この時の撮影旅行は天気に恵まれず、撮影最終日のこの日も雨模様で、駅撮りできるところをと考えて、磐越西線の中山宿駅に向かいました。
急勾配の途中に設置された駅で、スイッチバックのある駅として知られていましたが、現在では少し離れた本線の勾配途中に移設され、魅力が無くなってしまいました。
雨が上がって来たので待合室から出て、DC急行を撮影しますが、折しも線路際の桜が満開になっています。
下りの普通客車列車が入線してきましたが、牽引機は 試作機ED93 を改番した ED77901 で、登場時は前面2枚窓でしたが、量産機と同様の貫通扉付に改造されてしまいました。
いったんバックして、引き上げ線からスイッチバックして本線の勾配を上って来ましたが、特徴ある屋根上は、改造後も原形が保たれています。
次に到着したのは ED77重連 の下り貨物で、上り特急の通過を待ちます。
その上り 特急あいづ を撮影のため、築堤を登って待っていると、ボンネット型を先頭に軽快にやって来ました。
最後尾は貫通型で、こちらは絵入りのヘッドマークになっています。
特急あいづ の通過後、下り貨物列車がモーターを呻らせながら、勾配をゆっくりと上って来ました。
中山宿駅での撮影はここまでで、東京方面に向かいながら、次の撮影地へと移動しました。
2016年に 写真集「SL現役の頃」 を自費出版し、SL時代の撮影フィルムの整理が完了しました。
引続き、SL無き後に撮影したものについても順次デジタル化を進めています。
同時に、相変わらず現在でも撮影に足を運んでいます。 といったところで・・・
現役の頃/その後/現在、を取り混ぜながら拙作をご紹介します。写真クリックで大画面もご覧下さい。
小樽築港機関区

2020年5月9日土曜日
2020年5月7日木曜日
大型連休の東北撮影旅行-2 1979.4.29
1979年の大型連休の2日目、昨日は東北本線の奥中山でしたが、この日は北上線から奥羽本線へと移動しながらの撮影です。
昨日とは異なり、雨は降ってこないものの朝から曇天で、撮影日和ではありませんが、最初は陸中川尻駅の東側、陸中大石駅寄りの、錦秋湖を見下ろす地点です。
DC急行きたかみ の編成が、湖上の鉄橋を通過して行きます。
次は上り貨物ですが、この当時は2往復設定されていたようです。
DD51重連 が、陸中川尻駅を通過して、鉄橋を渡って来ました。
陸中川尻駅と陸中大石駅は、今では駅名が変更され、観光向けの駅名になっています。
北上線はこれで切り上げて、奥羽本線のかつての難所、院内駅と及位駅の間に移動しました。
山形県と秋田県の境界にある雄勝峠がこの両駅間にあるのですが、既に複線電化され近代化されているので、それほどの難所には見えません。
急行おが が通過します。
ここを越える D51 の勇壮な写真を見たことが有りますが、線路の位置も変わってしまい、案外撮りにくい場所です。
今度は 特急つばさ です。
少し別の場所に移動しましたが、道路と絡む区間が多く、良いアングルが探せません。
また 特急つばさ が来ましたが、この時代の多くの幹線で、一番運転本数が多いのは特急電車だったような気がします。
この日は移動が多かったので、撮影したのはこれだけでした。
昨日とは異なり、雨は降ってこないものの朝から曇天で、撮影日和ではありませんが、最初は陸中川尻駅の東側、陸中大石駅寄りの、錦秋湖を見下ろす地点です。
DC急行きたかみ の編成が、湖上の鉄橋を通過して行きます。
次は上り貨物ですが、この当時は2往復設定されていたようです。
DD51重連 が、陸中川尻駅を通過して、鉄橋を渡って来ました。
陸中川尻駅と陸中大石駅は、今では駅名が変更され、観光向けの駅名になっています。
北上線はこれで切り上げて、奥羽本線のかつての難所、院内駅と及位駅の間に移動しました。
山形県と秋田県の境界にある雄勝峠がこの両駅間にあるのですが、既に複線電化され近代化されているので、それほどの難所には見えません。
急行おが が通過します。
ここを越える D51 の勇壮な写真を見たことが有りますが、線路の位置も変わってしまい、案外撮りにくい場所です。
今度は 特急つばさ です。
少し別の場所に移動しましたが、道路と絡む区間が多く、良いアングルが探せません。
また 特急つばさ が来ましたが、この時代の多くの幹線で、一番運転本数が多いのは特急電車だったような気がします。
この日は移動が多かったので、撮影したのはこれだけでした。
2020年5月5日火曜日
大型連休の東北撮影旅行-1 1979.4.28
本来ならば大型連休中で、撮影地は賑わっているところですが、今年は自粛要請があり、SLも走っていません。
まばゆいばかりの銀世界を、客車列車に続いて 特急ゆうづる が来ましたが、この頃はヘッドマークが無いので、物足りません。
続いてのコンテナ貨物は、ED75 の重連が牽引しています。
2本目の 特急ゆうづる ですが、こちらでも足場が悪くて、編成全体は撮れませんでした。
なんとか線路際に近づき、貨物列車を撮影できました。
場所を探してうろついているうちに、3本目の 特急ゆうづる が来てしまい、これは失敗作になってしまいました。
時間がたつにつれてどんどん雪が融けて、線路際からの撮影が可能になります。
上りの 特急はつかり が来ましたが、この頃は485系の はつかり も運転されていました。
大カーブを見下ろす擁壁に登ると、コンテナ列車を従えた ED75重連 が、陽光を浴びながら勾配を上って来ます。
反対方向からは、また485系の 特急はつかり が通過しました。
1979年の連休は4月28日の土曜日からなので、金曜の夜から車を走らせて、東北本線の奥中山の大カーブを目指しました。
ところが到着してみると、辺り一面雪景色で線路に近づけず、少し離れた場所から横がちの撮影になってしまいました。
まばゆいばかりの銀世界を、客車列車に続いて 特急ゆうづる が来ましたが、この頃はヘッドマークが無いので、物足りません。
続いてのコンテナ貨物は、ED75 の重連が牽引しています。
線路に近づけないので、奥中山駅を越えて、小繋駅方向に行ってみました。
583系の 特急はつかり が来ましたが、峠のこちら側は曇っています。
2本目の 特急ゆうづる ですが、こちらでも足場が悪くて、編成全体は撮れませんでした。
なんとか線路際に近づき、貨物列車を撮影できました。
次は御堂駅側の国道付近から、上りの重連貨物を撮影しましたが、逆光で、色が飛んでしまいました。
場所を探してうろついているうちに、3本目の 特急ゆうづる が来てしまい、これは失敗作になってしまいました。
時間がたつにつれてどんどん雪が融けて、線路際からの撮影が可能になります。
大カーブの雪も嘘のように溶けてしまい、急行十和田4号 の通過の頃には、すっかり春の陽気になりました。
上りの 特急はつかり が来ましたが、この頃は485系の はつかり も運転されていました。
大カーブを見下ろす擁壁に登ると、コンテナ列車を従えた ED75重連 が、陽光を浴びながら勾配を上って来ます。
反対方向からは、また485系の 特急はつかり が通過しました。
以上、大型連休初日の撮影記です。
2020年5月3日日曜日
正月の 岳南鉄道 1979.1.3
正月3日、富士川で東海道本線でブルトレの撮影を終えて、そのまままっすぐ帰るはずが無く、立寄ったのは岳南鉄道でした。
今では貨物輸送が無くなり、岳南電車と社名も変わってしまいましたが、当時は多くの貨物列車が設定されていました。
最初に着いたのは、この鉄道の終点である岳南江尾駅です。
正月ですので貨物輸送はお休みで、ED321 が側線でお休みしていました。
駅構内のはずれには、新幹線の高架があり、背後に写り込んでいます。
岳南江尾駅のホームの両側には、2本の列車が並んで停車しています。
この時間帯はホームの片側だけを使用し、向かって左側は留置線として使用されていますが、ホームの上屋はパイプを曲げて作られた、洒落たものになっています。
発車時間が近づいたので、神谷駅方向に撮影場所を求めて移動し、富士山をバックに撮影できるところを見つけました。
同時にアップでも撮影。
この先、岳南富士岡駅まで移動しました。
駅の隣の検修庫からは、異彩を放つステンレス車 1105 が顔を出しています。
その脇には、車体を補修中の ED281 もいました。
検修庫の中に入らせてもらうと、ELやECの他に、台車が所狭しと積み重ねられています。
駅のホームに戻ると、ちょうど須津駅行きの区間列車が入線してきました。
おあとは、まわりの側線に停められている車両を巡ります。
近代的な顔つきの ED400 は、停車位置が悪く、完全な逆光になってしまいました。
少し離れてみると、岳南富士岡駅ののんびりとした様子が好ましく思えました。
正月なので、あまり遅くならないうちに、これにて帰路に着きました。
今では貨物輸送が無くなり、岳南電車と社名も変わってしまいましたが、当時は多くの貨物列車が設定されていました。
最初に着いたのは、この鉄道の終点である岳南江尾駅です。
正月ですので貨物輸送はお休みで、ED321 が側線でお休みしていました。
駅構内のはずれには、新幹線の高架があり、背後に写り込んでいます。
岳南江尾駅のホームの両側には、2本の列車が並んで停車しています。
この時間帯はホームの片側だけを使用し、向かって左側は留置線として使用されていますが、ホームの上屋はパイプを曲げて作られた、洒落たものになっています。
発車時間が近づいたので、神谷駅方向に撮影場所を求めて移動し、富士山をバックに撮影できるところを見つけました。
同時にアップでも撮影。
この先、岳南富士岡駅まで移動しました。
駅の隣の検修庫からは、異彩を放つステンレス車 1105 が顔を出しています。
その脇には、車体を補修中の ED281 もいました。
検修庫の中に入らせてもらうと、ELやECの他に、台車が所狭しと積み重ねられています。
駅のホームに戻ると、ちょうど須津駅行きの区間列車が入線してきました。
おあとは、まわりの側線に停められている車両を巡ります。
近代的な顔つきの ED400 は、停車位置が悪く、完全な逆光になってしまいました。
少し離れてみると、岳南富士岡駅ののんびりとした様子が好ましく思えました。
正月なので、あまり遅くならないうちに、これにて帰路に着きました。
2020年5月1日金曜日
正月の 東海道本線 1979.1.3
正月も三日になると飽きてきて、どこかに撮影に行こうということになり、正月なので富士山ということで、東海道本線の富士川鉄橋に出かけました。
撮影の目的は当然ながらブルトレなので、早朝からのお出ましです。
ところが富士川にかかるのはトラス橋なので、サイドから富士山を入れての撮影はかなわず、富士駅側の川原の土手からとなりました。
先ずは はやぶさ ですが、この頃は牽引機が全て EF65PF に置き換わっていました。
サロ165 を連結した急行がやって来ました。
正月休みで貨物が殆んど運転されず、やっと見かけたのは、たった2両の二軸車を牽いた EF60 です。
次は みずほ ですが、白帯2本の編成で整っています。
サイドからだとヘッドマークが良く見えないので、線路際で待ち構えていると、さくら が近づいて来ました。
この場所ならば、後ろ姿も撮影できます。
最後に登場は 富士 ですが、ステンレス帯の真ん中に白帯が混じり、寄せ集め編成の様相です。
特急らしい速度で、東に向かって走り去りました。
165系の5連が来ましたが、パンタが1挺だけですね。
後ろから低屋根の 155系 が来たので撮りましたが、完全な逆光で、サマになりませんでした。
折角の好天なので、富士山をバックに走る新幹線を撮影します。
長めのレンズでも撮ってみましたが、トラスを避けての撮影は難しいです。
このあとは岳南鉄道に向かいました。
撮影の目的は当然ながらブルトレなので、早朝からのお出ましです。
ところが富士川にかかるのはトラス橋なので、サイドから富士山を入れての撮影はかなわず、富士駅側の川原の土手からとなりました。
先ずは はやぶさ ですが、この頃は牽引機が全て EF65PF に置き換わっていました。
サロ165 を連結した急行がやって来ました。
正月休みで貨物が殆んど運転されず、やっと見かけたのは、たった2両の二軸車を牽いた EF60 です。
次は みずほ ですが、白帯2本の編成で整っています。
サイドからだとヘッドマークが良く見えないので、線路際で待ち構えていると、さくら が近づいて来ました。
この場所ならば、後ろ姿も撮影できます。
最後に登場は 富士 ですが、ステンレス帯の真ん中に白帯が混じり、寄せ集め編成の様相です。
特急らしい速度で、東に向かって走り去りました。
165系の5連が来ましたが、パンタが1挺だけですね。
後ろから低屋根の 155系 が来たので撮りましたが、完全な逆光で、サマになりませんでした。
折角の好天なので、富士山をバックに走る新幹線を撮影します。
長めのレンズでも撮ってみましたが、トラスを避けての撮影は難しいです。
このあとは岳南鉄道に向かいました。
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