小樽築港機関区

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2017年6月29日木曜日

復活SL C62ニセコ号 1988.7.2

 SL全廃後、大井川鉄道では1970年、SLやまぐち号は1979年にそれぞれ復活運転が始まりましたが、大井川鉄道は架線の下の保存鉄道、山口線は現役の頃とは機種が違うのでそれ程興味がありませんでした。

 1988年に北海道鉄道文化協議会が、現役の頃に近い姿でC623を復活運転するようになり、それならば北海道旅行の1日をその撮影にあててみようと向かってみました。

 7月始めの暑い日、勾配のある区間が良かろうと、銀山駅の然別駅寄りの踏切横にクルマを止め、近くの線路端でカメラを構えました。



 暑さのため煙が上がりませんでしたが、すぐに小沢駅方面へと追いかけました。

 倶知安峠の手前の線路端に出ましたが、先ほどと同じようなアングルです。


 どこで撮ったのか分らんような、面白くない写真です。

 撮影後、この当時の終着である倶知安駅に向かいました。


 この頃は規制も厳しくなく、現役時代のように、ホームから下りての撮影も黙認してくれました。


 C623は客車を中線に移動させた後、ターンテーブルに向かいます。


 同業者も少なく、自由に撮影できました。


 倶知安駅に3142Dが入線してきたので、一応記録しておきます。


 帰りのニセコ号は有名な北四踏切で、羊蹄山をバックに撮影です。

 露払いとして、2531Dが通過しました。


 定番の位置には人が大勢いた(今の感覚ではまばらな程度)ので、踏切の反対側からの撮影とします。


 猛烈な黒煙を上げながら近づいて来ました。


 この先の撮影地には同業者のクルマの後をついて行くことにします。

 着いたのは蘭島駅と塩谷駅の間のポイントでした。


ここでも景気よく煙を上げてくれます。


 この時はカメラ1台、三脚無しで、撮影地の予備知識もない状態でしたが、SL現役の頃を思い出させるC62の姿を見て、その後、各地に復活SLを追いかけるようになってしまいました。


 次回からはSL現役の頃の東北地方を巡ります。

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2017年6月27日火曜日

仙山線 山寺 1984.4.28

 仙山線については4月17日に奥新川駅あたりをご覧いただきましたが、今回は山形県側の山寺駅から仙山トンネルとの間の区間です。

 この区間は1960年に直流電化、1968年に交流化しており、残念ながら直流時代は知りませんが、ED78という可変軸重従台車付の特殊な機関車が配置されていました。

 山寺(立石寺)は観光地としてにぎわっていますが、その奥の方は行き止まりの道路で、道幅も狭いのですが、景色は俄然良くなります。
 
 先ずは上りの客車列車から。


 続いて下りの貨物列車。


 そして、下りの快速 仙山。


 急行DC べにはな も、軽快に下って来ます。


 普通列車がDCでは無く、客車列車なのが良いですね。


 山寺駅寄りに移動してサイドから撮影すると、急勾配を下っている様子が良くわかりますが、運転席サイドがアルミサッシなのが気に入りません。


 立石寺近くの岩の多い山肌にやって来た上りの 快速仙山 は、2ユニットが連結されていました。


 奥新川と同様に、この山寺駅の奥もお気に入りの場所で、この後何度も訪れています。


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2017年6月25日日曜日

山陰本線 保津峡 1970.8.30

 山陰本線の京都口の嵯峨駅から馬堀駅にかけての区間は、複線・電化にあたり長大トンネルを掘削し別線に切り替えられ、旧線は嵯峨野観光鉄道になり人気を博しています。

 その中央にあった保津峡駅は、京都駅から近いこともあり、夏季には涼を求める観光客が多く訪れていました。
 大都市近郊にもかかわらずSLがこの時代でも多く使用されており、風光明媚な撮影地でしたが、難点は保津峡駅近くでは線路が川の南側を走り、北側の道路からは逆光になる事でした。

 京都駅から普通列車の乗客になりましたが、この牽引機もC57です。


 保津峡駅で下車しますと、駅出口のすぐ下には桂川が流れていて、架かっている橋で対岸へと渡ります。

 下り列車の発車を撮るため馬堀駅方向へと進みますが、すぐに線路はトンネルに入るので、そこまでの間で撮影します。


 整った姿のC5715の牽引ですが、逆光でつぶれ気味です。


 今度は上りの貨物列車なので、駅前を通り過ぎて道路を進むと少しずつ高度を稼げて、駅構内を見下ろせます。

 D51牽引の貨物列車が保津峡駅を通過します。


 駅前に架かる橋が見えます。


 下りの客車列車を撮影のため、再び駅前を通り過ぎトンネル手前まで行きましたが、今度はDF50の牽引でした。


 運転席の扉を開けて乗務員が身を乗り出していますが、暑いからでしょうか。


 上り列車を撮影のため、またしても道路を急いで移動し、先ほどと同じような場所で客車列車を待ちます。

 C57牽引の客車列車は短い停車の後、煙を上げながら出発してきました。


 川岸には釣り人の姿が見られます。


 これだけの撮影でこの日は帰宅したのですが、まだまだSLが多く走っていた時代なので、もったいないとは思わなかったのでしょう。


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2017年6月23日金曜日

播但線 生野越え 1970.8.28

 播但線は山陽本線姫路駅と山陰本線和田山駅を結ぶ、いわゆる陰陽連絡線の一つで、和田山駅にほど近い生野駅を頂点とした峠があります。

 この生野峠を越えるために貨物列車には補機が付くのですが、補機のDL化は早く、1960年にはDF50が、そして1969年からはDD54がその任に当たっていました。

 DLが補機に付く路線は敬遠していたのですが、箱型車体のDD54は嫌いでなく、その様子を撮影に行きました。

 生野駅で下車し、長谷駅側に撮影地を求めて歩き出したのですが、勾配を下って来る補機付きの上り貨物列車が来てしまい、学校の校庭越しにサイドビューを撮影しました。


 線路際に着き更に進んで行くと、C57牽引の下り客車列車が勾配を上ってきました。


 集煙装置付きのC57を、正面から長玉で撮影すると、ブサイクですね。


 今回の目的である次の下り貨物列車は、DLの補機付きなので、2両が写せるアングルで通過を待ちます。



 次は上りの客車列車なので、新井駅側に移動しますが、生野駅の新井駅側はすぐに長い生野トンネルがあるので、トンネルからの飛び出しを狙います。


 力行しているのですが、気温が高いので煙は全く見えません。


 次は貨物列車ですが、今度も上り列車なので少し位置を変えただけです。


 補機は1両だけなので、その運用可能なように貨物列車のダイヤが組まれています。

 これで生野駅での撮影を終え、今度は溝口駅へ向かいました。

 現在の播但線は寺前駅まで電化され、通勤路線となっていますが、この当時でも寺前駅までは区間列車が設定されていて、C11が牽引していました。

 溝口駅から福崎駅方面へ歩いて行くと、先程撮影した貨物列車をC57が牽引してやって来ました。


 貨物列車と溝口駅で交換したC11バック運転の下り客車列車が、緩勾配を上ってきました。


 これで撮影を終えましたが、今日も暑い一日でした。


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2017年6月22日木曜日

大阪万博 1970.8

 SLを求めて各地を右往左往していたこの年の最大の国民的行事は、大阪の千里丘で開催された大阪万博(正確には日本万国博覧会)で、鉄道に関してはいわゆる万博輸送として臨時列車が多数運転されたほか、会場内外にも仮設の鉄道関連施設が設置されました。

 特にそれらを求めて撮影を行ったわけではありませんが、フィルムに残っていた当時の記録をご覧いただきます。

 会場への主要なアクセスとして、北大阪急行電鉄を延長した仮設の万国博中央駅があり、ホームの先に折り返し用の留置線が設置されていました。


 この辺りは、現在は中国自動車道になっていて、面影はありません。

 続いては会場内の輸送を担ったモノレールです。



 ものすごい数の人・人・人が写り込んでいます。

 最後は撮影地に向かう途中で、たまたま撮影した万博輸送列車です。


 長い編成を連ねた近郊型ですが、万博号のヘッドサインを掲出しています。
 また、12系を使用した長距離臨も58に牽引されてやって来ました。


 以上、大阪万博絡みの番外的な紹介でした。


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2017年6月20日火曜日

関西本線 加太越え 1970.8.24



 関西本線の最大の難所、加太越えは加太駅と柘植駅の間の加太トンネルをサミットとして、前後に25‰の勾配が連続し、その途中には中在家信号場が設けられていました。

 夏の暑い日に加太駅で下車し、有名撮影地である大カーブの大築堤を目指して国道を歩き始めたのですが、まだ目的地に着かないうちに、後方から下り貨物列車が接近してきました。



 後補機が付いていて、安全弁を吹きながら猛烈に押上げています。


 大築堤に登るのですが、ここは蝮の巣とのことで、要注意。

 線路を見下ろす位置にアングルを定めて、築堤を上って来る貨物列車を待ちます。



 本務機に続いて、後補機が眼下を通過します。


 この後は峠を下って来る上り貨物列車が通過するので、線路際から撮影。



  再び俯瞰できる位置から後追いで荷物列車を撮影。



 後補機付きの貨物列車も続いて通過。



 これで場所を変えて築堤を降り、カーブの外側に行ってみましたが、ここからのアングルはあまり見たことがありません。

 急行DCが勾配を駆け下って来ましたが、急勾配の様子が良くわかります。


 そして、勾配に挑む下り貨物列車がやって来ました。


 本務機の猛烈な煙で、補機の前方が煙ってしまいました。


 撮影を切り上げて加太駅に戻ると、下りの貨物列車が停車していました。


 珍しく単機での牽引ですが、やがて勢いよく峠を目指して発車して行きました。



 それにしても暑い一日でした。


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