大阪に親戚宅があったので、そこを起点・終点とした旅で、撮影ベッタリではなく、のんびりした普通列車での周遊でした。
当時の山陰線にどの程度の蒸機列車が走っているのかも知らず、また、撮影地の予備知識もない状態でした。
この旅行では撮影枚数が少なかったので、2日分ずつをまとめて掲載します。
まずは7月27日撮影分から。
駅名が気に入って上夜久野駅に降り立ちましたが、周辺をうろついただけで撮影もせず、普通列車の旅を続けました。
上夜久野駅から乗車した列車 |
この当時、京都口にはC57牽引の客レが走っていましたが、その先はDF50ばかりで、一部の貨物をD51が牽引していました。
途中の和田山駅では、交換待ちの上り貨物牽引のD51が見られました。
集煙装置と重油併燃の重装備 |
この日の宿泊地である餘部駅は、1日に3本の列車が停まるのみなので、お隣の鎧駅で下車。
そして、特急DCを撮影。
急行をまたせて特急のお通り。腕木信号も懐かしい。 |
続きまして、7月28日分を。
またしても各駅停車のノンビリ旅を続け、途中の米子機関区に駐泊するD51の姿を車窓から。
米子機関区。後にターンテーブル |
松江の手前の馬潟で下車、何故ここで降りたのかは記憶にありません。
少し歩いて撮影地を探したのですが、すでに松江市の圏内で人家も多く、お茶を濁します。
上り客レ |
この辺りでは客レ牽引のC57の姿が見られました。
1本だけ撮影して駅に戻り、まずは上りの特急まつかぜが通過。
馬潟駅を通過する特急まつかぜ |
そして、乗車する列車と交換のC57牽引の普通列車を撮影。
馬潟駅で交換の上り客レ |
松江駅では木次線のC11が停車しているのを撮影。
松江駅の木次線の客レ |
前半の2日間は以上で、残りは次の記事で。
2 件のコメント:
吊り掛け電車をもとめて、から来ました。
この記事と同じ頃山陰へ撮影に行った事があります。
「どの程度の蒸機列車が走っているのかも知らず」
とありますが、確かに情報が少なかったですね。
時刻表・地図・僅かな雑誌情報が頼りの探検撮影でした。
帰りに京都まで夜行客レに乗ったらC57に牽かれて大感激したのを覚えています。
き さんへ
当時は○○らしい、位しかわからない中での活動でしたので、
実物誌にも○○がまだ残っているのを発見したとの記事が時々出ていました。
あの頃、もっと情報が有ったらと悔やまれますが、それでも良き時代でしたね。
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