この当時の総武本線は、電化は千葉駅まで、複線化は物井駅あたりまでで、千葉駅から先は今では考えられないくらいの田舎の路線でした。
電化工事がどこまで進んでいるのか情報の無い時代でしたが、とりあえず四街道駅まで行ってみることにしました。
物井駅方向に歩いて行くとすぐに家並みが切れ、あたり一面には田圃が広がっていました。
上りのC58牽引の客車列車を撮影後、線路伝いに歩いていると、D51牽引の上り貨物がやって来ました。
このあたりは既に複線になっていて、電化のポールも建植され始めていました。
もう少し進むと渡り線があり、そこからはまだ単線扱いのようです。
折しもD51牽引の下り列車が、右側通行のように渡り線を通過してきました。
この先では下り線上にはバラストを積んだ貨物列車が停車中で、上り線を急行水郷が通過して行きます。
秋の夕暮れが迫って来たので四街道駅へ戻り始めると、C57牽引の下り客車列車が姿を現わしました。
東京近郊でありながら、誠に長閑な時代でした。
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