小樽築港機関区

小樽築港機関区

2019年11月12日火曜日

 日豊本線 おまけの 志布志線 1971.7.22

 九州入りして2日目のこの日は朝から快晴で、宿泊地である宮崎でも1枚撮っておこうと、大淀川の河畔でフェニックスと共に、C57 の客車列車を撮影しました。


 本日のメインの撮影地は田野駅と日向沓掛駅の間で、カーブする線路を見下ろす小高い場所にて列車を待ちました。

 やって来たのは C57 の単機回送で、下り勾配を軽やかに転がって行きました。


 次は狙い目の上り貨物で、近づいてくる姿を見ると、煙が2本上がっているようです。


 幸運にも C57 と C56 の重連で、C56 もしっかりと力行運転してくれています。


 気を良くして田野駅に行ってみると、先程単機で通過した、門デフの C57 がホームの先端に停まっていました。


 寝台特急彗星を牽引して、DF50 が田野駅を通過します。


 今度は上りの普通列車の時間になったので、田野駅のはずれで、多数の腕木式信号機と共に撮影します。


 これにて日豊本線を離れて、宿泊地である人吉へと移動を開始しました。

 途中の今町駅と末吉駅の間で、志布志線の貨物列車を撮影できるので、逃がさないように迎え撃ちます。


 この頃の道路事情は、国道でも未舗装が多く速度が上がらないので、移動時間が多くかかり、撮影本数をあまり稼げませんでした。

2019年11月10日日曜日

 日ノ影線と日豊本線 1971.7.21

 この年に、川崎港から宮崎日向港へのフェリーが運航を開始したので、早速これを利用してクルマでの撮影旅行を計画しました。

 丸1日以上の乗船で、日向港に着くのはお昼をかなり過ぎてからなので、この日はあまり撮影できません。

 港から割合近くの日ノ影線に、丁度撮影できる貨物列車が設定されていたので、延岡駅から少し先の行縢駅に向かいました。

 この当時の日ノ影線は、その後延伸されて高千穂線と名前を変えましたが、高森線への全通はかなわず、台風被害で2008年に廃止されてしまいました。


 交換設備の無い無人駅を、形式入のナンバープレートを付けた C12 が、軽快に通り過ぎて行きました。


 追いかけもせずに、本日の宿のある宮崎へと向かいます。

 まだ明るいので、日豊本線の大淀川の鉄橋で撮影することにしましたが、最初に来たのは、DCの普通列車です。


 空模様が怪しくなる中、SLの煙が近づいて来ました。


 C57 の牽引する貨物列車で、この区間では、貨物列車もライトパシが担当しています。


 本日の撮影はこれだけで、明日から本格的な撮影が始まります。

2019年11月8日金曜日

 磐越西線 未電化区間の D51 1971.6.13

 会津線と日中線を撮影した翌日は、磐越西線の未電化区間に D51 を求めて行ったのですが、この日はクルマの手配が付かず、鉄道利用となりました。

 郡山駅から磐越西線の旅客列車に乗り込むと、沼上信号場で、ED77 牽引の客レ同士の交換になりました。


 また、会津若松駅に到着の際には、会津線の客車列車も同時にやって来ました。


 山都駅で下車し、有名なアメリカンブリッジカンパニー製のアンダートラス橋のふもとに行きます。

 昨日とはうって変わった晴天の下、D51 が牽引する貨物列車が姿を見せました。


 角ドームの D51 が、勢いよく煙を吹きながら通過します。


 下から見上げると、天空をかけるようです。


 駅に戻り移動しますが、鉄道利用なのでこの先に進むと撮影効率が悪いので、喜多方駅まで戻ります。

 阿賀川の支流の濁川の鉄橋まで歩き、上りの客車列車を待ちました。

 喜多方駅の手前なので、案の定、全く煙はありません。


 次の下り貨物は、駅の発車直後で、山都駅への峠越えなので、盛大な煙が期待できます。


 ところが焚き込み過ぎたようで、安全弁からは蒸気が上がるものの、肝心の煙はチョロチョロです。


 喜多方駅に戻ると、丁度発車する貨物列車があったので、駅構内のはずれでこれを撮影しました。


 磐越西線の未電化区間に、ほんの少し入っただけの撮影しかできず、ローカル線の撮影にはクルマが欠かせないようになってきました。

2019年11月6日水曜日

 日中走らぬ日中線の C11 1971.6.12

 喜多方駅から熱塩駅までわずか11.6kmの盲腸線である日中線は、朝・夕・晩の1日3往復だけの超閑散路線でした。

 日中線の日中は、熱塩駅の先にある日中温泉からとったようで、当初はさらに北に向けての延伸計画がありました。

 今回は会津線での撮影のあとに、夕方の列車を撮影すべく、熱塩駅に向かいました。

 C11 のバック運転で、列車が到着します。


 夕方なので、下校する学生が乗客の大半を占めています。


 車掌さんがポイントを切り替えて、機回しを行います。


 かつてはターンテーブルがあり、貨物扱いもありましたが、既に無人駅になっています。


 暫しの休憩後、殆んど乗客のいない客車2両の軽い荷を牽いて、走り去って行きました。


 会津加納駅では貨物扱いがあり混合列車になるので、その間に先回りして、鉄橋で通過を待ちます。


 さらに会津村松駅でも追い越せました。


 陽の長い時期ですが、既に夕空が広がる中を、C11 が通過して行きました。

2019年11月4日月曜日

 二つの会津線の C11 1971.6.12

 これまで見向きもしなかった C11 の走る会津線を訪れたのは、六月半ばの梅雨に入ろうかという時期でした。

 この頃の会津線は、会津滝ノ原線と会津只見線の2本の路線があり、両線とも行き止まりのローカル線でした。

 この2線を効率的に撮影するにはクルマ利用が絶対で、郡山から向かったのですが、行き掛けの駄賃に、会津若松駅の先で、日中線へ向かう列車から撮影しました。


 このあとは会津只見線に向かい、第一只見川橋梁から撮影を開始します。


 今では国道が付替えられ、この橋を容易に俯瞰撮影できるようになりましたが、当時の道路は未舗装で、泥道と化しています。


 先へと進み、今度は第三只見川橋梁です。


 貨物列車の次は混合列車ですが、このあたりは今でも同じアングルで撮影できるようです。


 さらに先へと進み、会津川口駅に着きました。

 この駅から先では、運転本数や列車本数も変わり、この線の重要な駅としての役割を担っていました。


 雨の中を下り貨物が到着し、これから入換作業に入ります。


 この先会津只見駅までの区間は、撮影効率が悪くなるので、この駅で折り返して戻り、会津水沼駅と会津中川駅の間で下り貨物を撮影します。


 来た道をさらに戻り、再び第三只見川橋梁へ。

 今度は上りの混合列車です。


 この先で方向を変え、今度は会津滝ノ原線の桑原駅に向かいます。

 この時間に向かうと、運転本数の少ない貨物列車が効率よく撮影できます。


 国道からは、大川を渡る下り貨物を俯瞰撮影できます。


 程なく今度は上り貨物列車がやって来ます。


 桑原駅に停車後、カマの状態を整えて、猛然とダッシュして行きます。


 谷底の桑原駅からは両側とも25‰の上り勾配なので、上り貨物も目一杯ふかしての走りを見せてくれます。


 桑原駅と周辺の集落は、今では大川ダムの底に沈んでしまい、線路も大きく迂回して付替えられてしまいました。

2019年11月2日土曜日

 客貨両用の C58 が走る 陸羽東線 1971.5.29

 昨夏以降、長らく鉄から遠ざかっていましたが、この年の梅雨が訪れる前に陸羽東線に C58 を撮影に行きました。

 幹線筋の多くが無煙化され、形式の好き嫌いも言っていられず、ローカル線をめぐるようになってきました。

 小牛田駅で乗り換えて、撮影枚数が稼げることから、上岩出山駅で下車しました。

 先ずは後ろから追ってくる下り貨物からです。


 次は上りの客車列車で、すぐ先の上岩出駅を発車して来たのですが、煙を吐く様子が有りません。


 続いてやって来た上り貨物は、上岩出山駅を通過なのですが、こちらの方は少し煙をたなびかせて、まだましです。


 手始めの撮影を終え、本格的な勾配区間を目指して、中山平駅まで移動し、堺田駅方向へと進みました。

 駅構内の少し先で、田植えの準備が進む中、上り貨物が勾配を下って来ました。


 次の下り貨物は、朝一番に撮影した列車が川渡駅で長時間停車し、編成を組み直してやって来るもので、列車番号は変わりますが、牽引機は同じなのです。


 赤ナンバーの C58364 の牽引です。


 反対方向から普通DCが来ましたが、もっとしっかりと記録しておくべきでした。


 田圃に降りていると、補機運用のために、C58 が単機のバック運転で勾配を下って来ました。


 ここ陸羽東線では、日中にも数本の客車列車が設定されていて、客貨両用の C58 の面目躍如といったところです。


 先程の単回を補機に付けて、重連の下り貨物が良い煙を吐きながらやって来ました。


 到着した堺田駅はその名の通りこの線のサミットで、駅の両側ともトンネルは無く、羽前赤倉駅側にはお誂え向きの道路橋があります。


 上り列車は駅の近くですが、まだ勾配が続いているので、力行したままやってきてくれます。

 この日は友人を訪ねて、郡山駅に向かいました。