小樽築港機関区

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2019年11月29日金曜日

 北九州の運炭線 後藤寺線と田川線 1971.7.30

 北九州には数多くの炭鉱があり、その石炭輸送のため沢山の支線が複雑に張り巡らされていました。

 なかでも田川線には、9600 の補機付の列車があったので、それを求めて行ったのですが、毎度の途中の駄賃で、後藤寺線の船尾駅の近くでの撮影から開始しました。


 9600 がボタ山を背に長いセキの編成を牽いて来ましたが、その遥か後ろには補機の姿がありました。


 ここではこの1本だけで、田川線の撮影地、油須原駅に向かいます。

 丁度下りの客レの発車時間に間に合いました。


 次は C11 牽引の上り客車列車なので、内田信号場方向に進み、築堤を登って来るのを待ちます。


 すぐに追いかけると、油須原駅の手前の道路橋からもう1度撮影できます。


 今度は下り貨物なので崎山駅側に向かったのですが、走り回っても良い場所が見つからず、もう少しで撮り逃がすところでした。


 再び上り貨物の撮影で、先程と同じ場所に向かいました。

 9600 の重連がゆっくりとした足どりで、煙を上げてきました。


 列車の最後尾にも 9600 が付いていて、3台運転でした。


 先程同様に、追いかけて駅手前で俯瞰撮影します。

 やはりこのあたりではあまり力行していません。


 最後尾の補機も、勤めを終えて、乗務員ものんびりした様子です。


 撮影はここまでで、直方方向へと移動しました。

2019年11月27日水曜日

 長崎本線、甘木線、筑豊本線 冷水峠 1971.7.29

 この日の主目的は、筑豊本線の終点原田駅側にある冷水峠での撮影です。

 長崎に宿泊していたので珍しく早めに出発し、喜々津駅で朝の列車を撮ることからスタートしました。

 最初は D51 牽引の貨物列車ですが、やって来るのは下り列車ばかりなので、全て逆光になってしまいます。


 寝台特急あかつき が来ましたが、ヘッドマークはありません。


 昨日の 特急さくら と違って、ナハネフ21を最後尾に、朝のうちに通過して行きました。


 続いて下りの客車列車を牽いて、門デフの C57 が発車して来ます。


 ファインダーでは眩しくて良く見えませんでしたが、なんとか写っていました。


 これにて冷水峠に向かうのですが、途中の甘木線に貨物列車があるので、これ幸いと筑後小郡駅と筑後松崎駅の間で通過を待ちました。


 やって来たのは、幸運にも C11 の重連でした。


 目的の冷水峠に到着しまして、下り貨物なので、冷水トンネルの筑前内野駅側に場所を定めます。


 連続25‰なので、D60重連 は猛烈にふかしてきました。


 次は交換で上りの客車列車が来ますが、トンネルの向こう側に行く時間は無いので、駆け下って来るのを撮ることにします。


 門デフ、スポーク動輪の C55 が通過して行きました。


 今度は下りの客レなので、俯瞰できるところは無いかと探したのですが、通過時間になってしまい、良いカットは撮れませんでした。


 次も下り貨物なので、場所探しをあきらめて、最初の撮影地の近くに戻りました。


 次位の D60 は門デフ付です。


 上り列車まで時間があるので、トンネルを越えて筑前山家駅側にて場所を探し、逆光ですが、横から撮れる場所を見つけました。


 D60 単機牽引の上り客車列車を撮影後、宿のある飯塚方向へと移動しました。

2019年11月25日月曜日

 大村湾をめぐる 大村線 と 長崎本線 1971.7.28

 この日は大村湾沿いに、大村線と長崎本線を撮影しながら、長崎に向かう1日です。

 小串郷駅の先で、DLの牽引ですが貨物列車が来るので、小高い場所に陣取り、海をバックに通過を待ちます。


 大村線では無煙化が進み、数少ないSL牽引の通勤列車が狙い目ですが、もう少し先の川棚駅を過ぎたところの海側から撮ることにしました。

 先行して、DC急行が通過します。


 続いて本命の客レで、C57 が姿を見せました。


 平坦線のためか、煙は全く見えません。


 均整の取れた C57 が、通過して行きました。


 次に向かったのは長崎本線の東園駅で、今では新線が開通して列車本数が激減しましたが、海辺の風光明媚なところにあります。

 この日は好天なのは良いのですが、連日の暑さでバテ気味で、駅撮りで怠けました。

 大草駅方向から、上りの急行DCが回り込んできます。


 後を追うようにやって来た貨物列車は、DD51 の牽引です。


 反対方向から、下りの 寝台特急さくら が姿を現わしました。


 付属編成を切り離したので、最後尾は切妻の姿です。


 終着の長崎駅に向かって、海沿いの道を進んで行きました。


 やって来た上り貨物は、回送でしょうか、珍しく DD51 の重連です。


 東園駅の通過線を、下りの夜行急行が通過するのを、駅員が姿勢を正して見送っていました。


 今度はホームのある停車線側に、D51 が下り貨物を牽引して入線してきます。


 結局この日に撮影できたSL列車は、2本だけでした。

2019年11月23日土曜日

 松浦線の C11 と 8620 1971.7.26

 唐津線の撮影の翌日は、松浦線を撮影しながら終点の佐世保駅を目指す行程です。

 ここは全線で100km近い長さにおよびますが、今では三セクになり、名称も変わってしまいました。

 途中の伊万里駅でスイッチバックし、運転系統も変わるのですが駅には立ち寄らず、勾配区間が始まる松浦駅まで急ぎました。

 筑前御厨駅との間に峠越えがあるので、下りの客車列車を待ちます。


 門デフの C11 の牽引ですが、客車が2両だけなので、33‰でも煙の出が思わしくありません。

 次は上りの客レなので、先に進んで、筑前御厨駅近くの踏切で発車して来るところを待ちうけました。


 さらに進んで平戸口駅の先の、25‰の勾配区間で、今度は貨物列車の通過を待ちます。


 貨物は 8620 の担当ですが、暑さのためか、ここでも煙はありませんでした。


 日本最西端の駅である平戸口駅に行ってみました。

 上りの貨物列車を見学に、近在の子供たちが集まって来ました。


 少し戻って、33‰とSカーブの続く田平駅側でこの上り貨物を待ちます。


 今回は黒煙を上げてくれました。

 次の上りの客レも、煙を期待して同じ場所で待ちます。


 貨物以上の力闘ぶりを見せてくれました。

 さらに移動を続けて、潜龍駅の先に向かいます。

 ここも25‰の勾配区間で、コンクリートアーチ橋が多くみられる場所です。


 残念ながらこの程度の勾配では煙が上がりませんでしたが、アーチ橋やコンクリートの遺構らしきものが一緒に写せました。


 開けた築堤区間に出ると、ようやく煙を上げ始めました。


 道路橋も石積みのアーチ橋になっています。

 ここからまだ先が長いので、これにて撮影を終了し、車を走らせました。

2019年11月21日木曜日

 高森線 そして 唐津線 1971.7.26

 この撮影旅では、特別な目的列車が無い限り、普通に朝食を済ませてから出発する軟弱鉄なので、この日最初の撮影は、高森線の上り2番列車でした。


 既に高くなった太陽を背に、上り客車列車が高森駅を発車して来ました。


 この先追い越して、中松駅と阿蘇下田駅の間で再び撮影します。


 阿蘇の外輪山に囲まれた中を、コンプレッサーの排気のみを出しながら、立野駅へと走り去りました。


 次の目的地は 9600 の活躍する唐津線で、150km程度の移動となり、道路が整備されていない時代なので大変です。

 唐津線は多久駅と厳木駅の間に急勾配のサミットがあり、有名撮影地で、上下の列車がそれぞれ勾配に挑む姿が撮影できます。

 上り貨物を撮影すべく厳木駅側に行ったのですが、暑さのためか、全く煙が見えません。


 次は下り貨物なので多久駅側に移動します。

 築堤の上を、今度は煙を上げながら近づいて来ました。


 本来ならば補機付のはずですが、荷が少ないので、単機での牽引となったようです。


 本日の撮影はこれまでと、さらに先にクルマを走らせていると、踏切で警報機が鳴り始めました。

 何か来ると、慌てて車から飛び出し、カメラを構えていると、


 やって来たのは先程撮影した下り貨物で、列車の速度が遅いので、追い越してしまったのでした。