小樽築港機関区

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2025年1月20日月曜日

 2024年に撮った 函館市電 2024.7.4~5

  今回は津軽海峡を渡って函館入りしたのですが、市内をうろつくときにはいつもコンパクトデジカメを携帯していますので、その時に出会った函館市電をご覧いただきます。

 最初は7月4日に外人墓地方面を散策した後に、市電に乗るべく終点の 函館どつく という名の電停に向かいました。

 2002 が到着し、乗客を降ろしているところです。


 ここは 函館ドック ではなく、どつく と大文字でして、他の終端と同様1線両側ホームで、乗降客を分離しています。

 ここから乗車して、函館駅前 まで行きました。

 函館駅前 で進行方向が90度変わります。


 交差点に立つ背後の建物は百貨店だったのですが、残念ながら既に閉店してしまいました。

 かなり古い話ですが、ここを直進して五稜郭方向に伸びる路線があったのですが、その他も含めてかなりの路線が縮小されたのです。

 同じく函館駅前の交差点ですが、同じ方向から来た貸し切り電車の 501 が通過しました。


 この背後に写っている Kiralis というビルですが、ここもかつては百貨店があった場所で、昔の函館駅前はにぎわっていたのです。

 翌7月5日は地元の十字街の交差点での撮影でした。

 この停留所は谷地頭行きと函館どつく行が分かれるところで、交差点の一角にかつて使われていた分岐器扱いの施設 操車塔 が残されています。


 3002 の行先表示が「発車します」となっています。

 画面の右方向に向かって発車してきたのですが、谷地頭からの 9601 がちょうどやって来ました。


 おかげで 3002 が隠れてしまいます。


 この二日間で撮ったのはこれだけで、相変わらず腰を据えての撮影はやりませんでした。


2025年1月10日金曜日

 北東北から函館へ その2(八戸線から津軽海峡へ)  2024.7.2~3

  八戸市内で宿泊した翌日、かつての撮影地を見てみようと小中野駅と陸奥湊駅の間の新井田川の鉄橋に向かいました。

 事前に調べた列車ダイヤでは列車の通過までは時間があるので、周辺の街並みを見るべく辺りをうろついていると、なんとDC列車が民家の屋根の向こうを通過して行きます。

 どうやらダイヤが古く、改正されて時間が早まっていたようで、仕方がないので線路だけを撮影することになりました。


 同じ場所で撮影したものは既にブログに載せていますが、再掲します。


 プレートガーダーの架け替えと橋脚の更新が行われていますが、同じような建物が存続していました。

 このあとは観光で、十和田市現代美術館に向かいます。

 到着の少し前に保存蒸機を発見したので、美術館の後に見に行きました。


 D51663 が十和田市民文化センターの敷地に保存されていて、屋根付きではありますが、薄汚れています。


 太い柱が撮影の邪魔をしていますが、屋根があるので朽ち果てることは無さそうに思われました。

 この日は青森市内に宿泊し翌日はフェリーで青函海峡を渡り、SL現役の頃の思い出に浸ることにします。

 フェリー乗り場は青森駅からは少々離れていて、当然のことながら、昔のイメージとは全く異なっていました。


 紙テープで別れを惜しむこともなく、岸壁を離れて行きます。


 船首の指定席を確保していたので、前方を見ながらの船旅を満喫しました。

 やがて函館に近づき、函館山の半島が見えてきます。


 さらに進むと山の頂上の施設が見え、さらに遠方には駒ヶ岳の特徴ある姿が確認できました。


 このあたりからかつての連絡船の航路から外れ、五稜郭方向へと向かい、前方に五稜郭タワーが現われます。


 真横方向では、函館山のロープウェイが頂上の乗り場と共に望めました。


 いよいよ接岸ですが、五稜郭のフェリーターミナルなので、青森同様、かつての思い出の再現とはいきません。


 ここからタクシーで部屋に向かい、今回の北東北経由、船旅での函館行は終了しました。