 この1枚を最後に、中央道を走り続けて、無事に帰宅できました。

2020年5月23日土曜日

 早春の 飯田線 を巡るー1 1983.3.19

 昨年11月に飯田線の南の方を訪問しましたので、今回は残りの中・北部を2日間にわたり撮影に行きました。

 朝方到着したのは、高遠原駅と七久保駅の間で、雪をかぶったアルプスをバックに撮影できる場所です。

 165系の 急行伊那 は、相変わらずの4連でやって来ました。


 ED62 は二軸車2両だけを牽引してきましたが、機関車が短かければ、後ろの貨物も短かいという、模型のような編成です。


 旧型国電も登場し、相変わらず健在のようです。


 次に姿を現わしたのは新参者で、80系を駆逐した憎いやつです。


 少し北に移動して、伊那本郷駅と飯島駅の間です。


 ED62 は、先程とは別ですが、やはり従えてるのは二軸貨車2両だけです。


 急行伊那 の通過ですが、ヘッドマークも無しで、急行の表示だけを掲げています。


 新顔も北に向けて通り過ぎて行きました。


 再び場所を変えて、伊那大島駅と上片桐駅の間に向かいました。

 ED62 が来ましたが、今度はヨ1両だけです。


 ここは先程の場所と同じようなカーブ地点ですが、線路は築堤になっていて、バックも開けています。


 荷電の重連?のお通りです。


 今度の ED62 は、ついに単機でやって来ました。

 誠に無駄に運転しているようですが。


 そろそろ陽が傾いて、赤い光線になった中を旧型国電が通過します。


 これにて本日の撮影を切り上げて、続きは明日にしました。