小樽築港機関区

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2017年6月23日金曜日

播但線 生野越え 1970.8.28

 播但線は山陽本線姫路駅と山陰本線和田山駅を結ぶ、いわゆる陰陽連絡線の一つで、和田山駅にほど近い生野駅を頂点とした峠があります。

 この生野峠を越えるために貨物列車には補機が付くのですが、補機のDL化は早く、1960年にはDF50が、そして1969年からはDD54がその任に当たっていました。

 DLが補機に付く路線は敬遠していたのですが、箱型車体のDD54は嫌いでなく、その様子を撮影に行きました。

 生野駅で下車し、長谷駅側に撮影地を求めて歩き出したのですが、勾配を下って来る補機付きの上り貨物列車が来てしまい、学校の校庭越しにサイドビューを撮影しました。


 線路際に着き更に進んで行くと、C57牽引の下り客車列車が勾配を上ってきました。


 集煙装置付きのC57を、正面から長玉で撮影すると、ブサイクですね。


 今回の目的である次の下り貨物列車は、DLの補機付きなので、2両が写せるアングルで通過を待ちます。



 次は上りの客車列車なので、新井駅側に移動しますが、生野駅の新井駅側はすぐに長い生野トンネルがあるので、トンネルからの飛び出しを狙います。


 力行しているのですが、気温が高いので煙は全く見えません。


 次は貨物列車ですが、今度も上り列車なので少し位置を変えただけです。


 補機は1両だけなので、その運用可能なように貨物列車のダイヤが組まれています。

 これで生野駅での撮影を終え、今度は溝口駅へ向かいました。

 現在の播但線は寺前駅まで電化され、通勤路線となっていますが、この当時でも寺前駅までは区間列車が設定されていて、C11が牽引していました。

 溝口駅から福崎駅方面へ歩いて行くと、先程撮影した貨物列車をC57が牽引してやって来ました。


 貨物列車と溝口駅で交換したC11バック運転の下り客車列車が、緩勾配を上ってきました。


 これで撮影を終えましたが、今日も暑い一日でした。


 いつもご覧頂きありがとうございます。↓クルマで足尾線のC12重連を追う 1970.7.21より

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