御殿場線は御殿場駅を頂点とする山越え路線で、25‰が連続し、東海道線時代には補機が連結され、輸送のネックになっていました。
輸送量が少なくなり単線に格下げされましたが、橋台やトンネルにその当時の様子が偲ばれます。
また、蒸機の時代には、岩波・富士岡駅にはスイッチバックのホームが設置されていました。
そろそろ電化が近づきポールが建ち始めたとのことで、勇んで撮影に向かいました。
東京から出発したのでは朝の通勤列車に間に合わないので、前日に沼津で宿泊、翌日撮影としましたが、行きがけの駄賃とばかりに、沼津駅周辺での撮影から開始しました。
当時、沼津では入換用としてC50の姿が見られました。
端梁にゼブラ塗装がされている |
御殿場線の夕方の列車の入換をD52が自らやっていました。
客車を編成し押し込んでいる |
蒸機列車での通勤、羨ましいが乗る方は大変 |
翌朝、まだ明けやらない道を沼津駅まで歩き、一番列車に乗って岩波駅で下車。富士岡駅方面へと線路際を歩いて撮影地を探したのです。
ところが沿線にはすすきが生い茂り、引いて撮れる場所が見つかりません。
そうこうしているうちに、最初の下り列車がやって来ました。
ススキが原の中 |
そして、上り列車も煙を吐きながら来てしまったのです。
電化ポールも目障り |
これでしばらくD52は来ません。
陽が上り、暖かくなってきて、早起きしたため眠気に襲われてしばしうたた寝です。
突然のD52のブラストで目が覚めました。
もうそこまで来ていたので、飛び起きてシャッターを切りました。
またしても失敗作 |
この後も結局良い場所が見つからず、線路際でお茶を濁したのです。
この日は全く成果が上がらず、御殿場駅から小田急直通の準急で新宿経由で戻りました。
当時から小田急は、御殿場線乗り入れのためDCを用意して利便性を図ってくれていて、これを有難く利用させていただきました。
乗客の多い時は2両連結ですが、この日は単行。御殿場線内はともかく、小田急の本選を単行DCが走っていたのです。
新宿に着くと、当時最新のNSEがいてくれて、今では貴重なツーショットが撮れました。
この1枚が今回でのベストかも知れません。
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