小樽築港機関区

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2017年7月30日日曜日

大村線と長崎本線 東園 1971.7.28

 本日から再び、現役SLの九州シリーズに戻ります。

 大村線は長崎本線と佐世保線を短絡するローカル線で、まだ完全無煙化はなされず、一部の列車をC57が牽引していました。

 朝の海をバックに撮影すべく、小串郷駅と川棚駅の間にポジションを決め、下り貨物列車を待ちましたが、やって来たのはやはりDD51の牽引でした。


 道路には今回使用したカローラが写り込んでいます。

 小串郷駅を越えて彼杵駅側へ移動し、海側から順光になる場所を探しました。

 先に来たのは、下りのDC列車です。


 続いて本日の狙い目、上り客車列車をC57が牽引してきました。


 車体を綺麗に光らせていますが、平坦線なので煙はありません。


 これ以降、大村線ではSL列車は当分無いので、長崎本線へと移動しました。

 長崎本線も無煙化が進んでいて、SLの充当されている列車は日中は殆んどありませんでした。

 暑さの中での連日の撮影でバテ気味で、東園駅での怠け鉄となりました。


 大草駅方向の海沿いの彼方から、上りの急行DCと、DD51牽引の貨物列車が続けてやって来るのが見られました。


 下りの 寝台特急さくら が、東園駅に進入してきました。


 そして、大草駅方向へと走り去って行きます。


 上りの貨物列車は、DD51重連の牽引です。


 下りの客車急行もDD51牽引で、東園駅の通過線に進入してきました。


 下り貨物列車を牽いて、ようやくD51が姿を見せてくれました。


 本日やっと2本目の、SL牽引列車です。

 まだ陽は高いのですがこれで切り上げ、クルマ共々休憩としました。


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2017年7月28日金曜日

復活SL 冬の北陸ときめき号 1989.2.11~12

 能登半島の七尾線では、1988年からSL列車が復活運転されるようになり、初年度はC56が牽引しましたが、この年からC57とC56の重連となり、大人気を博しました。
 冬の北陸は閑散としているのですが、この列車には多数の人が集まりました。

 夜行列車で早朝の金沢駅に到着し、レンタカーで撮影に向かいましたが、いかにも冬の日本海側といった気候で、小雨降る薄暗いコンディションでした。

 羽咋駅と千路駅の間のカーブで待ち受けましたが、露出が上がりません。


 先行のDC列車に続いて、ときめき号 がかなりの速度で通過して行きました。


 次位のC56に続くのは、やまぐち号用の客車です。


 撮影後は列車を追いかけ、今度は能登中島駅と西岸駅の間で場所を定めましたが、この駅間の峠越えを狙うポイントには同好者があふれていました。


 横風が強く、煙が流れて客車を隠してしまいました。


 気温が低いので、煙は盛大に上がります。


 折り返しの列車は、能登中島駅と笠師保駅の間での撮影ですが、今度はC56が先頭になった逆向き重連です。



 再び先廻りをして、七尾駅と徳田駅の間の踏切に行きましたが、ここには同好の士が多く集まり、その隙間からの撮影です。

 先ずは露払いのように、ゆぅとぴあ和倉号 が通過して行きました。


 このような前面展望の改造DCが、この当時はあちらこちらで見られました。

 本命の ときめき号 が、七尾駅で転向したC57を先頭に前向き重連でやって来ました。


 この日は和倉温泉に宿をとり、冷えた体を温めました。

 翌日は良川駅の先にて場所を定めましたが、夜半に降った雪がうっすらと積もっています。


 DC列車が去った後、ときめき号 が良川駅を盛大な煙と共に発車してきました。



 また追いかけを開始し、笠師保駅の先の築堤で待ち受けましたが、通過寸前に線路は日陰になり、その上シャッターを切る直前に絶気してしまいました。



 おかげでシルエットのようになってしまいました。

 上り列車は穴水駅と能登鹿島駅の間で、海を入れられる場所での撮影としました。

 先にローカルDCが通過しますが、良い光線です。


 またしても ときめき号 が来る時になると、午前中と同様に、空は晴れているのに線路は雲の陰になってしまいました。


 帰りの列車まで時間に余裕が無いので、撮影はこれで切り上げて、金沢駅に戻りレンタカーを返却しました。

 列車に乗車するためホームに上がると、ちょうど ときめき号 が到着したので、皆さんと一緒に最後の撮影をしました。


 天候(太陽)に恵まれない2日間でありました。

 次回は、また現役SLのシリーズの九州編に戻ります。


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2017年7月26日水曜日

磐越西線 更科信号場 1984.4.29

 九州地方のSL撮影旅行の連載の途中ですが、ここらで一服、SL全廃後の撮影記録をご覧いただきます。

 磐越西線の電化区間については1983年秋の様子を4月25日に掲載しましたが、その半年後に再訪した時の記録です。

 磐梯山をバックにした磐越西線の写真はかなり広範囲で撮影できますが、更科信号場あたりが一番の撮影地と思われます。

 最初は翁島駅と更科信号場との間の直線区間を行く下り客車列車です。


 山の雪がほとんど残り、その姿が大きく見えます。

 信号場の線路端から、勾配を上って来る 快速ばんだい を正面から。


 次はやはり更科信号場の磐梯町駅寄りの地点ですが、この角度からの撮影が磐梯山を一番きれいに納められます。


 下りの 快速ばんだい に続いて、旧型客車を連ねた上り普通列車がやって来ました。


 後を追うように上り貨物列車が来ましたが、機関車は重連なのに貨物の量が少なすぎ、アンバランスです。


 下りの各停レッドトレインが、沈み始めた陽射しに照らされながら下って行きます。


 少し引いた場所から、下りの 特急あいづ です。


 信号場を真横に見える地点から、通過するのは 急行あがの3号。


 いよいよ陽が落ちてきて、磐梯山が赤く染まり始めた中を、上りの 快速ばんだい が通過して行きました。


 1日中好天に恵まれた、テツ日和でした。


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2017年7月24日月曜日

最西端のローカル線 松浦線 1971.7.27

 松浦線は、佐世保線の有田駅から途中、松浦駅や平戸口駅を通り、佐世保駅に至る線ですが、佐世保線の20km程度の2駅間をぐるりと遠回りして結んでいます。
 延長は100km近くに及び、平戸口駅は日本最西端の駅として知られていました。

 この線ではC11が普通列車を、8620が一部の普通列車と貨物列車を牽引するという、少々変わった路線でしたが、訪れた年の10月に客レのDC化、翌72年3月に無煙化され、さらに、1988年には三セクになってしまいました。

 松浦駅と肥前御厨駅の間には小さな峠越えがあり、勾配は33‰もあるので、ここでC11牽引の下り客車列車を待ちました。


 たった2両では軽すぎるようです。

 先に進んで、発車ならば煙を出すだろうと、肥前御厨駅近くで上り客車列車を狙いました。


 また先へ進み、今度は平戸口駅と江迎駅の間の峠、23.5‰の上り区間で8620牽引の貨物列車を撮影します。


 気温が高いうえに貨物が少ないためか、ここでも煙はスカです。


 平戸口駅で、ここで小休止する上りの貨物列車の入線を待っていたのは子供たちでした。


 田平駅方面へ先回りし、33‰の勾配地点でやって来るのを待ちました。


 今度はかなり頑張っているようです。

 続いて、C11牽引の客車列車も景気よく煙を上げてきました。


 次は潜龍駅の先まで走り、肥前吉井駅からの上り25‰を行くC11を撮影します。


 この辺りは面白い景観ですが、途中から漸く煙を上げ始めました。


 と思ったら、安全弁を吹き上げ、煙が無くなりました。


 それでも美しいコンクリートアーチ橋を行く姿を撮影できました。


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