小樽築港機関区

小樽築港機関区

2017年2月18日土曜日

呉線のC59・C62 1968.8.3

 真夏の猛暑の中、この当時唯一C59の走る呉線を訪ねました。

 軍港のある呉駅は重要な軍事拠点なので、単線ながら呉線は50㌔レールが使用されていました。
 そのため、C59の入線が可能であり、最後の3両が活躍していたことで有名でした。

 また、呉方面から広島へ向けての通勤列車(日曜運休)が運転されていることでも知られ、朝の広駅では発車を待つ始発の蒸機列車の煙が3本立ち並んでいました。

 この通勤列車の運転区間は平坦線で国道が並走しており、大した撮影地が無く、小屋浦駅を発車するあたりが撮影地として紹介されていました。

 早朝の坂駅と小屋浦駅の間で、普通列車の上下を俯瞰気味に撮影です。



 そして小屋浦駅近くへ移動。
 通勤列車が次々とやって来ます。



 今度は本命のC59もやって来ました。


 更にC62が続きます。


 常磐線の特急ゆうづる牽引機も来ました。


 通勤列車の一団が通過後、安芸川尻駅方面へ移動です。

 呉線は安登駅近くをサミットとして両側が16‰の勾配となっており、沿線で随一の煙を吐く区間ですが、安芸川尻駅と仁方駅の間のこのあたりも景色が良いのと共に勾配があるので有名撮影地となっていました。

 先ずは急行あきがC59牽引で下ってきました。


 この後、当分蒸機列車が来ないので昼食タイムとなります。

 勾配を上ってD51牽引の貨物列車が来ましたが、暑さのため煙が良く見えません。


 続行の普通列車は、盛大に煙を上げながら勾配を上ってきました。


  安芸川尻駅交換で、反対からC62が静かに下ってきました。


 後を追って、D51貨物も静かに通過します。


 最後にお待ちかねのC59牽引の急行あきですが、仁方駅は通過で勢いが良いためか煙はスカです。


 眼下の海では子供たちが水遊びをしていた、真夏の暑い1日でした。

2017年2月16日木曜日

稲沢第1機関区 1968.8.1

 夏休みの大阪以西への旅行の途中、稲沢第1機関区を訪問しました。

 各地で電化区間の伸長と共に、それまでSLだけだった機関区にELが配置されるようになり、SL配置区を第1機関区と称して区分するようになりました。

 ここ稲沢第1機関区も1953年の稲沢電化を機に、東海道本線、中央西線、関西本線を担当していた稲沢機関区を分割することで誕生しました。

 稲沢駅で下車し、機関区を目指していると、ヤードでは9600が入換を行っていました。


 機関区に到着し、入構手続きをして撮影開始です。

 この時は時間の関係で、あまりうろつかず、機関庫周辺のみでの撮影としました。

 先ずはターンテーブルを目指します。


 テーブルの周りにSLが並んでいます。

 そのうち、D51が方向転換でテーブル上へ。


 周囲のカマを順に撮影します。



 扇形庫の前には区内入換用でしょうか、C12がいます。


 脇にはC50の姿も。


 そしてC58。


 ここのカマは総じてあまり磨かれていないようで、ナンバープレートも輝きが見られません。

 扇形庫の中を覗いてみると、虎の子のD515がいました。


 このナンバーは綺麗に光っています。

 他に庫内にはDD51がいましたが目もくれず、再び外へ。

 扇形庫は増築したようで、外観が揃っていません。



 本日中に大阪に着きたいので、適当に切り上げて早々に機関区を後にしました。


2017年2月14日火曜日

身延線 1979.12.15

 SL現役の頃は、当初から電化されていた身延線を訪れる余裕がなく、そんな時間とお金が有ったら煙を追いかけていました。

 その煙がなくなり、ローカル単線へも興味が生じてきた1970年代の最後、その上12月という時期に訪問した身延線の記録です。

 国道52号線を北上して行くと、十島駅の先で富士川第1発電所をバックにした撮影ポイントがあります。

 冬晴れ、順光の中を旧型国電の各駅停車が通過して行きます。

626M

 富士川を渡り、線路端の道を北上、寄畑駅の先の線路を見下ろす脇道へと入って行きました。
 狭い木々の隙間からの撮影で、ここからは列車の側面は逆光になりますが、バックに富士川の広い河原が大きく入ります。

 最初に来たのは、旧国の下り列車です。

631M

 続いて上りの急行、富士川4号が通過。

714M富士川4号

 次にやって来る貨物列車を迎え撃つべく、内船駅の先で撮影場所を探したのですが、開けたところが見つからず、線路端から何とか捉えたのがこの1枚です。

662レ

 いつも見慣れていたEF15ですが、私のアルバムには殆んど記録として残っていません。

 内船駅での停車時間を利用して寄畑駅側へ先回りして、今度はまともなアングルで撮影できました。

662レ

 再び北上を続け、身延駅を通過、塩之沢駅を過ぎて波高島駅の手前の、富士川の支流を渡る鉄橋まで来ました。

 道路からの安直な撮影ですが、今は道路線形が変わってしまったようです。

476M富士川6号

 塩之沢駅方向へ戻り、撮影地を探します。

 辛うじて引きの取れるところを見つけ、スタンバイしているとEF15の上り単機がやって来ました。

5680レ

 続いて上りの旧国のお出まし。

630M

 この後少し北上し、波高島駅と下部駅の間の川を絡められるポイントにて列車を待ちました。

 冬の短い陽射しが傾いてきた中を、下りの旧国電車が通過して行きました。

633M

 この撮影の後、身延線を訪れた時には、既に旧型国電は廃止されていました。

2017年2月12日日曜日

三度目の八高線 1968.6.5

 この年、三度目の八高線撮影記です。

 相も変わらず、東飯能駅から高麗川駅あたりをうろつきに行きました。

 東飯能駅と金子駅の間は、入間川橋梁が底になった擂鉢状の線形になっており、東飯能駅に進入してくる下り列車は勾配を登って来ることになります。

 金子駅側は俗に金子坂といわれるように、20‰の連続勾配なのに対し、東飯能駅側は大した勾配ではないので、それほど煙を上げてくれません。

 その辺りにD51重連の上り貨物列車がやって来ました。

煙はスカです

 反対方向からは9600が、上り勾配を軽くふかしながら通過して行きました。


 しばらく蒸機列車が無いので、高麗川駅に向かいます。

 高麗川駅からは、八高線と川越線の間を、セメント工場への専用線が伸びています。

 ここを9600牽引の貨物列車が行き来していました。

バックに工場の煙突

 タンク車1両を高麗川駅まで引き出し、今度は単機のバック運転で工場へ向かいます。


 再び東飯能駅から入間川橋梁へと向かいました。

 D51牽引の上り貨物列車が通過です。


 東飯能駅に戻る途中、八高線の下を通る西武池袋線を、荷物電車(クモニ3とのこと)がうまい具合にやって来ました。

私鉄電車は良くわからない

 東飯能駅に近づいたあたりで、逆向きD51牽引の貨物列車を撮影。


 東飯能駅では、D51重連の下り貨物列車が勢いよく発車して行きました。



 この後、またまた高麗川駅詣でです。

 セメント工場専用線から逆向き9600牽引の貨物列車の登場です。


 その後、いつものように、高麗川駅構内をたむろする機関車を撮影。


のどかです



帰りは高麗川駅から列車に乗るためあまり駅から離れないところで、、C58牽引の上り貨物列車をお手軽に撮影です。

良い番号です

 今度はD51牽引の下り貨物もやって来ました。


 6月になると気温が高くなり、煙がきれいに上がってくれません。

 それでも都心から近いのにD51重連や多くの貨物列車が設定された八高線は、私にとっては有難い、好撮影地でした。

2017年2月11日土曜日

佐倉機関区 1968.4.28

 前回記事にあげたハチロクの追いかけ後、佐倉機関区にも寄ってみました。

 ここにいるのは、C57,C58,D51といったポピュラーな罐ばかりなので、意気込んで訪れたのではなく、帰りがけでフィルムの残りもあるし、軽い気持ちでの寄り道でした。

 ヤードではハチロクが入換をしていました。

電化工事用のポールが積荷

  C58牽引の貨物列車が発車して行きます。

架線の下を通過

 次の写真はC58とC57の重連列車に見えますが、フロントデッキに旗振りが乗っています。

2両共力行中
  それにしても勢いよく通過して行きました。

 機関区の方に行ってみると、若番のC58が並んでいます。

C58の3と4の兄弟

  同じ2両を横から。


 D51もいました。

  奥には石炭積込みクレーン等、機関区らしい風景です。

 ターンテーブルではC58が方向転換中。


 佐倉の扇形庫は5線しかなく、番号からして切り取られたのでしょうか。


 本格的な撮影をしなかった佐倉機関区ですが、この程度の写真でも、今となっては貴重な記録と思っています。