小樽築港機関区

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2024年9月20日金曜日

 廃墟と化した松尾鉱山へ 2023.6.22

  前日は花輪線の駅をいくつか巡りましたが、この日は大更駅から松尾鉱山を結んでいた松尾工業鉄道の遺構に寄りながら、松尾鉱山の現状を見に行きました。

 まず訪れたのは、途中にある 松尾工業鉄道 鹿野変電所 です。


 木立の向こうにそれらしき建物が見つかりました。


 クマザサや雑木に阻まれて近づけません。

 遠くから残骸を確認しただけで、次の目的地である 八幡平市松尾鉱山資料館 に向かいました。


 資料館には松尾鉱山の関係資料が展示されていましたが、テツとしては駐車場に保存されている機関車に目が向きます。



 近づいて撮影しました。


 ED251 です。
 正面側からも。


 廃線跡を辿ることはせず、松尾鉱山へ向かいました。

 ここは1969年に倒産した硫黄鉱山で、閉山から長い年月が経過していたので近づけるのかもわからないまま山道を進みます。
 そのうちに右手に廃墟が見えてきました。


 職員用住宅で、多数並んでいます。


 道路の先の方を見ると、窪地の先の山肌が一部表れているのが見えました。


 そちらに向かって進んで行くと、道路脇にも廃墟があります。


 その先には何かの基礎らしきものが。


 今度は多分建物と思しきものがうずもれています。


 さらに進むと急に開けて、赤い屋根のかわいらしい建物が現れました。


 この鉱山の廃坑からは汚染水が流れ出していて、その処理を行うために作られた施設とのことです。



 少し勾配を上ると、貯水池脇に出ました。


 処理される前の廃液が、異様な色をしています。

 この辺りからは最初に見た住宅群が遠望できました。


 さらに左の方にも廃墟が見えます。


 近づく道が無さそうで、望遠で撮ってみました。


 ここには多くの建物群が残り、かつての繁栄ぶりが窺えるとともに、いまだに流出する廃水の処理が必要な現実を見ることができました。

2024年9月10日火曜日

 花輪線の駅を見に行きました 2023.6.21

  花輪線といえば ハチロク三重連 で、龍ヶ森駅をサミットに33パーミルの急勾配区間が有名撮影地でした。

 この時は観光旅行でしたが、ついでにいくつかの花輪線の駅をめぐってみました。

 まずはスイッチバック駅として知られる南十和田駅です。


 駅前の印象は特に無く、ホームに入ってみました。


 線路が撤去され、中線部分には何やら建物があります。

 駅を出て、スイッチバックの終端部に行ってみました。


 夏草の隙間に車止めが見えます。

 線路への踏み分け道があり、昔と違って今はよろしくないと思いつつも上ってみました。


 ここまで列車は来ず、線路は赤さび、雑草が覆っています。

 反対側を振り向くと、


 Y字ポイントは油がまかれていて、まだ現役のようでした。

 次に向かったのは荒屋新町駅です。


 かつては補機を担当するハチロクがたむろしていたところで、構内をのぞいてみました。


 何の変哲もない交換駅です。


 ハチロクが待機していたあたりが、広いスペースとして残っていました。

 次は龍ヶ森駅、今の安比高原駅です。


 ここは駅名と共に全く変わっていて、国道も大幅に整備されてしまい、昔歩いたあたりはどこかへ行ってしまいました。

 次は岩手松尾駅、改め松尾八幡平駅です。


 龍ヶ森駅同様、昔の面影はなく、駅前広場だけがやたらに広く感じました。


 50年もたつと変わるのが当たり前とはいえ、何となく釈然としないまま、今夜の宿である安比高原のリゾートホテルに向かったのです。


2024年8月31日土曜日

 電車での軽井沢行き 2023.6.14-15

  このころは軽井沢に家を新築工事中で、今回その上棟式にいつもの車利用ではなく、荷物が少ないので電車で行ってみました。

 横浜の自宅から渋谷駅に出て、湘南新宿ラインで大宮に出るルートです。


 大宮駅で乗車してきた電車を見送り、新幹線のホームに上がりました。


 反対側のホームに、山形新幹線 つばさ を先頭に東北新幹線が停車しました。

 野次馬根性で併結部を見に行きます。


 後ろに連結されていたのは E2系 でした。

 そうこうしているうちに、乗車する北陸新幹線 はくたか557号 の入線です。


 はくたか ですと高崎駅にしか停まらないので、35分間の乗車で軽井沢駅に到着しました。

 軽井沢駅からは しなの鉄道 に乗車します。


 折り返しでやってきたのは新型で乗り心地も良いのですが、2両編成なので少々込み合うので困ります。

 隣の旧駅舎につながるホームには EF63 等の保存車両が置かれていますが、レールは既に切り離されていて、この先移動や撤去することはできないのではと気になりました。


 信濃追分駅で下車し、乗ってきた電車を見送ります。


 この後は上棟式に臨み、軽井沢のホテルにて宿泊しました。

 翌日は早々に軽井沢駅から帰宅したのですが、軽井沢駅北側の在来線のレール等が残されていた一帯では既に商業施設の建設に取り掛かっていて、線路が撤去されています。


 碓氷峠の在来線は横川側でその一部を観光路線として活用していますが、この工事により軽井沢までの延長は全く無くなったのでしょうか。

 帰りも大宮駅からの乗り継ぎですが、ホームに貨物列車が進入して来ました。


 貨物列車に在来線、そして東武鉄道と、線路の多い首都圏に戻ってきたなと思いながら、乗車する湘南新宿ラインの到着を待ちました。


2024年8月20日火曜日

 京阪のケーブルカーに乗りました 2022.12.7

  前回の続きで京都に滞在していて、どこか出かけるところは無いかと考えた時に、京阪電車のケーブルカーには乗ったことが無いので行ってみることにしました。

 12月の平日なので電車もすいていて、石清水八幡宮駅で下車、乗ってきた準急電車を後追いで撮影します。


 すぐあとに反対側を特急が通過しました。


 ケーブルカーの乗り場は改札口を出てすぐ近くで、ケーブル八幡宮口駅 が正式な名称です。

 このケーブルカーは全長0.4km、最急勾配20.6% とのことです。

 乗車券を買い求め入場すると、すでに停車して乗客を待っていました。


 2001年に新製された車両で、金色に輝いています。

 車内もきれいでしたが、乗客が他にいないので気にせずに撮影できました。


 銘版を探すと側面の前部近くにあり、川崎重工製とわかります。


 前方を見ていると、降りてくる車両がトンネルの向こうに見えました。


 トンネル内ですれ違いと思いきや、丁度出口でクロス。


 ケーブル八幡宮山上駅で下車すると、このケーブルカーの説明版がありました。


 山上駅には展望台が設けられていて、木津川を渡る京阪電車が見られます。


 ここでの観光については省略して、再びケーブルに乗車して下界に降り、石清水八幡宮駅周辺をうろつきました。


 近くにめぼしい撮影地は簡単に見つからず、駅の周りで撮っただけです。


 帰還するためホームに入ると、またしても反対方向の特急電車が通過しました。


 通り過ぎる電車を見送り、やってきた準急電車で再び京都へと向かって、この日のお出かけは終了です。

2024年8月10日土曜日

 近江鉄道と信楽高原鐡道を乗り継ぐ 2022.12.05

  ブログを再開して最初の記事は、乗り鉄です。

 前日の宿泊地の名古屋から新幹線こだま利用で米原駅下車、ここから近江鉄道で貴生川駅に向かいます。

 米原駅で待っていると折り返しの電車が入線してきました。


 米原駅9時35分発ですが、まだ時間があるので先頭車を見に行きます。

 当然ながら西武のおさがりで、塗色変更されているものの見慣れた顔つきでした。

 発車後しばらくして新幹線をくぐり再びJR線と並んだら彦根駅で、運転席の後ろから何が見えるか前方を注視します。

 乗車した電車は多賀線に入ってゆくので、高宮駅で乗り換えをすることになります。
 1分の接続なのでのんびりできませんが、ホームは分岐の形なりに広がっていました、

 時間が無くても前頭部を見に行きます。

 今度は伊藤園の おーいお茶 でした。

 おーいお茶 に揺られること1時間余りでJR草津線の貴生川駅に到着です。
 ここからはかつての国鉄信楽線、信楽高原鐡道に乗り換えました。

 2両編成なので、先頭車両を見に行きます。

 ホームの反対側には草津線の電車が停車しました。

 車内は12月だからでしょうか、控えめな飾りつけがなされています。


 信楽高原鐡道線は急勾配で車窓が楽しめるのですが、かつてはこの急勾配故の衝突事故を起こしています。

 何事もなく信楽駅に到着しました。

 この後はお定まりの焼き物の町を観光し、本日の宿泊地である京都に向かいましたが、鉄分は無いので今回はこれまでです。

2024年7月31日水曜日

 再登場のご挨拶(青葉台) 2024.7.30

  2022年12月の愛知こどもの国における撮影会の記事以来お休みし、奥山田三郎さんにそれ以降繋いでもらっていましたが、再び元に戻って 青葉台 が復活することになりました。

 とはいえ、現役SLの写真は出し尽くしましたので、これからは気まぐれに撮り歩いた鉄道がらみの記事を掲載してゆきます。


 再開するにあたりまずは近況報告から。

 休載している間に長野県の軽井沢に土地を求め、本業なので住宅を設計し、完成して移り住んだのが昨年の11月でした。

 現在9か月が経過し、庭の整備も少しずつ進み、どうやら落ち着いてきたのでそろそろ再開しようかといったところです。

 横浜ではマンションの狭いルーフバルコニーでGゲージを走らせていましたが、いつになるかはわかりませんが庭に大きいカーブの線路を敷設し、手持ちの車両を走らせたいと思っています。



 今回はご挨拶のみで実物写真は掲載できませんでしたが、次回からは従前どおりの写真を中心としたブログとしますのでよろしくお願いします。



2024年6月27日木曜日

ご挨拶(有楽町を行くEF5861牽引の「銀河」回送)

 ご挨拶 このブログの主宰者である青葉台さんからの依頼を受けて2022年10月から5編の海外乗り鉄の記事を掲載させていただいて来ましたが、ネタが尽きてしまいました。新型コロナ感染症(COVID-19)による行動制限は解除され、これまでの記事に登場した乗り鉄友人Nさんは積極的に海外訪問を再開しているのですが、私は燃油高による航空運賃の上昇、(欧米の)高インフレ、円安などを考えると海外へ行く気力が湧きません。そんな訳でこの投稿をもちまして私の記事は終了とさせていただきます。なお、このブログ自体は新しい記事のシリーズが始まると思いますので、引き続きの閲覧をお願いいたします。(奥山田三郎)

最後に、ネガカラ―プリントからのスキャンなので鮮明ではないのですが、私が有楽町で遭遇したEF5861が「銀河」回送に登板した時の画像をご覧ください。この朝のシーンはこれまで刊行物でもNETでも触れられていないと思います。

2006年2月28日早く家を出る所用があり、それならもっと早めに出て田町辺りでブルトレ「出雲」を撮ってから行こうと考えました。東京駅で山手線(京浜東北線かも)に乗り換え東海道線の方を見るとEF5861が待機しています。予定変更して有楽町で降りて、お決まりの東京方のホーム端に行きましたが同業者は小型ビデオカメラを持った方一名のみ、今見てきたEF5861の話をしましたがご存じ無いようでした。(知っていてもすっとぼける人もいるので何とも言えませんが)待っているとEF5861が銀河の回送列車を引いてきました。

この後、肝心の「出雲」は早めに来てしまい撮り損ねました。この日以降にEF58の登板があったのか知りませんが無ければ、回送列車ではありますがEF58一族最後の定期列車仕業であった事になります。

出雲は東京駅で回送待ちを撮りました。背景の400系+E4系も過去の情景です。(おわり)