小樽築港機関区

小樽築港機関区

2017年4月29日土曜日

室蘭本線 沼ノ端 1970.3.19

 北海道2日目の撮影地は、室蘭本線の千歳線分岐駅である沼ノ端駅です。

 ここに行けば両方の路線が撮影でき、本数が稼げるからです。

 ひと駅手前の苫小牧駅で、機関支区にたむろするSLの姿を撮影。



 沼ノ端駅で下車し、駅の東側の線路をオーバークロスする道路上から見ると、遥かに遠浅駅方面に地平線が広がっています。

 その中を、中央2線の室蘭本線の線路上を単機でC58が出発して行きました。


 その先遠くに、やはり単機のSLが向かってくるのが見えます。


 やって来たのはD51でした。

 少し遠浅駅方向へ歩いて行くと、またしても室蘭本線を単機のD51が来ました。


 一昨日来のダイヤの乱れが続いていて、空荷ばかりのようです。

 この辺りで少しずつ離れて行く千歳線の下り線を、特急DCが通過して行きます。


 室蘭本線を客車列車がやって来ました。
 D51の牽引で、客レはまともに動いているようです。


 続いて沼ノ端駅を、普通列車がC57に牽引されて発車してきました。


 遠くの方に貨物列車の姿が見えてきました。


 D51牽引のまともな貨物列車です。


 千歳線の下り線を、各停のDCが2両編成で通過して行きました。


 手前の雑木が邪魔にならない場所まで移動し、千歳線の下り貨物列車を撮影。


 遠浅駅方向から上りの普通列車が来ましたが、今度はC57の牽引です。


 結局セキを連ねたD51牽引の貨物列車は1本も来ず、この線での本来の目的が叶わないまま沼ノ端駅に戻りました。


 沼ノ端駅では相変わらず単機同士のD51の交換が、夕日に照らされて輝いていたのです。




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2017年4月27日木曜日

青森から大沼へ 1970.3.18

 春休みを利用して、初めての北海道撮影旅行を行いました。

 新幹線が無く、飛行機利用など全く考えられない時代で、青函連絡船を利用して、東京から丸一日かけてやっと北海道の地を踏むことができました。

 また、現在よりも平均気温が低いので積雪量も多く、雪のための遅れや運休がしょっちゅうあった時代でもありました。

 青森駅から連絡線に乗換え、席を確保できたので、船のデッキに出て、桟橋で入換をやっている9600の姿から撮影しました。


 函館港に近づくと函館山の姿が見えてきました。

 今でも青森からのフェリーに乗って行くと同様の景色が見られますが、高架の道路やビルが建設されていて、時代の変化を感じさせます。


 この前日まで低気圧の影響で交通が混乱し、青函連絡船もやっと再開したばかりで、まずは無事の到着に安心したところです。

 函館駅から列車に乗り継ぎ、本日の撮影地である大沼駅に降り立ち、小沼湖畔の線路を見下ろす撮影地に向かいました。

 この時もまだダイヤの混乱が続いていて、どちらから何が来るのか分からない状況の中、最初にD52牽引の上り貨物列車がやって来ました。


 後ろの方向から 北斗1号 が通過して行きました。長い編成です。


 まだ天候が回復していないので、駒ヶ岳の姿はぼんやりと見えるだけです。


 上りのDC列車の通過後、DD51牽引の上り貨物列車が、同じくDD51の荷の無い下り貨物列車と眼前ですれ違いました。


 すずらん2号がやって来たので、雪に覆われた小沼と共に撮影。


 続いて渡島大野駅回りの下り普通列車をD51が牽引してきました。


 今度は札幌駅と函館駅とを結ぶ 特急エルム が通過です。


 藤代線回りの普通列車がD51に牽引されてやって来ます。


 このあとに下りの ニセコ3号 と思しき列車がD51に牽引されてきて、上りのDD51牽引の貨物列車とすれ違います。


 再び渡島大野駅回りの普通列車がやって来たのですが、大沼駅の遠方信号前で停車してしまいました。
 しばらくすると、藤代線側を 北斗2号 が追い越して行き、閉塞が開いたら発車して行きました。


 駅に戻る途中で、大沼駅を発車してきた上り普通列車を線路際から本日最後の撮影。


 明日は室蘭本線です。




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2017年4月25日火曜日

磐越西線 中山宿・更科 1983.11.26

 磐越西線はこの年の5月にも訪れていますが、お気に入りの路線なので、冬が迫る11月の末に再び立ち寄りました。

 今回は中山宿駅から更科信号所に行き、帰り道で再び中山宿駅にて撮影しました。

 最初に訪問した中山宿駅から。

 レッドトレイン1224レが勾配を下ってきて、折返し線に入ります。



 中山宿駅での客扱い後、出発して行きました。


 続いて、1229レが勾配を登ってきて、本線上をバックし折返し線に入って行きます。


 この列車を先回りし、更科信号所の手前で撮影すべくクルマを走らせましたが、峠を登って行くとそこは雪景色になっていました。


 交換のDC急行を待ちますが、雪はますますひどくなってきました。


 場所を移動し、磐梯山の見えるところに行きましたが、この雪では見えるはずがありません。

 12系の臨時急行が雪の中から姿を現しました。


 次は重連牽引の貨物列車1261レですが、短い編成です。


 上りの貨物列車1294レが来ましたが、こちらには貨車が連結されておらず、重連単機回送です。


 更科信号所で急行同士の交換を撮影します。
 ばんだい5号と6号の交換の様子です。


 寒いのでここらで切り上げて、再び中山宿駅に向かいました。

 早くも陽が落ちてきて、薄暗くなってきた中を1276レが勾配を下ってきて、本線を通過して行きました。


 みぞれ混じりの雨の中を下りの客レ1235レがやって来ましたが、夕暮れが迫りそろそろ露出が苦しくなってきました。


 東北地方の冬の訪れは早いようで、このカットを撮影後帰京しました。




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2017年4月23日日曜日

高萩機関支区 1970.3.11

 南中郷駅付近でのモーガル撮影後、高萩駅で下車し、高萩機関支区を訪れました。

 走行写真撮影ではC50は単機回送のバック運転1本のみだったので、ここにはきっといるだろうと目論んだのです。

 機関支区というのは配置両数がそれほど多くなく、機関区ほどの規模ではないものの、一通りの設備があり、上位の機関区からある程度離れたところに置かれていたものと思います。

 当時、高萩機関支区にはC50 8620 の他に、9600 や D51 が配置されていました。

 まず最初に目についたのは D51 でした。


 続いては 9600 です。


 お目当ての C50 が2両いました。




 区名札は上位の平機関区の表示になっています。

 側線では 9600 が入換を行っていました。



 先ほど撮影した 19678 が ED75 を牽いてきました。


 とりあえず C50 の姿を撮影できたので、これにて引き上げました。




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