小樽築港機関区

小樽築港機関区

2019年9月30日月曜日

 オホーツク海を走る 釧網本線 1970.3.27

 釧網本線は、オホーツク海側の網走駅から太平洋側の東釧路駅までの路線ですが、冬季には流氷が流れ着くオホーツク海側で、撮影に臨みました。

 北浜駅で下車し、浜小清水駅方向に進むと鉄橋があり、このあたりから海岸に降りて行くと、浜辺には流氷が折り重なるように打ち上げられていました。

 最初に来たのは上り列車ですが、駅付近なので既に絶気運転になっています。


 混合列車ですが、編成が長く客車が写っていません。

 次は下りの貨物列車で、こちらは白煙をたなびかせながら近づいて来ました。


 後藤工場製の小型デフを付けたカマが牽引しています。


 次も下り列車ですが、今度は客車列車でした。


 交換でやって来た上り列車も客レで、バックには斜里岳が姿を現わしています。


 絶気運転で、北浜駅へと鉄橋を渡って行きました。


 北浜駅に戻り、浜小清水駅までひと駅乗車しました。

 浜小清水駅のすぐ西側には小高い丘があり、駅構内を見下ろせます。

 DC列車が停車しましたが、背後には知床の山並みがきれいに見られます。


 しばらく待つと、北浜駅方向から下りの混合列車が近づいて来ました。


 浜小清水駅で停車後、横風を受けながら出発して行きました。


 これにて駅に戻り、混合列車に乗車し、網走駅に向かいます。


 この日も網走駅から夜行列車に乗車、車中泊が続きます。

2019年9月28日土曜日

 石北本線の名所 常紋信号場 1970.3.26

 石北本線の今は無き常紋信号場は、ここをサミットとして急勾配が連続し、補機付の列車が多数運転されていた撮影の名所でした。

 信号場とはいえ、スイッチバックで停車する列車が多く、夜行列車でまだ明けきらない早朝に到着しました。

 乗ってきた D51 牽引の列車は、薄暗い中を、折返して出発して行きました。



 生田原駅側は、信号場に隣接するようにトンネルになっていて、網走の囚人によって掘られたといわれるここを通過するのを嫌い、大半の人は金華駅側に向かいます。

 しばらく進むと空が黄金色に明けてきて、Sカーブの向こうから煙が立ち上がって来ました。


 この日は非常に冷え込んだので、白煙が消えずに空高く上がって行きます。


 最後部では、9600 が懸命に押上げています。


次は下り列車なので、軽やかに転がって来ました。


 少し信号場側へと戻って次の上り列車を待ちますが、今度は客レなので、D51 が単機で牽引してきます。


 荷物車を連ねた、この頃の輸送状況を象徴するような編成です。


 次にまた下り貨物が転がり下りてきましたが、こちらは国鉄コンテナを混えた編成で、少し新しい輸送形態になりつつある様子です。


 常紋信号場に戻り、この線のクイーンである 特急おおとり の通過シーンを狙いました。


 再び金華駅方向に下って行くと、まだ良い場所を見つけられないうちに上り貨物列車が来てしまいました。


 9600 が前補機に付いた、重連です。


 その先をさらに進んでいると、先程の前補機 49626 がバック運転で戻って来ました。


 線路を見下ろせる小高い場所に上がると、下りの客車列車が混合列車の編成で通過して行きます。


 遠く金華駅の方向から煙が上がり、上り貨物が姿を現わしました。


 先程と同様に、前補機付の重連運転です。


 煙が流れて列車の後部が見えなくなりましたが、雪面には安全弁を含めて三条の煙の影が見られます。


 カーブを曲がりくねって、勾配を上る様子を見送りました。


 これにて信号場に戻り、網走駅に向かいました。

2019年9月26日木曜日

 名寄本線の 天北峠越え 1970.3.25

 石北トンネルの開通で、本線とは名ばかりになった名寄本線ですが、数本の貨物列車が設定されていて、天北峠を越える区間では補機の運用もありました。

 名寄駅から各停DCに乗り、一の橋駅で下車しましたが、昨日とは違って空は見事に晴れ渡っていました。

 上興部駅方向に進みましたが、この2駅間は距離が長く、とても峠付近までは歩けませんが、一の橋駅を出てすぐに連続勾配となっていて煙が期待できます。

 最初の下り貨物は、9600 単機での牽引ですが、空高く煙を吹き上げています。


 ゆっくりとした足取りで近づいてくるので、手巻きでも撮影枚数が稼げます。


 望遠から標準付きのカメラに持ち替えて、撮影を続けます。


 しっかりとした足取りで、峠に向けて通り過ぎて行きました。


 交換で、天北峠からのSカーブを、9600 重連の上り貨物が音も無く下って来ました。


 周りの雪に吸収されて、静かに滑り降りてきます。



 補機は、一の橋駅までのお務めです。


 先程の補機が役目を終えて、単機で牽き返してきますが、空模様が急変してきました。


 急勾配なので、単機回送なのに結構な煙を吹き上げています。


 一の橋駅に戻り、上り貨物を撮影するため、上興部駅までひと駅乗車します。

 貨物の発車まであまり時間が無いので、駅付近で撮影できる場所を探しました。


 今度は後補機付です。


 峠に向けて、猛然と加速して行きました。


 名寄駅経由で旭川駅に行き、今夜の宿となる夜行列車に乗り込みました。

2019年9月24日火曜日

 北の最果て 宗谷本線の C55 1970.3.24

 北の最果ての街 稚内は、いつもより積雪が多く、抜海駅へと続く線路際には除雪された雪が高く積まれていました。

 雪に足を取られながら撮影場所を求めて歩きましたが、足回りが隠れてしまうのであまり線路からは離れられません。

 そうこうしているうちに、最果て鈍行の煙が遠くの方に上がり、こちらへと近づいて来ました。


 牽引しているのは、昨日乗車した下り普通列車を牽いた C551 です。


 緩勾配を勢いよく上って行きました。


 この1本だけを撮影し、稚内機関区を訪れました。

 ここには数両の 9600 が配置されているだけで、C55 は旭川の所属で、折返し間合いに駐泊していますが、テンダーの後ろ姿を見せているだけです。


 暗い扇形庫の中には、整備中の 39602 がいました。


 石炭を満載にした 19616 が、ターンテーブルに乗ろうとしています。


 南稚内駅から各停DCに乗り、音威子府駅に向かいました。

 下りの普通列車を牽引して、C5530 が入線してきました。


 この駅では停車時間が長く、C5530 は客車を置き去りにして、水と石炭の補給に行ってしまいました。


 客レの発車時間が近づいたので筬島駅方向へ歩き、先に到着する上り貨物列車を待ちました。


 大粒の雪が舞い、牽引する 9600 のナンバーも読めません。

 間もなく先程の 321レが発車して来ました。


 こちらははっきりとナンバーが確認できます。


 雪の舞う中を、北の果てを目指して、走り去って行きました。


 この日の撮影はこれで終了し、明日に備えて宿に向かいました。