小樽築港機関区

小樽築港機関区

2020年2月29日土曜日

 大型機を求めて山陰本線へ(その3) 1973.12.16

 山陰本線の撮影旅の最終日です。

 周布駅から少し西浜田駅方向に進み、周布川にかかる鉄橋の近くに来ました。

 まだ夜が明けきらない中を、上りの客レを牽引して、C57 が発車して来ます。


 カラーでは露出が不足し、シルエットでの撮影となってしまいました。


 次は上りの 特急やくも ですが、サイドから撮ろうとすると、足元が隠れてしまいました。


 上りのDC列車で浜田駅に向かいます。


 構内には整った姿の C57 と、火の粉止めが気になる C56 がいました。


 浜田駅から再び折返し、折居駅にて下車します。

 ここで、上り貨物の発車を撮影します。


 通過した列車を、踏切を渡り、海沿いを走り去る姿を眺めていました。


 次は下り貨物なので、少し先の道路わきから狙いましたが、駅に近いので煙は上げてくれません。


 上りの 特急まつかぜ は、先程の踏切に戻り、後追いでの撮影です。


 次の上り貨物までは時間があるので、先の方に見えるトンネルの上まで行ってみました。

 折居駅を発車して、こちらに向かってくる姿を捉えることができます。


 接近しての撮影は、ケーブルが少々目障りでした。


 列車本数が少ないので、次の上りDCでまた浜田駅に戻りました。

 浜田駅での撮影で、先ずは下りの貨物列車です。


 次の上り貨物は、駅を出てすぐの踏切です。


 このあとは帰りの列車の時間まで、浜田機関区にお邪魔しました。


 美しい C575 は、庫から顔を出していて、大型の集煙装置を付けた C57101 は、外に留置されていました。


 三線の機関庫の外には、D51 が待機しています。


 そろそろ 寝台特急出雲 の発車時間なので、これにて駅に戻りました。

 今回は往復とも寝台特急を使用するという贅沢な旅行で、学生の身分に非ざる撮影旅行になってしまいました。

2020年2月27日木曜日

 大型機を求めて山陰本線へ(その2) 1973.12.15

 昨日は好天だったのですが、本日は朝からどんよりとして思わしくありません。

 このあたりの山陰本線は列車本数が少ないので、やはり効率を考えて、朝乗った列車を人丸駅で降りて長門古市駅側に進みました。

 朝もやの向こうから、上り貨物がやって来るのが見えます。


 腕木式信号機が場内通過を示していて、駅近くでも力行してきました。


 反対方向から下り貨物が発車して来ましたが、牽引機の D51940 のエンドビームには、飾り帯が残されています。


 人丸駅に戻り、上り列車で旅を続けますが、途中の長門市駅では車窓から D51 の姿が拝めました。


 次の目的地は飯井駅で、単線の片側に短いホームが一面あるだけの無人駅です。

 下りの客車列車が近づいて来ましたが、ここは普通DCだけが停車なので、速度を落とさずに通過します。


 線路下の集落のための駅なのでしょうか。


 築堤のカーブを、勢いよく近づいて来ました


 線路のすぐ下には海が迫っているので、海岸まで降りてみます。

 上り貨物列車が来ましたが、こちらは下り勾配のためそっけなく通り過ぎて行きました。


 小さな入り江の防波堤から、次の下り貨物を狙ってみます。


 今度は上り勾配のため、綺麗な白煙をたなびかせてくれました。


 但し、天候が宜しく無いので、カラー写真の出来はイマイチです。


 次の上りDCで、移動を再開しました。

 鎌手駅では下り貨物の通過を待ちます。


 西浜田駅では、特急まつかぜ のお通りをお待ちしました。


 浜田駅では、集煙装置を載せた C56 を見かけました。


 浜田駅近くで、夜行を含めると三日目の夜を迎えます。

2020年2月25日火曜日

 大型機を求めて山陰本線へ(その1) 1973.12.14

 本州で大型のSLが見られる線区が激減したので、小型の C11 ばかりが被写体となっていましたが、D51 や C57 を求めて山陰本線まで足を延ばしました。

 その山陰本線でも西の方にしか走っていないので、今回は夜行寝台で下関駅まで乗車し、東に向かう計画としました。

 下関駅から先は関門トンネルの専用機に付替えますが、朝のホームでは2本のブルトレが並び、3レは EF81 の牽引で発車し、5レは EF30 が連結作業中です。


 山陰線のホームには下り客レが到着し、D51 を切り離して回送準備をしていました。


 上りの各停に乗り、降り立ったのは梅が峠駅で、この場所にしたのは単に撮影効率が良いからです。

 黒井村駅方向に進むと、背後から 特急まつかぜ が通過して行きました。


 ここはあまり良い撮影地ではありませんが、すぐに下りの客レが来るので、この場所で待ち受けます。


 朝日を正面に受けながら、集煙装置付きの、ごく普通の D51 がやって来ました。


 この先に沼の横をカーブする場所があるので行ってみたのですが、線路脇では何やら大掛かりな工事が行われていました。


 場所を変える時間も無いので、あきらめての撮影です。


 次に来る上り貨物は、同様に沼の手前から撮りましたが、背景の処理ができませんでした。


 本数だけは稼いで、梅が峠駅に戻り、上り列車で小串駅に向かいます。

 この駅から次の湯玉駅との間では海沿いを走る区間があるので、歩き始めました。

 後ろから急行DCが来ましたが、なんとも汚い車体です。


 交換で、下りの客レを牽引して、D51 が姿を見せました。


 さらに進むと、ようやく海辺へと到着しましたが、良いポジションを探せないうちに D51 が来てしまい、岩陰から後追いの1枚だけの撮影となってしまいました。


 次の上り貨物は、この区間でのベストポジションで、確実に撮影できました。


 そのまま先へと歩を進めると、湯玉駅の手前で上り貨物が来ましたが、夕日をバックにした完全な逆光となってしまいます。


 次の下り貨物は綺麗な順光になるのですが、海からの風が強く、煙が横に流れてしまいました。


 夕暮れが迫り、これにて本日の撮影を終了しました。

2020年2月23日日曜日

 板谷峠を行く交流電機たち(その2) 1973.8.24

 板谷峠での撮影2日目です。

 列車本数が多いので、ゆっくりと朝食を済ませてからの出陣です。

 宿のそばの踏切近くで、勾配を下って来る重連貨物から撮影開始となりました。


 板谷駅方向に歩いて行くと、EC急行が下って来ましたが、この頃既に幹線では、優等列車は特急の方が多くなっていました。


 先程の踏切から少し離れた直線の終わりで待っていると、特急つばさ が EF71 に牽引されて近づいて来ました。


 キハ181系は当初補機無しで走っていたのですが、温度上昇がみられるとのことで、補機付というより電機に牽引されての峠越えとなったようです。


 このカーブの先で、板谷駅のスノーシェッドに入って行きます。


 次は ED78 を先頭にした、下りの重連貨物です。


 犬走りを農作業に出かけるおじさんが歩いていますが、この頃は線路端を歩くのは当たり前に行われていました。


 ED78 と EF71 では、同じ様な長さに見えますが、側面のエアフィルターの数が異なっています。


 板谷駅からお隣の赤岩駅までひと駅乗車しましたが、赤岩駅にはまともな道路が通じてなく、付近の集落の人が歩いてくるだけの秘境駅でした。

 板谷駅方向はすぐにトンネルに入るので、庭坂駅方向に歩き松川の鉄橋に着くと、不意に下りの客車列車がやって来ました。


 臨時の特急だったようです。

 次の重連貨物はしっかり構えて撮影できました。


 反対方向から、やはり臨時の特急客レが予期せずに来てしまいました。


 線路脇の擁壁にあがってみると、遠くにスイッチバックの赤岩駅が見えますが、すぐ横の本線をDC急行が駆け下って来ました。


 この場所から振り返ると、先程の松川の鉄橋が俯瞰できます。

 EF71 が 特急つばさ を牽引して、トンネルから抜け出してきました。


 勾配線を登る姿を連写します。


 ようやく長い編成の全体が見えました。


 帰りの列車の時間が近づいたので赤岩駅に戻ります。

 小さな待合室からは本線が見下ろせますが、降り始めた小雨の中を、ヘッドライトを輝かせながら 特急やまばと が通過して行きました。


 これにて撮影を終了し、列車を乗り継いで帰京しました。