この日は煙を求めて、朝から首都圏をうろつきました。
先ずは山手赤羽線、今では路線名も変わってしまいましたが、赤羽線にはまだ D51 牽引の貨物列車が残っていたので撮影に行きました。
十条駅で下車し、撮影場所を探したのですが見つからず、駅に戻って跨線橋からの撮影となりました。
ちょうど停車中の101系の脇を走り抜けて行きました。
次は上野駅の常磐線ホームです。
成田線直通の C57 牽引の客レが、発車待ちをしていました。
北側からは、このホームに到着の常磐線の下駄電が入線してきます。
そのあとには 寝台特急はくつる を牽引して、EF58 がやって来ました。
はくつる の写真を撮るならば、もっとましな場所に行ったのでしょうが、この当時はSLばかりを撮っていて、ついでの撮影なのでこんなカットしか有りません。
次は大宮駅まで移動です。
大宮機関区を目指したのですが、途中の道路橋から、丁度発車してきた川越線の貨物列車を撮影できました。
当時は鉄道の町として栄えた大宮ですが、機関区を訪問すると、ごく気楽に迎えてくれました。
多くのSLがいて、その煙であたりが霞んでいます。
クラの中にもお邪魔しました。
機関区の脇では、D51 が貨物列車の仕分けをしています。
北国から到着した貨車の屋根には、白い雪が積もっていました。
本線上では、クモユニ74を連ねた荷電が通過して行きます。
大宮駅に戻り帰途に着いたのですが、最後の1枚でお隣の東武線を撮ったカットが残っていました。
フィルム1本だけであちこち走り回った、楽しい一日でした。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで・・・
現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
小樽築港機関区
2019年7月10日水曜日
2017年1月31日火曜日
大宮機関区 1968.2.4
昨日の記事の続きです。
今ではさいたま市の一部になってしまった大宮ですが、当時の大宮市はまさに国鉄の街で、機関区の他に工場、そして大ヤードが有りました。
上野を昼前に出て、その大宮機関区に撮影に訪れました。
駅を出て、線路を跨ぐ道路から大宮工場がのぞけます。
角型ドーム、警戒塗装のC11がいました。
大宮機関区でも見学の許可は簡単に取れました。
庫の手前にはD51がいました。
右側にはキューロクも。
奥側の庫からD51が出てきました。
4桁ナンバー、デフ無しの綺麗なキューロクもいます。
少し離れた側線にはメインロッドを外されたC58の姿が。
その向こう側のヤードでは、複数のD51が盛んに入換をやっていました。
庫の中に入ると、ここにもD51が休んでいます。
機関区のはずれの方では、キューロクがアッシュに埋もれそうになっていました。
今思えば本当に大らかな時代で、本線が近くを走り、様々な作業中の機関区内を自由に歩き回ることが、当たり前のように許されたのです。
今ではさいたま市の一部になってしまった大宮ですが、当時の大宮市はまさに国鉄の街で、機関区の他に工場、そして大ヤードが有りました。
上野を昼前に出て、その大宮機関区に撮影に訪れました。
駅を出て、線路を跨ぐ道路から大宮工場がのぞけます。
角型ドーム、警戒塗装のC11がいました。
大宮機関区でも見学の許可は簡単に取れました。
庫の手前にはD51がいました。
右側にはキューロクも。
奥側の庫からD51が出てきました。
4桁ナンバー、デフ無しの綺麗なキューロクもいます。
少し離れた側線にはメインロッドを外されたC58の姿が。
その向こう側のヤードでは、複数のD51が盛んに入換をやっていました。
庫の中に入ると、ここにもD51が休んでいます。
機関区のはずれの方では、キューロクがアッシュに埋もれそうになっていました。
今思えば本当に大らかな時代で、本線が近くを走り、様々な作業中の機関区内を自由に歩き回ることが、当たり前のように許されたのです。
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